ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代

CORRELATION相関図

ビュフェの作品を生む背景となった同時代の人々

画家としてデビューしたビュフェを支えたのは、20歳のとき出会ったピエール・ベルジェでした。社交が苦手だったビュフェをさまざまな人に紹介し、実質的なマネージャーの役割を果たします。『木を植えた男』で知られるジャン・ジオノもその一人で、南仏の自宅を訪ねてきた二人に住まいを提供した他、ビュフェの評論執筆や個展への序文寄稿など、手厚い支援を行いました。

しかし1958年、ビュフェはアナベルと出会い、8年ものあいだ公私にわたるパートナーであったベルジェとの別れを選びます。ベルジェはやがてデザイナーのイヴ・サン=ローランのパートナーとなり、ファッション界でも大きな影響力を持ちました。

ファッションモデルで歌手でもあったアナベルは、『悲しみよこんにちは』で名高いフランソワーズ・サガンとはかねてより交友があり、彼女の詩を1950年代のサン=ジェルマン=デ=プレで歌うなど活動を共にしていました。ビュフェもサガン原案の舞台の仕事で知己を得て以降親交を深めており、サガンは結婚以前から共通の友人でした。カリスマ的芸術家ジャン・コクトーも、自分よりはるかに若いビュフェの才能を絶賛、ビュフェもまた心からコクトーを敬愛していました。

また当時、若者たちに熱狂的に支持されていたのが思想家ジャン=ポール・サルトルや小説家アルベール・カミュです。彼らの不条理の概念はビュフェの作品に重ねられ、ビュフェ自身の思想とは無関係に一部からは「実存主義の具現化」とも評されました。

(ザ・ミュージアム 学芸員 菅沼万里絵)

【相関図】イラストレーターのMIZUKIさんからのコメント

ビュフェの才能に羨望と嫉妬の嵐でした!