ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまでベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

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2017.07.30 UP

【リポート】美術史家・森洋子先生による「ベルギ―奇想の系譜」展開催記念講演会
「ボスからブリューゲルの世界――あの世とこの世の奇想」

7月6日(木)、ベルギー大使館で「ベルギー奇想の系譜」展の開催記念イベントとして、美術史家・森洋子先生の講演会「ボスからブリューゲルの世界――あの世とこの世の奇想」が行われました。
その講演会の様子を、ダイジェストでお届けいたします。


 
“アートの国ベルギー”の魅力

まず講演会では、ベルギー・フランダース政府観光局 日本地区局長 須藤美昭子氏が、2015年より、成田からブリュッセルへの直行便が飛ぶようになったベルギーの魅力をたっぷりと紹介されました。

「ベルギーはとても小さな国ですが、世界有数の芸術大国です」と須藤さんは言います。





たとえば、首都でありEUの本拠地でもあるブリュッセルでぜひ見学したいのは、フランドルの画家たちの作品が充実しているベルギー王立美術館。2009年には隣接してマグリット美術館も開館しました。近年郊外では、ブリューゲルが歩き、スケッチをしたと考えられる「ブリューゲル街道」が整備され、彼が見たであろう風景も楽しめるようになったそうです。

またアントワープでは、今も「ルーベンスの存在感が感じられる」そう。彼の住まい兼工房として構えた大邸宅敷が今も残るこの街には、『フランダースの犬』の主人公の少年ネロが見たいと願ったルーベンスの祭壇画も聖母大聖堂で見ることができます。

その他、中世の街並をそのまま閉じ込めたかのようなブルージュや、ファン・エイクの《神秘の子羊(ゲントの祭壇画)》は絶対に見逃すことができないゲントなど、ベルギー北部のフランダース地方の見どころはたくさん。実際の「芸術」の他、近年「美食」というアート活動にも力を入れているベルギーでは、若手シェフの活躍が目覚ましく、2016年にはベルギーのビール文化がユネスコの無形文化遺産にも登録されました。

「2018年から2020年にかけてベルギーでは、“フランダースの巨匠たち”というテーマで、1年ごとにルーベンス、ブリューゲル、ファン・エイクを取り上げ、各々アントワープ、ブリュッセル、ゲントを中心に国を挙げての大型展覧会が開催されます。ぜひベルギーで、素晴らしいアートをご堪能ください」

 

ボスからブリューゲルの世界――あの世からこの世へ

次に、森洋子先生が16 世紀フランドルの最大の巨匠ピーテル・ブリューゲル(1525/30-1569)を中心に、先人画家ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516)と比較しながら、同時代から16世紀中期まで盛んだった「ボス現象」(多大な模倣者や追従者の出現)に見られる「奇想表現」について講演をされました。ここではボスとブリューゲルに絞って、ダイジェストでご紹介いたします。 とくに皆様にお伝えしたいことは、以下の講演内容のリポートについて、森先生ご自身がいろいろご協力してくださったことです。




500年間のベルギー芸術の歴史で継承された「奇想の系譜」で、15世紀末から16世紀初期に活躍したボスは特異な存在でした。ボスは、例えば三連祭壇画《最後の審判》(1475-85年頃)の中央パネルの「煉獄」と右翼「地獄」で、目をふさぎたくなる恐ろしい悪魔や魔物を充満させ、罪人たちに肉体の苦痛が永劫に続く拷問を与えました。三連祭壇画《聖アントニウスの誘惑》(1500-10年頃)で、修業中の聖人に熾烈な恐怖のイメージで信仰心を揺さぶる光景を表現しました。こうしてボスは同時代の人から「悪魔メーカー」と呼称されたのです。つまり動物の魔物の場合は鳥、獣、爬虫類などを組み合わせ、植物と人間の合成物を案出し、ボスの「あの世の奇想」はすさまじいほど迫真的だったのです。そのためキリスト教徒はこうした画面こそ地獄での「現実」という概念を持ち、「地獄行き」とならない、正しい人間の道を心がけたのです。しかしこうしたボスの悪魔、魔物、怪物たちがすべて彼の創造の産物ではなく、中世美術に豊かな先行例が存在しました。例えば、カトリーヌ・ド・クレーヴの画家が彩飾した『時祷書』の「地獄の口」(1440 年)は猛烈な火の海で表現され、聖堂で修道士たちが座る椅子の裏面(ミゼリコルディア)は悪魔的な鳥人間や誘惑的な人魚など、意表をつく魔物(図1)で彫られていました。
 

