2005/11/5(土)〜12/25(日)
フランス印象派と19世紀スコットランド絵画
「人気のフランスワイン」と「本場のスコッチウィスキー」を一度に堪能する
Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男
古都エディンバラにあるスコットランド国立美術館には、初期ルネサンスから19世紀までのヨーロッパ美術の世界的コレクションがあり、スコットランドの絵画の傑作はもとより、他のヨーロッパ諸国のものも多数含む充実した内容となっている。なかでも19世紀のフランス絵画は、質と量ともに優れた魅力的なセクションを形成している。
盟友関係
何世紀にも渡ってフランスとスコットランドは多く関わりをもってきた。その関係は、政治的には、両国の間にあるイングランドの野心に対して共通の敵対感情をもつ、古くからの盟友として語られてきた。文化面での交流も次第に活発化し、19世紀後半までにはスコットランドの芸術家もフランスを訪れることが多くなり、フランス美術の収集も熱心に行われるようになった。首都エディンバラの美術館に、これほどの印象派系の美術作品があるのもそのためなのである。そしてこうした経緯が、逆に同時代のスコットランド美術を紐解く上での糸口でもある。
19世紀という時代
本展のサブ・テーマは、「19世紀のヨーロッパの情景を描いた絵画」ということである。情景とは、ときに風景であり、光景であり、場面であり、様子でもある。よってこの展覧会には風景画のほかに、働く人々の絵や、いわゆる人物画や静物画も含まれる。つまりその時代の画家が目の前にある何かを見て描いた作品ということであるから、象徴主義的な神話や物語の絵、空想画は原則的には含まれない。
19世紀の近代美術の中心地がパリであったとすれば、スコットランドは周辺地域の一つであったが、共に19世紀という激動の時代を体験していた。実際、パリでもエディンバラでも、人間の生活が産業革命によって大変革を遂げたのがこの時代であった。特に都市の様子は大きく変わった。また、鉄道の発達は遠隔の地を近づけることにもなった。画家たちはそのような世界を目の当たりにし、時には失楽園的な思いに駆られながら、目に映る世界をさまざまなスタイルで、そしてさまざまな思いを込めて、描きとめたのである。
バルビゾンの村から
近代化の波に呑まれる大都会の近くにも、ピクチャレスクな、つまり「絵になる」ような場所がまだたくさん残っていたのもこの時代である。表現の可能性を求めて模索する画家たちは、古代ローマの遺跡とかではない身近な田園の美しさを再発見する。その舞台となったのが、フォンテーヌブローの森であり、バルビゾンの村であった。コローやドービニーは、そんな風景を心から愛し、戸外に出てその雰囲気に自らどっぷりと浸かって制作を始めた画家であった。特にコローは、フランス本国と共に英国でも非常に人気が高かった。一方、北海をのぞむノルマンディ地方を拠点として活動をしていたブーダンは、海と空をこよなく愛し、やはり戸外での制作を通じて、印象派の先駆となる風景画の作品を生み出した。当時まだ若かったモネに印象派への道を歩ませたのはこのブーダンであった。
天使は描かない
教会に掛ける絵に天使を描いてくれと頼まれたクールベは、「天使は見たことがないから描かない」と答えたという。19世紀の主要な美術運動としての写実主義を主導したこのフランスの画家は、風景に関しては、ときに朴訥ととも言える写実的な手法で、その生々しい迫力を描き出した画家でもあった。
天使は描かなかったが、天使のような愛らしい庶民の子供たちを描いたのは自然主義の画家たちであった。写実主義のもう少しソフトなタイプとして、農民や身近な事物を描いた画家たちである。なかでもバスティアン=ルパージュは英国で非常に評価され、大きな影響を与えた。また花の絵を得意としたファンタン=ラトゥールは、当時の美術界の動きとは一線を引き、独自の写実性を追及した画家であった。この画家の作品は、ガーデニングの国である英国で絶賛された。
