ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展

COLUMNコラム

COLUMN1

ナポレオンの遠征とエジプト

ナポレオン率いるフランス軍は1798年、エジプトに侵攻しました。この時ピラミッドの目前でナポレオンが「兵士諸君、4000年の歴史が見下ろしている」と発したのは有名なエピソードですが、実はこのナポレオンのエジプト遠征が「エジプト学」の発展に大きく寄与しています。ナポレオンのエジプト遠征は1801年に失敗に終わりますが、歴史学者、博物学者、天文学者、建築家、数学者、芸術家等からなる総勢150名を超える学術調査団を引き連れていました。象形文字ヒエログリフの解読の手掛かりとなったロゼッタ・ストーンもこの遠征時に発見されました。この時の調査資料をもとに刊行された『エジプト誌』には精緻な銅版画挿絵がふんだんに盛り込まれており、19世紀前半のヨーロッパ社会に熱狂的に受け入れられたのです。またヒエログリフの解読によって、碑文やパピルスなどに記された古代文字資料の研究が進み、さらなる発掘調査がエジプト各地においてヨーロッパ諸国主導で敢行されることになりました。
本展の出展作品を所蔵するライデン国立古代博物館はヨーロッパにおける5大エジプト・コレクションの1つとして知られ、200年以上の長きにわたり調査、研究を進めてきました。本展は18世紀から近年のCTスキャンなどの最新技術を駆使した研究プロジェクトに至るまでのエジプト学の流れを展観する構成となっています。

ギザの大スフィンクス

1698年『コルネリス・ドゥ・ブラウンの旅』
ミイラのCTスキャンの様子
2019年

しき霊魂住処

本展は前述のとおり博物的な『古代エジプト展』であるとともに、現代人の美意識に訴える見目麗しい作品に満ちた展覧会でもあります。
特に注目すべき見所は装飾美あふれる何点もの棺類の競演です。古代エジプトでは死後の人体から霊魂(カァとバァ)が一度は離れるものの埋葬後の肉体と結合し、死後の世界で生き続けるとされました。死体は神官たちによって内臓が取り除かれ、乾燥後に防腐処置が施されてミイラとなり、総計何百メートルもの亜麻布で丁寧に包まれ、魔除けのお守りが装着された後に棺に納められました。棺はミイラを野生動物や墓荒らしから守るためのものでしたが、当時の人々には死者の霊魂が戻ってくる住処として認識されていました。
もともとはシンプルな箱型の直方体でしたが、紀元前1980年頃の中王国時代より人形棺が作成され、また防護力を強化すべく二重になり、紀元前1539-1077年頃の新王国時代には内側と外側の二重構造を持つ人形棺が一般的なスタイルとなりました。加えて「ミイラマスク」や「ミイラ覆い(カバー)」が更なる保護のため内棺に納められたミイラの上に直接に被せられました。これらのミイラマスクや棺には、霊魂が戻って来た時に正しい肉体を見分けることができるよう死者の理想化された顔が描かれており、観る者を古代エジプトの世界にいざないます。

アメンヘテプの内棺

第3中間期、第21王朝(前1076-944年頃)
テーベ

必見!アメンヘテプのミイラカバー

棺や覆いの表面には余すところなく装飾が施されていますが、それらは死者のための呪文や宗教的なシンボルです。本展に出展される神官・アメンヘテプのミイラ覆いに描かれた図像にも、奥深いメッセージが込められています。
首の周りから肩とウエスト部分に至るまでを覆い尽くすのは精巧なエジプト睡蓮の花弁の襟飾りです。睡蓮は太陽神の聖花であり、再生と復活の象徴でした。また襟飾りの端にあたる肩の部分にはハヤブサの頭が描かれています。ハヤブサは神聖な動物であり、冥界の支配者であるオシリス神の下に死者を案内する役目を担うホルス神を表します。
アメンヘテプの両手首の交差した部分の上下には太陽神と同一視された創造のシンボル、甲虫スカラベが配されています。しかし最も目を引くのは左右の幅いっぱいに羽を広げた女神ヌウトの図像でしょう。女神ヌウトは生命と支配を象徴する天空の女神であり、その翼で死者を包んで保護すると信じられました。さらに下半身部分にはヒエログリフで死後の世界に生きる死者を守護するための呪文がびっしりと書き込まれています。見入っていると私たちもいつの間にか死後の世界に紛れ込んでしまうかもしれません。