図1:聖堂で修道士たちが座る椅子の裏面彫刻


今回の展覧会にはボスの影響を受けた画家たちの作品が展示されていますが、彼らはボス風な異界の生き物をアレンジしながら、グロテスクな”怪物づくし“で競い合いました。だが彼らの課題はホラー好きの購入者の好奇心を満足させることだったのです。したがってボスのようなヴァーチャルな現実味のある教訓性は減速していきました。「卵」のモティーフを例に、ボス、「ボス現象」のチャンピオンの画家ヤン・マンデイン、そしてブリューゲルの作品で比較してみましょう。(図2)
 


図2

 

中身のない亀裂した卵には「無意味な人生」、腐った卵には「偽善者の心」といった暗喩がありました。しかし卵殻が身体となっているボスの樹幹人間が一番、不気味で、教訓性が強いと思います。

ブリューゲルの生存中、彼は“第二のボス”(グィッチャルディーニ、1567年)、没後は“新しいボス”(ランプソニウス、1572年)と言われました。しかしその名称はボスの継承者とかボスを超える画家という意味ではなく、“あの優れたボスに匹敵する”という称賛の言葉と解すべきでしょう。
 


講演の後半はボスとブリューゲルの共通点と相違点を、彼らの「人間観」や「世界観」にもとづき、たくさんのスライドで説明してくださいました。ボスがその作品群の多くで、「あの世の地獄」に重点を置いたのに対し、ブリューゲルは「この世の地獄」を表象し、かつて誰もが描かなかった斬新なモティーフで、当世風な悪魔や怪物を描いたのです。《悪女フリート》(1561年)では、「悪魔をクッションの上で縛る女」(地獄も悪魔も恐れない、腕力の強い主婦の意味)というフランドルの諺を例証しながら、地獄の入り口に向かって挑みかかる、主人公の猛女に注目しました。画面には悪女の攻撃だけでなく、激怒、貪欲、傲慢、怠惰、邪淫、大食などの罪源の擬人像が目につきます。16世紀の人びとがより恐れたのは、「この世の地獄」だったのかもしれません。

ブリューゲルの《反逆天使の転落》(1562年)では、神に謀反を起こし、悪魔に変貌した天使の姿はもはや「ボス風」な悪魔ではなくなります。ブリューゲルは当時の人文主義者たちが最大の関心を抱いた「博物誌」の世界から“取材”し、新大陸アメリカに生息するナマケモノやアルマジロの動物を怪物化したのです。(図3)


図3

ブリューゲルの奇想性は現在、大阪で公開されている《バベルの塔》(1568 年以前、ボイマンス美術館蔵)にも指摘できます。ウィーンの美術史美術館にある前作《バベルの塔》(1563年)とは大きく異なり、この作品では伝統的な主人公ニムロデ王や随行員などは割愛され、その代り、総煉瓦造りの塔、数多くの煉瓦窯、無数の建材、約1400人の工人たちの労働の様子が詳細に表現されています。まさしく「細部に宿る魂」の集合体というのがこの作品の奇想性でしょう。ところでブリューゲル以前に描かれた無数のバベルの塔の範例や彼自身の前作にも描かれなかった、あの不吉で不気味な暗雲はどのような意味を担うのでしょうか。傲慢で不敬な人間に降りかかる神の怒りを暗喩していることは自明でしょう。塔そのものはひじょうに魅力的な形態でありますが、煉瓦という崩壊しやすい材料で天にまで届く塔を作るという矛盾は、どんな時代の「人間社会」にも内在する矛盾を示唆しています。ゆえにこの作品は奇想の系譜の中のメルクマールといえるでしょう。


展覧会の全体の印象について、森先生は「私のライフワークとしているブリューゲルが、《キリストのブリュッセル入場》(1898年)のアンソール、《フランドルの雪》(1923年)のサードレールなど、19,20世紀の芸術家たちにも影響を与えたことを実見でき、感動しました」と語られました。本展では、以上のようなボスやブリューゲルの芸術を念頭に置きながら、ベルギーの美術の歴史に受け継がれた様々な「奇想」をぜひお楽しみください。

森洋子監修 文:木谷節子


《過去の講演会レポート》

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