ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代

BUFFETビュフェが生きた時代

時代をえぐり出す鋭い描線 その画力が観る者を圧倒する

刺すような黒く鋭い描線と抑えた色彩。対象を極限まで削ぎ落し、ものの本質をえぐり出すベルナール・ビュフェ(1928‐1999)の作品は観る者を捉え釘付けにします。画家として世に出たのは第二次世界大戦の記憶が生々しい時代のことで、その当時の人々の不安と虚無感を、自らも実感し代弁する若き天才画家の作品は悲惨主義(ミゼラビリスム)と呼ばれ一世を風靡します。当時若者の間でブームとなるサルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応し、戦後という時代の空気をいつの時も敏感に感じとり、一方で純粋な志を持ちつづけ、抽象画全盛期のなかで具象絵画の道を貫いたベルナール・ビュフェとは、どんな画家だったのでしょうか。

画家ベルナール・ビュフェ誕生

絵が好きだったビュフェは、ナチス・ドイツの占領下のパリ市の夜間講座に通い、15歳という若さで国立美術学校の入学試験に合格すると、すぐに頭角を現しました。この頃は写実的作風で、またスーチンの激しい描写に強く惹かれ、キュビスムの影響も受けています。しかし17歳で母を脳腫瘍で失い、学校は退学し、貧しい生活を送りながら独り画家の道を歩みだしました。そして1946年初めて公募展に出品し、さらに19歳で初個展を開催、うち1点が国家買い上げとなりました。1948年には若手画家の登竜門である「批評家賞」受賞で一躍脚光を浴びます。この頃の作風は厳しい時代の雰囲気を見事に反映し、抑制された地味な色彩と鋭い線によるストイックな描写を特徴とし、その才能は並み居る若手画家のなかでも傑出していました。

プロヴァンス時代―新天地での変化

1950年、パリの喧騒から抜け出し、ビュフェはパートナーのピエール・ベルジェと小説家ジャン・ジオノを南仏に訪ねて交流を深め、プロヴァンス地方の生活や風景を描きとめました。翌年、ビュフェはベルジェと南仏に古い農場を借り、そこで代表作の数々を生み出していきます。プロヴァンスでの4年間は画家を戦争後の不安や虚無から解放し、画面には穏やかな明るい色調と明快な線も現れますが、人間の負の感情への眼差しは変わることはありませんでした。そして1952年からは画廊との契約によりテーマを定めた個展が毎年恒例となり、油彩作品は大型となり、新しく薄塗りのマティエールを試みるようになります。さらに、ジャン・コクトーら文学者との交流も増え、挿絵などでの共同制作も手掛けました。

激動と表現主義の時代

多忙を極めた1958年、パリの画廊での大規模な個展に10万人が押し寄せました。そして12月には歌手やモデルとして活躍していたアナベルと結婚し、彼女をモデルに多くの作品を発表します。激動のこの年を境に画風には多彩なモチーフ、鮮やかな色彩、より力強く激しい輪郭線、絵具の厚塗りへの移行といった変化が起こり、1960年代に入ると、「自然誌博物館」、「皮を剥がれた人体」、「闘牛」、「狂女」等のシリーズを内から沸き起こる激情のまま描き出し、力強い描線によって表現主義的傾向を強めていきました。既に渦巻いていたビュフェ作品をめぐる賛否両論の嵐が高まりましたが、ビュフェは批判を物ともせず、内なる衝動に突き動かされ、ただ無心に描きつづけました。

レアリスムの時代―名声と理想の狭間

1971年からの5年間は、フランス政府に戦後の具象画壇を牽引してきたことが評価され、勲章を授与されるなど、ビュフェの画業が公に認められる機会に恵まれました。1973年には日本に世界唯一のベルナール・ビュフェ美術館が開館します。絵画制作では1972年頃から写実的な風景画の連作が始まります。外界との接触を避け、アトリエに閉じこもって制作し、これまでの表現とは全く異なるアカデミックな表現は批評家たちを驚かせました。また、間断なく画家を襲う制作上の苦悩は、転居によってのみ解消されるかのように、幾度となく棲家を移しました。

終焉―死の河を渡る

ビュフェは1980年に初めてビュフェ美術館を訪れ日本を堪能しましたが、翌年の夏にアトリエを占拠したのは、苦悶の表情を浮かべる自画像でした。さらに、1983年からは平面的な筆遣いの作品を淡々と描き、そこには感情が排除され、画家の孤独な戦いが続きました。1986年、プロヴァンスに腰を落ち着けると、厳格に日課を守り、ほぼ一日中カンヴァスに向かいます。そして1990年以降は人物描写において攻撃性と自虐性が共生する倒錯した世界観を展開します。しかし1997年にはパーキンソン病を発症し、体力が衰え、死を予測したビュフェは、1999年、翌年の個展に出品する「死」シリーズを5月に完成させましたが、6月末には絵筆が執れなくなり、「絵画は私の命です。これを取り上げられてしまったら生きていけないでしょう」という自身の言葉を証明するかのように、10月4日に自ら命を絶ちました。

ビュフェの生涯を作品で振り返るとき、そこには彼が生きた時代が、そしてその時代に翻弄された心の内面が、色濃く反映されていることが分かります。今日、疫病の不安が重くのしかかり、加えて多くの自然災害に翻弄されるこの時代とはどんな時代なのだろうと問うことが多くなりました。また、時代を越えて必ず訪れる死を正面から見据えたのも、ビュフェの「凄さ」でした。近年、パリ市立近代美術館で本格的な回顧展が開かれ再評価が高まるなか、本展はこの画家の作品世界を「時代」という言葉をキーワードに、油彩を中心とした約80作品で紐解く回顧展です。

(ザ・ミュージアム 上席学芸員 宮澤政男)