ベルギー象徴派展 2005/4/15(金)〜6/12(日)
象徴主義とは

象徴主義とは
 象徴主義は、19世紀後半にフランスである特定の観念や感覚などを、言葉の技巧を凝らして、詩のリズムや韻で音楽的に表現することを試みる文学運動から端を発し、やがて美術・音楽・演劇などに広がっていきました。
 美術においては、観念、内面などといった目に見えないものを、なにか具体的に形あるものを通して象徴的に表現する方法がとられました。テーマとしては、死・性・愛などが取り上げられ、さまざまな形を借りて表現されました。なかには、色彩に託してそれらの観念を表現する画家もいました。ヨーロッパ各国に象徴主義は浸透しましたが、なかでもベルギーでの運動は盛んでした。
 ベルギー以外での代表的な画家には、神話を基に永遠の愛や死を表現するモロー(1826-98)、北欧の自然を背景に死の影におびえる人間を描いたムンク(1863-1944)、暗い海に浮かぶ孤島を神秘的に描くスイスの画家ベックリーン(1827-1901)などがいます。


ベルギー象徴派について
 ベルギーの首都ブリュッセルは、神秘的なテーマを凝った画風で描く象徴派の中心地となりました。ここで1883年に生まれた芸術家グループ「レ・ヴァン(20人会)」は、雑誌を刊行し、展覧会や音楽会、講演会を開き、外国作家を招待するなど、活発な活動を展開していました。
 彼らがブリュッセルに招待したなかには、オランダのゴッホ(1853-90)、フランスの象徴主義の先駆者ルドン(1840-1916)、同じくフランスの点描画家ジョルジュ・スーラ(1859-91)などがいました。フランス語圏だったブリュッセルは、とくにパリとの知的交流が盛んでした。

 ベルギーのもう一つの都市、運河のある古都ブリュージュ(ブルッヘ)は、中世の街並みが残り神秘的な雰囲気がありました。この都市は、象徴派の人々にとっての心の故郷でした。また、ベルギーで設立されたカトリックの神秘主義を重んじた思想家たちのグループ「薔薇十字団」は、数度の展覧会をパリで開きました。この中心人物がジョゼフ・ペラダンで、彼の神秘思想は、ベルギー象徴派の画家たちに広く受け入れられていました。


本展で中心となる作家たち
 世紀末のベルギーは文芸復興の時代でもありました。この先駆者として忘れてはならないのは近代の憂鬱・疎外・孤独をうたったフランスの象徴派の詩人シャルル・ボードレールで、フェリシアン・ロップスとの交流の中で、ベルギーにおける象徴主義の下地を形成しました。ロップスは1862年にパリに渡りソフトグラウンド・エッチングという版画技法を駆使した悪魔的で退廃的、官能的な挿絵で注目されるのですが、そのイメージはボードレールから絶賛され、作品集の表紙絵の制作などで交流を深めました。
 フランスとの交流からさらに多くを展開したのはジャン・デルヴィルです。前衛的な文学雑誌の中で詩も発表するなどして象徴主義にのめりこんでいった彼は、1892年フランスの詩人ジョゼフ・ぺラダンの主催する第1回「薔薇十字」展にロップス、クノップフと共に参加。また続いてファブリ、メルリらとともに「芸術のために」展を開催。ベルギー象徴派における耽美的で幻想的、そしてオカルト的な方向性はこのデルヴィルの周辺で形成されていったといっても過言ではありません。そして更に彼は1896年から98年にかけて「ベルギーにおける美学的ルネサンスを喚起する」ことをめざして「理想主義芸術」展を立ち上げます。この展覧会にはもともと自然主義の画家として出発したレオン・フレデリックも参加しています。卓越した描写力に支えられたフレデリックの作品は、神秘的・秘教的で、大画面の作品は独特の迫力を持っています。
ベルギー象徴派を代表するもうひとりの巨匠はフェルナン・クノップフです。彼もまたぺラダンの教えに感化されましたが、その様式を方向付けたのはのはむしろイギリスのラファエロ前派、特に画家バーン=ジョーンズとの親交でした。すらっとした女性像など画風にもその影響がうかがわれると共に、主題にもアーサー王伝説等イギリスものが現われています。クノップフの作風は極めて暗示的であり、謎と静寂に包まれた世界は象徴派の詩のそれをよく代弁していると言えます。



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