2022.06.10 UP
徹底比較!ボテロが捧げる、名画へのオマージュ
ボテロを魅了したヤン・ファン・エイク作品
北方ルネサンスの巨匠ヤン・ファン・エイクをボテロは崇敬し、特にその《アルノルフィーニ夫妻の肖像》(※本展には出展されません)については何度も“バージョン(翻案作品)”を制作している。どれも原作にかなり忠実な構図やモチーフが引用されつつボテロ独特の表現が取り入れられているが、本展ではそのうち2006年制作のバージョンが出展中である。
フランドルの画家であるファン・エイクの経歴は曖昧で謎に包まれているが、その類まれなる画才で1422年よりブルゴーニュ公国に宮廷画家として仕えている。また、1432年に完成した細密画の大作《ヘントの祭壇画》が評判を呼び、宮廷外でも貴族や裕福な人々から祭壇画や肖像画の依頼が舞い込むようになる。銀行家一族アルノルフィーニ家の一員であるジョヴァンニ・デ・ニコラオと、その妻でメディチ家と姻戚関係にあるコスタンツァ・トレンタを描いたと考えられる《アルノルフィーニ夫妻の肖像》もそのような依頼制作による。
実はコスタンツァは1433年に他界しているため、その翌年に制作された当作品は彼女の一周忌に向けて発注された可能性が高い。その前提で作品を見ていくと、いくつか推察できることがある。たとえば、上部に描かれたシャンデリアに蝋燭が1本だけ灯されているのは、現世に夫が1人残されていることを暗示するのではないか。そして夫妻の足元には犬が描かれているが、当時の墓標には忠誠のシンボルとして犬が彫られる慣わしであったという。また、夫妻の後方の壁に掛けられた丸鏡のフレームには、復活と受難の場面がそれぞれ描かれている。これは追悼の意に加え、キリストの死から生じた永遠の命の約束をも表す。
ちなみに、描かれている情景については、結婚や婚約の場面であるといった別の見解の研究もあり、また相手の女性についても未だ特定できていない状況である。現代人の我々には謎の多い不可解な作品だが、それがまた魅力でもある。
ヤン・ファン・エイク 《アルノルフィーニ夫妻の肖像》1434年 油彩/板 82.2x60cm ロンドン・ナショナル・ギャラリー 提供:アフロ ※本展には出展されません
フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》
2006年 油彩/カンヴァス 205x165cm
鏡の中の世界
ところで、この丸鏡を凝視すると、夫妻の後ろ姿に加え、夫妻と向き合って立つ2人の人物が描かれている。つまり、鏡の中に、画面には描かれていない部屋の反対側までもが映り込む、という設定になっているのだ。このうちの1人はファン・エイク本人だと言われているが、ではもう1人の人物はいったい誰なのだろう。なお、鏡に映り込む描写から、これが凸面鏡であることに気づくが、当時は平面鏡よりも凸面鏡の方が一般的であったようだ。
ではここでボテロの《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》を見てみよう。ファン・エイク作品を参照し彼特有のふくよかなボリューム感で描いていることが一目瞭然だが、モチーフに一部変更が加えられている。まず、窓付近に置かれる果物がオレンジからリンゴに代わっている。犬の種類も明らかに異なる。シャンデリアには蝋燭が立てられてはいるが、1本も火は灯されていない。(余談だが本展に出展中の《大統領と閣僚たち》(2011年)という作品にも同様のシャンデリアが描かれているが、そちらでは全ての蝋燭に火が灯されている。)そして、例の凸面鏡であるが、ボテロ作品には鏡の中にファン・エイク達の姿は無く、後ろ姿の夫妻の向こう側にはほぼ閉ざされた扉だけが映っている。ボテロは作品に鏡を好んで登場させるが、鏡の中の世界では描かれた場面を忠実に反映しないことも多い。(その点については本展の《バーレッスン中のバレリーナ》(2001年)や《パーティーの終わり》(2006年)などでも確認できる。)このように鏡の世界では遊び心を発揮する傾向の強いボテロだからこそ、元のファン・エイク作品の不可思議さをそのまま生かすのではと思いきや、そうではない。それどころか、更に発展させ扉をほとんど閉ざしている。しかし完全に閉め切ってはいないので、2人の到着を待っている状態なのであろうか。あるいは、2人とも既に退出してしまったのだろうか。いずれにしろ、ボテロもファン・エイク作品に自分なりの解釈を加えたことにより、観る側の意表を突いてくる。
参考文献:ティル=ホルガー・ボルヘルト『ヤン・ファン・エイク』タッシェン・ジャパン、2009年
Bunkamura ザ・ミュージアム
学芸員 岡田由里