マン・レイと女性たち

COMMENTARY章解説

1
都市と自然―モネ、ルノワールと印象派

19世紀後半のフランスでは、産業の機械化と市民社会の成立によって急速に近代化が進み、都市を中心に人々の価値観が大きく変化しました。鉄道網が敷かれ、首都パリに大量の人々が労働力として流入するとともに、裕福な都市生活者が週末には自然豊かな郊外で余暇を楽しむという新しい生活様式が生まれました。こうした時代背景のもと、1870年代には伝統的なアカデミスムからの脱却を目指したクロード・モネやピエール・オーギュスト・ルノワール、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレーら印象派の画家たちが、新しい時代にふさわしい絵画を制作しはじめます。

本章に登場する画家

ジャン=バティスト=カミーユ・コロー/クロード・モネ/ピエール・オーギュスト・ルノワール/カミーユ・ピサロ/アルフレッド・シスレー/アルマン・ギヨマン

クロード・モネ 《睡蓮》1907年 油彩/カンヴァス
クロード・モネ 《睡蓮》1907年 油彩/カンヴァス

モネは50歳代にジヴェルニーに日本風の庭園をつくり、亡くなるまでその庭を描き続けました。特に睡蓮の池は重要なテーマとなり、独特の世界観で約200点もの作品を残しています。

ピエール・オーギュスト・ルノワール《髪かざり》1888年 油彩/カンヴァス
ピエール・オーギュスト・ルノワール《髪かざり》1888年 油彩/カンヴァス

女性が髪に花飾りを着けてもらっています。これは当時の上流階級の女性たちが家で過ごす際の習慣でした。ルノワールは女性たちの身づくろいの様子を好んで画題としています。

アルフレッド・シスレー 《ロワン河畔、朝》1891年 油彩/カンヴァス
アルフレッド・シスレー 《ロワン河畔、朝》1891年 油彩/カンヴァス

シスレーが晩年を過ごしたパリ郊外フォンテーヌブローの森近辺の風景です。明るい色彩を多用し、朝の光に照らされて輝く水面がやわらかな色調で表現されています。

アルマン・ギヨマン《ロバンソンの散歩》1878年頃 油彩/カンヴァス
アルマン・ギヨマン《ロバンソンの散歩》1878年頃 油彩/カンヴァス

パリ近郊の行楽地のガンゲット(ダンス・ホールを備えた居酒屋)にはレジャーを過ごす人々が押し寄せました。ロバに乗って散策するアトラクションも人気でした。

2
日常の輝き―セザンヌ、ゴッホとポスト印象派

絵具を混ぜずにそのまま画面上に配置していき、明るい色彩を表現する「筆触分割」という技法が印象派によって開発され、後に続く画家たちの指針となりました。ポール・セザンヌやフィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・シニャックなど、後に「ポスト印象派」と呼ばれる画家たちは、このような印象派の試みを起点としながらも統一した様式を共有することなく、それぞれが個々の理想とする表現を求めて新しい芸術を切り拓いていきました。

本章に登場する画家

ポール・セザンヌ/ポール・ゴーガン/フィンセント・ファン・ゴッホ/ポール・シニャック/アンリ・エドモン・クロス/イポリート・プティジャン/ピエール・ボナール/ピエール・ラプラード

フィンセント・ファン・ゴッホ 《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年 油彩/カンヴァス
フィンセント・ファン・ゴッホ 《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年 油彩/カンヴァス

南仏アルルの運河にかかる橋と洗濯女が描かれています。赤がアクセントとして効果的に使われています。

ポール・セザンヌ 《プロヴァンスの風景》1879-1882年 油彩/カンヴァス
ポール・セザンヌ 《プロヴァンスの風景》1879-1882年 油彩/カンヴァス

セザンヌの故郷であるプロヴァンスの風景があざやかな色彩で描かれています。南仏の陽光のまぶしさを感じさせるとともに、物質の量感や空間の広がりがとらえられています。

ポール・ゴーガン 《白いテーブルクロス》1886年 油彩/板
ポール・ゴーガン 《白いテーブルクロス》1886年 油彩/板

これはゴーガンが滞在していたブルターニュの下宿屋の夫人に贈るために描かれた作品で、ワインデカンタ、ブルターニュの伝統的な水差し、サクランボ入りの器が気取りなく描かれています。

