ボテロ展 ふくよかな魔法

コラムコラム

COLUMN 1

故郷コロンビアの花の記憶

フェルナンド・ボテロ《黄色の花》(3点組)
2006年 油彩/カンヴァス 199x161cm
フェルナンド・ボテロ《黄色の花》(3点組)
2006年 油彩/カンヴァス 199x161cm
フェルナンド・ボテロ《青の花》(3点組)<br>
2006年 油彩/カンヴァス 199x161cm
フェルナンド・ボテロ《青の花》(3点組)
2006年 油彩/カンヴァス 199x161cm
フェルナンド・ボテロ《赤の花》(3点組)
2006年 油彩/カンヴァス 199x161cm
フェルナンド・ボテロ《赤の花》(3点組)
2006年 油彩/カンヴァス 199x161cm

本展出展中の《黄色の花》、《青の花》、《赤の花》という3点組の作品は各々高さ2メートルほどの大画面いっぱいに、花瓶に生けられた花の束が描かれている。一見するといかにもボテロらしい、モチーフをふくよかに膨張させた作品に思える。しかし実際に現物を前にすると、花瓶に溢れんばかりに生けられた花々が、一つ一つ丁寧に描かれていることが見て取れる。ちなみに、黄色、青、赤という色の組み合わせはボテロの出身国コロンビアの国旗の配色と同じである。

何を隠そうコロンビアは切り花の輸出大国であり、オランダに次ぐ世界第2位の位置を占めている。その主な輸出先は米国だが、日本にもカーネーションなどを大量に輸出している。また、生産地は首都ボゴタに集中しているものの、実はボテロの出まれ育ったメデジン近郊でも花産業は昔から盛んであった。

メデジンで毎年8月に開催されるイベントに「花祭り」がある。コロナ禍の昨今では開催が延期されたり、規模が縮小されたりということはあるが、とにかく中南米でも有数のお祭りとして知られている。花の名産地であるメデジン近郊の村サンタ・エレナから花を背負い、メデジンの街まで売りに来ていたシジェテロと呼ばれる人たち。その様子を起源とし、数百人のシジェテロが大きな花飾りを背負い、街をパレードする。シジェテロの手作りによる色とりどりの花飾りの競演を、一目見ようと世界中から観光客が集まってくる。

このメデジンの花祭りは1957年から開催されている。1932年生まれのボテロは当時既に25歳、ヨーロッパを経てメキシコに移住し、初めて米国を訪問した後、コロンビアの首都ボゴタに居を移した年にあたる。おそらくメデジンの花祭りも開催当初から何度も目にしていることだろう。また、花祭り開催以前の幼少期より、花々を身近に感じられる環境にあったとも考えられる。

花の3点組の作品には、何種類もの花々が所狭しと詰め込んで描かれている。モデルやモチーフを見ながらではなく、記憶を頼りに作品制作をするというボテロ。このように何種類もの花を描くことができるのは、頭の中に故郷コロンビアで眼にしたまばゆい花々の情報を蓄積した、何段もの引き出しがあるからに違いない。

Bunkamura ザ・ミュージアム
学芸員 岡田由里

COLUMN 2

ボテロ作品、その意外な真実

フェルナンド・ボテロ
《大統領と閣僚たち》 2011年 油彩/カンヴァス
フェルナンド・ボテロ
《大統領と閣僚たち》 2011年 油彩/カンヴァス

描く対象を大胆にボリューム・アップし、ふくよかにデフォルメしてはいるものの、ボテロは間違いなく具象の作家である。しかし作家本人いわく、自身の描く具象的作品は、抽象芸術に触れたことから生まれているという。では、ボテロ作品における抽象表現の影響とは、どのような点であろうか。

