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「フリーダ・カーロとその時代
メキシコの女性シュルレアリストたち」 |
メキシコ、コヨアカンの生まれ。6歳で小児麻痺を患い右足が不自由になる。18歳のとき事故に会い瀕死の重傷を負う。1920年代後半より独学で絵を学び始める。その後22歳でメキシコの画家ディエゴ・リベラと結婚。のちに彼女の作品はシュルレアリスムの運動家たちに高く評価される。 |
メキシコ、サン・ファン・デ・ロス・ラゴス生まれ。1928年に国立美術学校に入学、ディエゴ・リベラに早くから才能を認められ、翌年には初の個展を開催。メキシコ各地の美術学校で教鞭をとる。デ・キリコの影響を受けながらも、亡命シュルレアリストとは一線を画す土着的要素の濃い、知的で特徴のある創作活動を展開した。
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スペイン、アングレス生まれ。16歳のときマドリードのサン・フェルナンド美術アカデミーに入学。バルセロナやパリのシュルレアリストと交友する。1941年メキシコに亡命、その後メキシコでシュルレアリスト画家として活躍する。
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イギリス、クレイトン・グリーン生まれ。イギリスの修道院付属校に入るが、すぐ退学になり、次に入った修道院付属校も退学になる。その後フィレンツェの私立校に入り、ヨーロッパ絵画の流れに触れる。18歳で本格的に絵の勉強をはじめ、翌年エルンストに出会い、シュルレアリスム・グループに加わる。1942年メキシコに移り、創作活動を続ける。
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フランス生まれ。画家としてだけではなく、シュルレアリスムの詩人としても知られる。ヴォルフガング・パーレン夫人としてパリのシュルレアリストたちと交流した後、1939年にメキシコに移住、本格的に絵画に取り組む。1944年にメキシコの名門画廊ガレリア・デ・アルテ・メヒカーノで、女性画家としてはブラボに続き2番目となる個展を行った。 |
メキシコ、ラゴス・デ・モレノ生まれ。1924年に写真家マヌエル・アルバレス・ブラボと結婚。フリーダ・カーロらメキシコのアーティストと親しく交流し、その素顔を写真に残した。また、メキシコの都市風景を独特な視点で撮影した作品でも知られる。
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ハンガリー生まれ。ブダペストで写真技術を学んだ後、ファッションや映画写真の仕事に携わっていたパリで、マックス・エルンストらシュルレアリストたちと交わる。スペイン内乱の報道写真で知られるほか、1939年に移住して以来生涯過ごしたメキシコでは、庶民の生活をドキュメンタリー・タッチで撮影した作品を残した。 |
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