ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまでベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

COLUMN
コラム

細部を楽しみ、歴史を感じるー
500年の奇想を巡る旅

《トゥヌグダルスの幻視》

ヒエロニムス・ボス工房 1490-1500年頃 油彩、板 ラサロ・ガルディアーノ財団 ©Fundación Lázaro Galdiano

 古来より事物を本物そっくりに描く巨匠たちの描写力を讃える逸話は後を絶たないが、実際には見ることのできない「地獄」の情景や悪魔の姿を「リアル」に描くには画家の確かな描写力に加え、豊かな創意が必要となる。15世紀半ばに現在のベルギーとの国境に近いオランダ南部の都市、セルトーヘンボスに生まれた奇才の画家ヒエロニムス・ボス(1450年頃-1516年)は、人間の根源的な罪を見つめ、欲望に支配された人間たちをこの世の終わりに待ち受ける「地獄」を鮮烈なイメージで描き、闇をうごめく異形たちで埋めつくした。折しも西暦1500年は「この世の終わり」となる大きな区切りの年と定められ、疫病や災害は終末の予兆と捉えられていた。
 ボス工房作《トゥヌグダルスの幻視》では、夢の中で異界を巡るという主人公の騎士の説話が、「地獄」の情景の豊かな着想源となっている。中央に鎮座し、こちらを見つめる巨大な頭部は、よく見ると目は空洞で何も見えていないことがわかる。この顔が「目があっても何も見ず、耳があっても何も聞かない」という神を拒む罪人に関する福音書の記述を思い起こさせ、「罪それ自体の体現」と解されるという指摘は興味深い。一方、周囲の大罪(死に至る罪)とそれに関連する懲罰の描写は現在の私たちの目にはどこかユーモラスにさえ感じられる。右上の「怠惰」な者の寝床には様々な怪物が襲いかかり、その下で「大食」は窒息するほどワインを飲まされ、「激怒」は激昂された末に剣で刺されるという運命を辿っている。罪と罰に関わるシリアスな主題とは裏腹に、詳細で精緻な描写は、各モチーフを順に見ていく尽きない楽しみを提供してくれているのである。
 19世紀になってはじめて国家が成立する「ベルギー」という国は、様々な国の支配下に置かれることで多様な文化を許容する豊かな土壌を形成してきた。数多の戦いの舞台となったこの地の芸術には絶えず「死」の表象が見え隠れしているように感じられるだろう。しかし、古今の作家たちの秀作を展観すると、いわば現実や日常の「裏側」へと向けられた彼らの眼差しと、それをリアルに「再現」する驚嘆すべき描写力が生み出す、時に鮮烈で過剰で騒々しく、時に暗く物悲しい、あるいはおどろおどろしいまでの世界が、実は「ユーモア」や「皮肉」によって「笑い」に転換される、自由で奇抜な発想に彩られていることがわかるだろう。この「笑い」の中にこそ、脈々と受け継がれる「ベルギー奇想の系譜」が見え隠れしているのである。

Bunkamura ザ・ミュージアム 主任学芸員 廣川暁生

サムネイルの作品:《聖クリストフォロス》(部分)ヤン・マンデイン 制作年不詳 油彩、板 ド・ヨンケール画廊、/《トゥヌグダルスの幻視》ヒエロニムス・ボス工房 1490-1500年頃 油彩、板 ラサロ・ガルディアーノ財団 ©Fundación Lázaro Galdiano /《娼婦政治家》(部分)フェリシアン・ロップス[原画]、アルベール・ベルトラン [彫版] 1896年 多色刷銅版画・紙 フェリシアン・ロップス美術館