《大統領と閣僚たち》は、ボテロ作品の特徴が顕著に表れた1点である。人物は皆ボテロ特有のふくよかなフォルムで描かれ、中央のひときわ大きな燕尾服の男性が大統領で、その周りを閣僚たちが取り囲む。閣僚に軍人と宗教家が含まれるのは、ボテロ若かりし頃のコロンビア内閣の実情であろう。また、多人種の共存するコロンビアらしく、集まった人々の肌の色は様々である。

一見したところ抽象的要素は特に見当たらないが、ボテロは次のように述べている。「抽象画家であれば、好きなところにそのまま色を置くことが出来るでしょう。しかし具象画家にとっては、色彩のために何か具体的なものを見つけなければなりません。だから私は比例というものから自由になる必要があったのです。抽象画家のやり方で色彩に従うために、大小のフォルムを自由に置くことが出来るようにならなければいけませんでした。」要するに、自分の好きな色を好きな所に好きなだけ塗るために人物の大きさや配置を決め、またそれゆえ写実ではなくデフォルメして描く。すなわち、ボテロは作品形成の根源的なところに抽象表現のロジックを取り入れているのだ。

ニューヨークで貫いた信念

ボテロは20代前半にヨーロッパやメキシコで修行した後、25歳の1957年にワシントンでの展覧会に参加、そこで初めて米国の現代美術作品を目にした。これに触発されたボテロはニューヨークに渡り、抽象表現主義やポップアートといった当時の最先端アートを吸収する。ウィレム・デ・クーニングやフランツ・クライン、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコらの抽象表現主義を代表する作家たちとも交流するが、彼はかたくなに独自の具象表現を貫き通す。「抽象表現主義は大変重要な運動でした。私はその描法、筆触というものが気に入っています。ニューヨークにいたころにはそうした自由な筆致を試みたこともありましたが、それは間違いでした。私の行おうとしたものとは対極にあったのです。」しかしそのコンセプトには大いに共感するところがあったようだ。彼はこうも述べている。「私の描く具象的作品は、抽象芸術に触れたことから生まれたものです。抽象絵画の成立以前に描かれた具象絵画と同種のものではありません。」

この点を念頭に置くと、人物が無表情に描かれるというボテロの特質にも納得がいく。ボテロは常々、人物を用いて静物画を描いているのだと公言している。「私の絵画に必要なのは、フォルムであって人間ではありません。なんでもいいからフォルムを付け加えることは、抽象美術に触れた経験によるものです。」他にも、大きなカンヴァスを好んで使用するという点でも、ニューヨークの抽象作家との共通項を見出すことが出来る。ボテロは抽象表現主義の、テーマや図像は無視し感情の赴くままに色彩や筆致での表現を追求する表現至上的な概念にのっとり、ルネサンス美術などの西洋美術の伝統的技巧、そして自身のルーツであるコロンビアのモチーフを駆使し、具象的な表現で作品を仕上げる唯一無二の作家なのである。また裏を返せばボテロ作品はあらゆる美術表現を研究し尽くした賜物であり、作品上で南米および西洋の美術史をたどることができるとも言える。

Bunkamura ザ・ミュージアム
学芸員 岡田由里

COLUMN 3

徹底比較!ボテロが捧げる、名画へのオマージュ

ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》1434年 油彩/板 82.2x60cm ロンドン・ナショナル・ギャラリー 提供:アフロ ※本展には出展されません
ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》1434年 油彩/板 82.2x60cm ロンドン・ナショナル・ギャラリー 提供:アフロ ※本展には出展されません

フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》 2006年 油彩/カンヴァス 205x165cm
フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》 2006年 油彩/カンヴァス 205x165cm
ボテロを魅了したヤン・ファン・エイク作品

北方ルネサンスの巨匠ヤン・ファン・エイクをボテロは崇敬し、特にその《アルノルフィーニ夫妻の肖像》(※本展には出展されません)については何度も“バージョン(翻案作品)”を制作している。どれも原作にかなり忠実な構図やモチーフが引用されつつボテロ独特の表現が取り入れられているが、本展ではそのうち2006年制作のバージョンが出展中である。

