レオナール・フジタ展 ― ポーラ美術館コレクションを中心に
2013/8/10(土)-10/14(月・祝)
Bunkamuraザ・ミュージアム

- 1886年
- 11月27日 東京に生まれる。
- 1905年 19歳
- 東京美術学校西洋画科に入学。西洋画科主任は黒田清輝。
- 1910年 24歳
- 東京美術学校西洋画科卒業。
- 1912年 26歳
- 鴇田(ときた)登美子と結婚。
- 1913年 27歳
- 父と3年の約束で単身フランス留学。
- 1914年 28歳
- 第一次大戦勃発後、日本からの送金が途絶え困窮。
- 1916年 30歳
- 留学継続を決意。妻・登美子と離婚する。
- 1917年 31歳
- フェルナンド・バレーと結婚。
- 1924年 38歳
- フェルナンドと別居。リュシー・バトゥー(愛称ユキ)と暮らす。
- 1925年 39歳
- フランス政府からレジオン・ドヌール(シュヴァリエ)勲章受章。
- 1931年 45歳
- ユキと別居。
- 1933年 47歳
- マドレーヌ・ルクーと共に帰国。
- 1936年 50歳
- マドレーヌ急死。12月に堀内君代と結婚。
- 1937年 51歳
- 麹町にアトリエを新築。
- 1939年 53歳
- 妻・君代とともに三度目の渡仏。
- 1940年 54歳
- 陥落寸前のパリを離れ帰国。戦争記録画を描く。
- 1941年 55歳
- 帝国芸術院会員となる。
- 1946年 60歳
- 美術界の戦争責任論議が始まり、戦犯としてその罪を問われる。渡仏を準備。
- 1947年 61歳
- 正式に戦犯容疑が晴れる。
- 1949年 63歳
- ブルックリン美術館付属美術学校教授として招かれ、渡米。
- 1950年 64歳
- フランス入国許可がおりてパリへ向かう。
- 1955年 69歳
- フランス国籍取得。日本国籍を抹消。
- 1957年 71歳
- レジオン・ドヌール勲章(オフィシエ)受章。
- 1959年 73歳
- ランスの大聖堂で妻・君代とともにカトリックの洗礼を受ける。洗礼名「レオナール」。
- 1961年 75歳
- パリ郊外エソンヌ県ヴェリエ=ル=バクルにアトリエ兼住居を構える。
- 1966年 80歳
- ランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂(通称シャペル・フジタ)のフレスコ画制作にとりかかり8月完成。
- 1968年 81歳
- スイスのチューリヒ州立病院で1月29日逝去。