アメンヘテプのミイラ覆い

第3中間期、第21王朝(前1076-944年頃)
テーベ

アメンヘテプのミイラ覆い(部分・胸部)

第3中間期、第21王朝(前1076-944年頃)
テーベ

アメンヘテプのミイラ覆い(部分・腹部)

第3中間期、第21王朝(前1076-944年頃)
テーベ

アメンヘテプの内棺(部分・側面)

第3中間期、第21王朝(前1076-944年頃)
テーベ

日本ではしい展示方法

本展ではライデン国立古代博物館の常設エジプト・ギャラリーにならい、多くの棺や覆いを平置きではなく立てた状態で展示します。日本では珍しい展示方法ですが、このように展示される棺は木材で作られた非常に状態の良いものに限られます。棺の材質としては他にカルトナージュという亜麻布やパピルス、にかわ、漆喰を重ね合わせた張り子材がありますが、重用されたのはその費用の安さからです。ナイルの河岸以外はほぼ砂漠地帯のエジプトに大木は少なく、それゆえ木材は貴重品で、棺にも複数の部材を組み合わせて使用しました。
希少な木材が多用されていることからも、古代エジプト人の棺に対する、ひいては死後の世界に対する思いの丈をうかがい知ることができます。棺に代表される古代エジプト人の英知や技巧が結集した美しい遺物の数々を、ぜひ本展にてご堪能ください。

Bunkamura ザ・ミュージアム 学芸員 岡田由里

All Images © Rijksmuseum van Oudheden (Leiden, the Netherlands)

COLUMN2

身体が部分的に横、前、横を向く不自然な姿勢の神々と登場人物
死者の書から読み解く、古代エジプト美術の特徴と日本美術との相違点

パディコンスの『死者の書』

第3中間期、第21王朝(前1076-944年頃) Image © Rijksmuseum van Oudheden (Leiden, the Netherlands)

古代エジプトで盛んに作られた「死者の書」は、現代日本における「戒名」のごとく故人の死後の世界での安寧を願うもので、呪文や祈祷文に挿絵が加えられ、死者の棺に直接記されたり、パピルスに書かれたものがミイラと一緒に埋葬されたりしました。本展の出展作品の中にも死者の書からの抜粋が棺や石碑などに散見されますが、ここでは神官パディコンスのために描かれたパピルスの断片を見てみましょう。

白い衣をまとったパディコンスに注目してみると、何か違和感を感じませんか? そうです、彼の顔は左向きなのに、目だけは正面から見た形で描かれています。また、上半身は正面向きなのに腰から下は左向きになっていますが、不自然に身体をねじ曲げているようには見えません。パディコンスが対峙する神々も、左右こそ逆ですが同様の法則で表されています。これは古代エジプト特有の人物像の描写方法で、このルールを正しく守ることで像に命が吹き込まれ、付記された呪文も死後の世界で正しく効力を発揮する、と信じられていたのです。

また、白い衣の人物像は2体ありますが、実はどちらもパディコンスで、右側ではラー・ホルアクティ神に、左側ではオシリス神とイシス女神にそれぞれ供物を捧げています。同一人物が一場面に複数描かれるこの手法は、日本の絵巻物で時間の経過を視覚化するために使われる異時同図法と非常に似通っています。他にも遠近法に縛られない平面的な表現方法なども日本の古来からの描画方法との共通点として挙げられますので、我々日本人は無意識のうちに親近感を覚え、心を引きつけられるのかもしれません。

Bunkamura ザ・ミュージアム 学芸員 岡田由里