かこさとし展 子どもたちに伝えたかったこと

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2022.08.13 UP

【レポート】鈴木万里氏(加古総合研究所 代表・かこさとし 長女)によるギャラリートーク

 

本展開幕前日、加古総合研究所 代表でかこさとしの長女 鈴木万里氏によるプレス向けのギャラリートークが行われました。その内容を特別にご紹介いたします。


『宇宙進化地球生命変遷放散総合図譜』について

2019年にNHK日曜美術館で図譜(『宇宙進化地球生命変遷放散総合図譜』)を紹介くださったのですが、その中で2017年に収録したかこのインタビューがありました。生命図譜を描く理由を語ったものですが、趣旨はこんなことだったと思います。“地球に生きる全てのものはビックバン以降によって誕生したものなのだから、宇宙誕生、地球誕生、生命誕生、そして生き物の誕生、そういうスケールで見ておかなければ、人間の存在意義(かこはアイデンティティという言葉を使っていましたが)をしっかりと見ることはできないのではないか。”

またこの図譜に関しては、かこの孫の中島加名がこんな問いかけをいたしました。

「いずれ書き換えられるに違いないこの図譜を、今描く意義は何なのか」

それに対してかこはこう答えました。

「書き換えてくれて大いに結構。今分かっていることを描くからいいんだ」

かこの申しました“今”とは、宇宙誕生から今に至るまでの長い歴史の中での今、つまりかこがこの図譜を描いていた時期になるのだと思います。具体的に言いますと、恐らくは1970年代の終わり頃からかこの晩年までの約40年間のことではないかと。かこは大型の科学絵本を描くときに大変時間をかけます。とにかくありとあらゆる情報を収集して、勉強して、推敲して、それを削りに削って圧縮して1冊の絵本に仕上げます。その中で非常に重要だけれど、本文を構成するには入れられない、という事項が本の見開きあるいは扉、ときには表紙にも出ていることがあります。

例えば『人間』という絵本を見てみますと、見返しの部分に「人間の歴史の図表」とあります。それからその中には「分子生物学と古代生物学による生物の発展・文化の系統図」とあり、まるで生命図譜のようです。そして扉には本文の18~19頁と同じ図があります。かこが本文と同じ絵を前扉にも持ってくる、というのは他に例がなく、それほどにこの図に深い思いがあったに違いない、と想像できます。1980年頃は宇宙の歴史は150億年、とい言われていたかと思います、現在では少し違っているかと思いますが。生命図譜にはやはり150億年と描かれております。

 

鈴木万里氏         

                     

かこがあの生命図譜を描いた目的は、生物学者ではありませんので、完全で正確な生き物の系統図を作るという事ではなくて、むしろ時間を対数でとって、宇宙誕生から今までを一目瞭然に出来るようにして、一目で見られる状態を前にして人間の未来について考えてほしい。これが目的だったと思います。

 

第1章 絵を描く科学者 青年期に見つめたもの

かこは中学生の頃、飛行機の技術の粋(すい)が素晴らしいと思い、憧れて飛行士になりたいと思いました。ところが目が悪くてなれず、高校に進みます。高校2年生の秋にこの東京の空で攻撃を受けて墜落していく飛行機、そこからようやく脱出した飛行士の落下傘が開かず、悲しい最期を遂げます。かこが目の当たりにした衝撃的な現実でした。そして飛行機の持つ意味、というのがそこでようやくはっきりと分かった。それにも衝撃を受けたようです。翌年、終戦となりました。世の中の人々の態度は180度変わり、かこは生きる目標を失います。

「死にはぐれ、何の目的で生きたらいいのか。何を目標にしたらいいのか。どうやって償いをしたらいいのか」

かこは悩みに悩みました。その自分を描いたのが1章の初めにある小さな板絵です。大変小さな板絵ですが、そこからは苦しみが滲み出てくるような表情が読み取れるのではないでしょうか。真っ暗闇の只中のような日々だったと思いますが、そこに一筋の光が差し込んだとすれば、それは子どもたちの存在でした。

 

第2章 子どもたちから教わったこと セツルメントでの活動

大学生の時もそうですが、かこは長い休みには家族の住む京都府宇治市に戻っていました。家の近くの黄檗山萬福寺の境内で静かに過ごすのが好きだったようです。その境内で楽しげに遊んでいる子どもたちを見つめながら、

「子どもたちのために生きるのであったならば、この余命が活きたものになるのではないか」

そんな風に思ったのだそうです。自分は誤った判断をしてしまったけれど、子どもたちには賢くなって、正しい判断をして、平和のうちに健やかに成長してほしい、こう願ったわけです。その理想を絵にしたようなものが 2章の初めに飾ってある〈平和の踊り〉、通称〈わっしょいわっしょいの踊り〉というものです。この絵のモノクロの絵ハガキをご覧になった当時の福音館書店編集長の松居直さんが、かこを絵本を描く道へと招きいれてくださいました。『ダムのおじさんたち』というデビュー作は4章の初めに飾られておりますし、その後こういっただるまちゃんシリーズですとか、沢山の絵本を描かせていただくことになりました。

少し話が戻りますが、かこは子どもたちのことを知りたくて、一生懸命に観察しました。一緒になって遊びました。そして沢山のことを学びました。どんなに一生懸命に描いても見向きもされない紙芝居も沢山あったといいます。子どもたちが何を喜んだかと申しますと、面白いものです。面白いというのは、大笑いして笑えるというものではありません。たとえ悲しくても、つらい物語でも心の琴線に触れれば子どもたちは面白いと思ってくれます。あるいはどんなに難しいことであっても、それが子どもたちの身近なところから始まって、ひとつひとつ分かるように丁寧に説明していくと、分かって楽しい、知的でワクワクしてくる。そうすると自主的に次を求めてくる。子どもたちはそういうものなんだ、ということが分かりました。20年間、毎週日曜にセツルメントで活動してこどもたちから教わったのです。

セツルメントの事に関しては今回3枚の貴重な写真を展示させていただいております。これは昨年、田村茂氏によって撮影されたフィルムが発見されまして、川崎のセツルメントの子どもたちを撮っておりました。その中にかこと子どもたちが写っているわけです。川崎の臨港地帯で働く労働者の人達が住む簡素な社宅に住んでいる家族の子どもたちと一緒になってかこは遊んでいたのですが、写真からその雰囲気がお分かりいただけると思います。

 

さいごに

そうやって沢山の事を子どもたちから教わり、それを今度は絵本を通じて、世界の歴史あるいは文化や芸術、苦しいことを乗り越えてきた人の話、心や福祉のこと…あらゆることを子どもたちに伝えたい、その思いで発表したのが3章(だるまちゃんとからすのパンやさん 名作に込めた想い)と、4章(子どもたちに知ってほしい さまざまなこと)で展示されている絵です。