Commentary章解説

1 「写真」をめぐる冒険
—想像力を解き放て!

「写真」とは、いったい何でしょうか。それは、撮るだけのものではありません。カメラを使わず印画紙に直接光を当てるフォトグラム、物質性を生かしたコラージュやモンタージュ。スライドプロジェクションやインスタレーションなど、空間的な展開もいまや珍しくありません。本章では、大胆な実験精神をもって「見ること」や「写真」をめぐる価値観を揺さぶる作品をご紹介します。写真は、もっと自由なのです。

山沢栄子 《What I Am Doing No.77》 1986年 ©Yamazawa Eiko, Courtesy of The Third Gallery Aya
岡上淑子《招待》 1955年 ©OKANOUE Toshiko, Courtesy of The Third Gallery Aya
蜷川実花〈Dancing with Shadows in the Light〉より 2024年
©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

【第1章出展作家】

今井壽惠、岡上淑子、オノデラユキ、小松浩子、今道子、杉浦邦恵、多和田有希、蜷川実花、山沢栄子

Column1 多様な専門性をもつ作家たち

異なる専門分野で学んだり活動してから写真にたどり着いた作家は数多くいます。本展出品作家では、山沢栄子(日本画、油画)、今井壽惠(油画)、石内都(織り)、今道子(版画)、川内倫子(グラフィックデザイン)、小松浩子(音楽活動)、多和田有希(生命工学)などが挙げられます。そうした背景が個々の作品世界をどのように豊かにしているかを想像してみると、新たな視点が得られるかもしれません。

今井壽惠 〈オフェリアその後〉より 1960年 ©IMAI Hisae, Courtesy of The Third Gallery Aya
今道子 《えんどう豆 + ワンピース》 1994年 ©Michiko Kon, Courtesy PGI
多和田有希 《Family Ritual》 2018年- 第12回恵比寿映像祭「時間を想像する」展示より 提供:東京都写真美術館 ©Yuki Tawada 撮影:才木暢宏(参考写真)

2 「記録と記憶」をめぐる冒険
—目に見えないものに向かって

カメラは目の前の光景を緻密に記録する一方、そのディティールやニュアンスを通じて、目に見えない他者の記憶や気配を喚起することができます。そこでこの章では、目に見える世界(記録)を通じて目に見えない世界(記憶)を掘り下げる作品をご紹介します。そこに共通するのは、歴史が個人の小さな記憶の集積であることを認識し、それらの小さな声に丁寧に耳を傾けようとする姿勢です。つまりそれは、歴史と現在をつなごうとする真摯な取り組みでもあります。

藤岡亜弥 〈川はゆく〉より 2013-2017年 ©Aya Fujioka
常盤とよ子 《県立屛風ヶ浦病院待合室》 1956年
石内都《Mother’s#39》 2002年 ©Ishiuchi Miyako, Courtesy of The Third Gallery Aya

【第2章出展作家】

石内都、石川真生、岩根愛、志賀理江子、常盤とよ子、西村多美子、米田知子、藤岡亜弥、渡辺眸

Column2 社会を記録するまなざし

石川真生 〈アカバナ-〉より 1975-1977年 ©Mao Ishikawa / Courtesy of POETIC SCAPE

既成概念にとらわれず、カメラを通して目の前の現実を記録することも写真家の重要な役割のひとつです。日本女性写真家のパイオニアの一人である常盤とよ子は、戦後社会で様々な職業に就く女性を撮影し、赤線地帯で働く女性を取材して『危険な毒花』(1957年)を出版しました。1960年代末の東大安田講堂事件では、渡辺眸が唯一の女性写真家としてバリケード内を撮影しました。米国統治下の沖縄で生まれた石川真生は、日米間で揺れる沖縄を1970年代から撮り続けてきました。藤岡亜弥は自身の出身地・広島で、ステレオタイプな平和都市としてではない街と人々の姿を記録し続けています。

3 「女性」をめぐる冒険
—ジェンダー、身体、セクシュアリティ

あるがままの自分でありたい。誰もがそう願いながら、実際には容易ではない現実の背景には、女らしさや男らしさといった社会規範(ジェンダー)や外見至上主義(ルッキズム)など、様々な要因があります。とりわけ女性の身体はそうした価値観にさらされてきました。この章では、ジェンダーや身体をめぐる問題を多角度から探る作品をご紹介します。それらはカメラを通して自分の身体と向き合い、生きることの手触りを他者との関わりの中で確かめる、切実な試みなのです。

やなぎみわ 《案内嬢の部屋 1F》 (2点組の右側のみ) 1997年 ©YANAGI Miwa
片山真理《study for caryatid #001》 2023年 ©Mari Katayama, Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery and Galerie Suzanne Tarasieve, Paris, Mari Katayama Studio.
長島有里枝 DOMANI plus@愛知 「まなざしのありか」展示風景 | みなとまちポットラックビル、愛知 | 2022年 撮影|大塚敬太 + 稲口俊太 (参考写真)

【第3章出展作家】

岡部桃、片山真理、澤田知子、長島有里枝、野村佐紀子、やなぎみわ

Column3 領域を横断する作家たち

写真に自らを限定することなく、複数のジャンルをまたいで活動する作家も少なくありません。
杉浦邦恵は写真と絵画の境界を横断する作品でも知られ、多和田有希は陶芸家と共同制作をしています。やなぎみわは従来の演劇の枠にとらわれない野外劇等の演出、小松浩子はミュージックビデオの監督、蜷川実花は映画監督としても活躍中です。他にも長島有里枝が短編集『背中の記憶』で三島由紀夫賞候補になったり、志賀理江子が梅原猛人類哲学賞を受賞するなど、多方面でその活躍が評価されています。

4 「日常」をめぐる冒険
—見過ごされた風景の中で

冒険とは、日常とかけ離れた状況に身を置くことを言います。しかしだからといって、日常の中に冒険がないわけではありません。むしろ身近な日常に目を凝らし、そこに新たな価値を見出す冒険的な姿勢こそ、写真が得意とするもののひとつです。この章では様々な作品を通して、取るに足らないとして見過ごされてきた日常の光景に新たな視点を導入する可能性を探ります。その気づきは、一人ひとりが生きてゆく日々を肯定するための力になることでしょう。

野口里佳《不思議な力 #9》 2014年 ©Noguchi Rika, Courtesy of Taka Ishii Gallery
川内倫子《無題》(シリーズ〈Illuminance〉より) 2009年 ©Rinko Kawauchi

【第4章出展作家】

潮田登久子、川内倫子、楢橋朝子、野口里佳、原美樹子、ヒロミックス

Column4 「女の子写真」という語り

長島有里枝『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』大福書林,2020年

1990年代、日本で写真を撮る若い女性の作家たちが台頭した際、彼女たちの作品は技術的に拙く視野が狭い未熟な存在としてひとくくりにされ、「女の子写真」と呼ばれて本質から離れた部分でもてはやされました。その中心的な存在とみなされていた長島有里枝、蜷川実花、ヒロミックスは、2001年に写真界の芥川賞と呼ばれる木村伊兵衛写真賞を同時に受賞しましたが、それは日本社会における著しいジェンダーギャップ(男女格差)を反映する象徴的な出来事でもありました。のちに長島は『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』を出版し、当時の言説に内在した問題点をフェミニズムの視点から分析・検証しています。