虹色の積み藁
戸外制作と写実主義の流れは印象派となってクライマックスを迎えた。パリの官展で拒否された前衛画家たちが、1874年から始めた独自の展覧会に出品した作品は、当時の絵の規範から見るとちょっと「描きかけ」のように思われ、批判を浴びた。それらの見慣れぬ作品は、画家が見たそのままの事物を、光の揺らぎまでをも忠実に再現しようとした追及の結果であった。だから彼らもまた、現実に見たものしか描いていないのである。
本展にもモネ、ルノワール、シスレー、ドガ、モリゾをはじめ、多数出品されているが、その究極は、積み藁を描いたモネの連作の一点である。彼はルーアンの大聖堂や積み藁が、季節ごとに、日ごとに、そして時間ごとに変化する光の中で見せる、さまざまな表情の虜になったのである。画家の目というフィルターを通してキャンヴァス上に再現された積み藁は、全く新しい、しかし限りなく美しい何か別のものに生まれ変わったかのようである。
美しい風土
19世紀初頭に活躍したスコットランドの画家は、まだ古いタイプの画家であったが、見たものを彼らなりに再現していた。スコットランドの風景画の祖と呼ばれるネイスミスの描くエディンバラ城とノール湖の風景は、小さな人物などが配されているが、18世紀の歴史画の名残とはいえ、そうした人物はこの種の絵には必須のアイテムであり、そこに描かれるのは当然だったのである。そしてネッシーのような恐竜をそこに描いてはいけないことも、よくわきまえていた。
これらの作品には、自らの国の美しい風土を再確認し、ヨーロッパの一国としての国のアイデンティティを求める、ロマン主義的な姿勢がうかがわれる。変化に富んだ美しい自然だけでなく、豊かな歴史や伝説の宝庫であり、古城や廃墟の点在するスコットランドは、18世紀後半から旅行者や観光客を受け入れるようになった。ドイツの作曲家メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」といった曲は、まさにこのような状況の中で生まれたものである。そしてネイスミスやマックロック、ボウといったといった地元の画家たちは、そんなスコットランドの姿を伝えようと制作に励んだのである。
グラスゴー・ボーイズ
フランスで起こっていた美術の近代化の流れに乗ったのは、次の世代の若い画家たちであった。彼らは、エディンバラと並ぶ大都市グラスゴーに集まった若い画家たちのグループで、グラスゴー・ボーイズと呼ばれた。これは友情で結ばれた縛りのゆるいグループで、19世紀末のフランスの新しい美術の動きを直接取り入れ、バスティアン=ルパージュの自然主義に影響を受けていた。とはいっても彼らは、都市生活や家庭といったフランス印象派によく出てくる主題にはあまり関心を示さず、自然や農村の情景、異国情緒溢れる場面などを好んで取り上げた。本展に出品されている作家では、ガスリー、ウォルトン、ヘンリー、メルヴィル等がいる。
しかし世紀末のスコットランドで活動したマクタガートのように、フランスには目を向けず、グラスゴー・ボーイズにも加わらなかった画家もいた。自然主義の第一人者ヒュー・キャメロンの弟子であった彼は、水辺の様子や子供を好んで描いている。それは非常に印象派的な筆遣いなのだが、印象派から影響を受けた結果ではなく、自らの探求の結果であり、スコットランドの芸術の独自性を物語る好例となっている。
現代が産声を上げた19世紀という時代のさまざまな「情景」を描いた作品群。つまり、おなじみのフランス物と、初対面ながら奥行きと伝統を感じさせるスコットランド絵画という、共に個性的でありながら多くの共通項をもつ両国の美術。これらの作品を中心に構成される本展で、そんなことを思いながら作品を眺めていると、いつのまにか「現代」の喧騒を忘れ、エディンバラの格調高い美術館の静かなギャラリーを歩いているような錯覚にとらわれるのである…。