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「フリーダ・カーロとその時代
メキシコの女性シュルレアリストたち」 |
彼女が身にまとっているのは、メキシコ南部、テワンテペク地峡の原住民の花嫁衣裳。フリーダ・カーロがこの自画像を描いたのは、額の中央に描かれた別れた夫ディエゴ・リベラと再婚して3年後のことである。本当にいろいろなことがあったが結局はこの人しかいない、ということなのだろうか。フリーダが民俗衣装を着るとリベラは喜んだという。
メキシコを代表する画家であったリベラは、嫉妬深い上に、女好きがこうじて妻の妹とまで関係をもってしまい、フリーダの心を深く傷つける。フリーダが画家としての円熟期を迎えるのは、そんな嵐のような人生を掻い潜ったこの時期のことであった。離婚は彼女の画家としての成功が決断させたものではあったが、1年後、2人は再び結ばれることとなる。
小児麻痺の後遺症で歩行に障害をもち、幼い頃から頑張り屋だった彼女に、交通事故の悲劇が起こったのは十八歳の時のことであった。脊椎、骨盤、子宮に損傷を負い、生涯つきまとう絶えがたい苦痛が始まるのだが、それは彼女が絵筆をとるきっかけともなったのである。
リベラは語る。「彼女は美術史の中で、女性だけに関わる一般的かつ特有なテーマを、包み隠すことも妥協もなく赤裸々に扱った初めての女性であり、そこには冷徹な残酷さすら感じられる」。例えば、《私の心のリベラ》と題されたこの作品からは、具体的な状況がなくとも、たしかにそのテーマが女性の心に関わることであることは、誰にも直感的に伝わってくる。カーロに対する再評価は、1980年代前半に始まった。それは自らの生きざまを客観的に見つめるマドンナやシンディー・シャーマンといったアーティストの台頭とも機を同じくしている。 |
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