ピエール・ボナール 《浴槽、ブルーのハーモニー》1917年頃 油彩/カンヴァス
ピエール・ボナール 《浴槽、ブルーのハーモニー》1917年頃 油彩/カンヴァス

19世紀末になっても浴室がある家庭は少なく、大きなたらいに水を張って入浴をしていました。ボナールは妻マルトが体を洗う日常の場面を繰り返し描いています。

3
新しさを求めて―マティス、ピカソと20世紀の画家たち

20世紀初頭、モーリス・ド・ヴラマンクやアンリ・マティス、ラウル・デュフィが、強烈な色彩の対比を生む作品を制作し「フォーヴィスム」と呼ばれます。対して、ジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソは造形に新しさを求め、対象の形を幾何学的に分析し、単純化した切子面状の形と陰影を用いて再構築する「キュビスム」を確立しました。キュビスムは様々な芸術へと影響を与え、20世紀初頭を代表する芸術運動へと発展していきます。

本章に登場する画家

モーリス・ド・ヴラマンク/アンリ・マティス/ラウル・デュフィ/ジョルジュ・ブラック/フェルナン・レジェ/パブロ・ピカソ

アンリ・マティス 《襟巻の女》 1936年 油彩/カンヴァス
アンリ・マティス 《襟巻の女》1936年 油彩/カンヴァス

のびやかな女性像がこの上なくシンプルに描かれていますが、マティスは激しい色彩のコントラストを大胆に操り、奥行きや凹凸の表現を省いた表面的な画面構成を成し遂げています。

フェルナン・レジェ 《鏡を持つ女性》1920年 油彩/カンヴァス
フェルナン・レジェ 《鏡を持つ女性》1920年 油彩/カンヴァス

円筒形、直方体などの幾何学的な形が複雑に組み合わされた中に鏡が組み込まれています。建築の製図工として働きながら絵画を学んだレジェの得意とする、幾何学的な表現を駆使した作品です。

4
芸術の都―ユトリロ、シャガールとエコール・ド・パリ

印象派の登場以来、新しい芸術を生み出し続けてきたパリは「芸術の都」と称され、世界各国の若い芸術家たちを魅了します。イタリアからパリに移住したアメデオ・モディリアーニをはじめ、ブルガリアのジュール・パスキン、オランダのキース・ヴァン・ドンゲンや、ポーランドのキスリング、ロシア(現ベラルーシ共和国)のマルク・シャガールなど、多くの新しい才能がパリに集い、独自性を発揮しました。「エコール・ド・パリ」(パリ派)と呼ばれた彼らの作品は、独学で絵画を制作したモーリス・ユトリロとともに、自由で開放的な当時のパリの空気を体現しています。

本章に登場する画家

モーリス・ユトリロ/アメデオ・モディリアーニ/シャイム・スーティン/ジュール・パスキン/マリー・ローランサン/キース・ヴァン・ドンゲン/キスリング/マルク・シャガール

アメデオ・モディリアーニ 《ルネ》 1917年 油彩/カンヴァス
アメデオ・モディリアーニ 《ルネ》1917年 油彩/カンヴァス

モデルはキスリングの妻ルネ・グロです。断髪にネクタイ姿のギャルソンヌ・スタイルは第一次世界大戦頃からパリで流行したファッションです。

キスリング 《花》1929年 油彩/カンヴァス
キスリング 《花》1929年 油彩/カンヴァス

キスリングはパリの社交界の人々と交友し、艶やかな色彩で、肖像画に加え花瓶に生けられた花の作品を多く描きました。

モーリス・ユトリロ 《シャップ通り》1910年頃 油彩/厚紙
モーリス・ユトリロ 《シャップ通り》1910年頃 油彩/厚紙

遠景には当時完成したばかりのサクレ=クール寺院がそびえ、ユトリロが生まれ育ったモンマルトルの象徴となっています。同じ構図の作品が他に6点も確認されています。