フランドルの画家であるファン・エイクの経歴は曖昧で謎に包まれているが、その類まれなる画才で1422年よりブルゴーニュ公国に宮廷画家として仕えている。また、1432年に完成した細密画の大作《ヘントの祭壇画》が評判を呼び、宮廷外でも貴族や裕福な人々から祭壇画や肖像画の依頼が舞い込むようになる。銀行家一族アルノルフィーニ家の一員であるジョヴァンニ・デ・ニコラオと、その妻でメディチ家と姻戚関係にあるコスタンツァ・トレンタを描いたと考えられる《アルノルフィーニ夫妻の肖像》もそのような依頼制作による。

実はコスタンツァは1433年に他界しているため、その翌年に制作された当作品は彼女の一周忌に向けて発注された可能性が高い。その前提で作品を見ていくと、いくつか推察できることがある。たとえば、上部に描かれたシャンデリアに蝋燭が1本だけ灯されているのは、現世に夫が1人残されていることを暗示するのではないか。そして夫妻の足元には犬が描かれているが、当時の墓標には忠誠のシンボルとして犬が彫られる慣わしであったという。また、夫妻の後方の壁に掛けられた丸鏡のフレームには、復活と受難の場面がそれぞれ描かれている。これは追悼の意に加え、キリストの死から生じた永遠の命の約束をも表す。

ちなみに、描かれている情景については、結婚や婚約の場面であるといった別の見解の研究もあり、また相手の女性についても未だ特定できていない状況である。現代人の我々には謎の多い不可解な作品だが、それがまた魅力でもある。

鏡の中の世界

ところで、この丸鏡を凝視すると、夫妻の後ろ姿に加え、夫妻と向き合って立つ2人の人物が描かれている。つまり、鏡の中に、画面には描かれていない部屋の反対側までもが映り込む、という設定になっているのだ。このうちの1人はファン・エイク本人だと言われているが、ではもう1人の人物はいったい誰なのだろう。なお、鏡に映り込む描写から、これが凸面鏡であることに気づくが、当時は平面鏡よりも凸面鏡の方が一般的であったようだ。

ではここでボテロの《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》を見てみよう。ファン・エイク作品を参照し彼特有のふくよかなボリューム感で描いていることが一目瞭然だが、モチーフに一部変更が加えられている。まず、窓付近に置かれる果物がオレンジからリンゴに代わっている。犬の種類も明らかに異なる。シャンデリアには蝋燭が立てられてはいるが、1本も火は灯されていない。(余談だが本展に出展中の《大統領と閣僚たち》(2011年)という作品にも同様のシャンデリアが描かれているが、そちらでは全ての蝋燭に火が灯されている。)そして、例の凸面鏡であるが、ボテロ作品には鏡の中にファン・エイク達の姿は無く、後ろ姿の夫妻の向こう側にはほぼ閉ざされた扉だけが映っている。ボテロは作品に鏡を好んで登場させるが、鏡の中の世界では描かれた場面を忠実に反映しないことも多い。(その点については本展の《バーレッスン中のバレリーナ》(2001年)や《パーティーの終わり》(2006年)などでも確認できる。)このように鏡の世界では遊び心を発揮する傾向の強いボテロだからこそ、元のファン・エイク作品の不可思議さをそのまま生かすのではと思いきや、そうではない。それどころか、更に発展させ扉をほとんど閉ざしている。しかし完全に閉め切ってはいないので、2人の到着を待っている状態なのであろうか。あるいは、2人とも既に退出してしまったのだろうか。いずれにしろ、ボテロもファン・エイク作品に自分なりの解釈を加えたことにより、観る側の意表を突いてくる。

参考文献:ティル=ホルガー・ボルヘルト『ヤン・ファン・エイク』タッシェン・ジャパン、2009年

Bunkamura ザ・ミュージアム
学芸員 岡田由里