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国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展 | Bunkamuraザ・ミュージアム | 2012年8月4日(土)-10月8日(月・祝)

学芸員による展覧会紹介 絵画がこれほどの感動をあたえてくれたことがあっただろうか

近代ロシア美術の頂点に立つ画家

文学ではトルストイやドストエフスキーといった文豪を、音楽ではチャイコフスキーやムソルグスキーといった作曲家を輩出した19世紀のロシアは、美術の分野でも才能ある多くの画家を世に送り出した。なかでもロシア革命に至る激動の時代の美術を代表する写実主義の画家イリヤ・レーピン(1844-1930)は、数多くの歴史画、風俗画、肖像画を手掛け、ロシア・リアリズムの旗手として活躍し、その頂点に立った人物である。またそれと同時に、形骸化したロシア画壇に新風を吹き込んだ移動美術展覧会に参加し、新しい世代の芸術家に理解を示すなど、20世紀初頭を飾るロシア・アヴァンギャルドを準備した画家としても重要である。

出世作《ヴォルガの船曳き》

1844年、帝政ロシアの支配下にあったウクライナの村チュグーエフの屯田兵の家に生まれたレーピンは、陸軍地形測量学校で水彩画を学んだのち、イコン(聖像)を描く画家の工房に入る。その後19歳で帝都サンクト・ペテルブルクに上京。画家クラムスコイの影響を受け、また社会主義思想にも触れながら、翌年同市の美術アカデミーの学生となる。またこの時代は社会批判的な風俗画が描かれはじめた時代でもあった。25歳の夏、レーピンはペテルブルク郊外を流れるネワ河で船を曳く人々を見て、その情景を描くことを決意したという。このテーマは数年をかけてヴォルガ河に場所を替えて深められ、1873年に完成しレーピンの名声を確立する名作《ヴォルガの船曳き》(国立ロシア美術館所蔵)へと昇華した。動力船が導入される前の時代、牛馬のように働く民衆の姿を感動的に描いたこの作品は、ドストエフスキーや「移動派」を擁護した批評家スターソフら、同時代の文化人からも認められ、同年ウィーン万博に出品された。なお本展にはその完成作に至るまでの試行錯誤のあとをたどる作品群が出品されている。実業家でコレクターのトレチャコフとの知遇をえたのもこの時期であった。

フランス印象派との出会い

かつての展覧会の賞として勝ち取った海外留学の権利を保留していたレーピンは、ウィーンで万博に出品された自らの作品を見たのち、イタリアを経てパリに到着し、そこで3年間を過ごす。折しも印象派が生まれようとしていた時期、1874年に開催され、のちに第1回印象派展と呼ばれるようになった記念的展覧会を彼も目撃し、それを初めてロシアに伝える画家となった。もっとも、レーピンがパリに着いたのは前年の10月のこと。本展出品作の《パリの新聞売り》はその年に描かれており、当時のパリ庶民の生活風景、つまり近代生活を写実的に描いた作品である。まだ印象主義の技法的影響は見られないが、初めて訪れる芸術の都に対する画家の好奇心が感じられる秀作である。その後次第にレーピンも印象主義に対する理解を深め、トレチャコフへの手紙では未来へつながるものとして肯定的に捉えるようになったことが伝えられる。特に私的な日常生活の何げない情景を描いた作品を中心に、大胆な筆致や固有色の否定といった印象派の手法を自らの作品に取り入れていく。このような傾向は帰国後の作品にも見られ、穏やかな夏の日の家族を描いた《あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち》などは、テーマ的にも技法的にも極めて印象派的な作品となっている。

愛情あふれる肖像画

レーピンの作品には妻や子供たち、あるいは友人を描いたものが数多くあり、それらは文豪などを描いた重厚な肖像画とは一線を画するグループを形成している。印象派的な手法も取り入れて描かれたこれらの作品からは、モデルに対する画家の愛情や打ち解けた気持ちが伝わってくる。そしてこのことも、レーピンという画家の技量の高さを表すものなのである。例えば《休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像》は、既に一男三女の母となっていた愛する妻の休息を描いた作品で、描く側と描かれる側両方の幸福感が感じられる。また、後年の作品《日向で―娘ナジェージダ・レーピナの肖像》は、円熟期を迎えた画家が印象主義の技法を完全に消化し、自らのものとしていることを示す好例と言えるだろう。

一冊の本のような肖像画

文化人を描いた肖像画は、レーピンの芸術の深遠さを最もよく伝えるものと言っても過言ではない。それらの作品の一点一点が、例えばそこに描かれた小説家の作品を読むほどの重厚感をもち、鋭い人間観察が光る肖像画の最高峰を形成している。例えばロシア文学を代表する小説家を描いた《文豪レフ・トルストイの肖像》は、年老いた人物像の中にその英知と人間味が凝縮され、文学において成し遂げた偉業を観る者に感じさせる作品となっている。また組曲『展覧会の絵』などで有名なモデスト・ムソルグスキーの肖像画は、当時死の病と闘っていた大作曲家の姿を描いたもので、高い精神性が感じられる肖像画芸術の傑作といえよう。なおこの作曲家は、描かれて10日ほどしてこの世を去ったという。

モダニズムとロシア社会とのはざまで

ヨーロッパ留学を果たしたレーピンの作品には、西欧のモダニズムとロシア社会の現実との葛藤が見られる。ロシア社会の現実とは、ひとつにはロシア正教や農民生活に根差した土着的なものが19世紀後半になってもまだ根強く残っているという現実であり、もうひとつはそのような社会のひずみ、つまり産業化が進む中での人間疎外や貧富の格差の拡大といったことで、これは革命の火種となった。レーピンは自らの属する祖国と社会を描くにあたり、美術アカデミーに在籍していた学生時代に親しんだエルミタージュ美術館のコレクションにあったヨーロッパ美術の巨匠たち、とりわけレンブラントの作品を多いに参照したという。アカデミー卒業後、移動美術展覧会に出品されたレーピンの代表作のひとつ《長輔祭》や、《1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン》、《宣伝家の逮捕》には、コントラストを強め、場面をドラマチックに演出する手法とともに、深い人間心理を巧みに描き出す優れた技量が見受けられる。また《思いがけなく》のような、一見何気ない風俗画に見える作品も、主題としては革命家の帰宅という社会的テーマを扱っており、当時の現実を明暗を生かした緊張感あふれる画面構成で捉えている。
 その一方で、古い社会を描くとともにロシアの民族主義を鼓舞するような主題もレーピンには見られる。それは近代国家へと脱皮する以前の苦悩する祖国への熱い思いを持った画家の姿勢を反映している。例えば皇女ソフィア・アレクセエヴナを描いた作品は、修道院に幽閉された彼女を支持していた銃兵隊が処刑された際の苦悩を見事に描き出し、《トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック》(習作)では、色彩のオーケストラともいえる土着的な情景が、一人一人の表情豊かな人物描写によって声までも聞こえてきそうな臨場感を獲得している。

本展はモスクワの国立トレチャコフ美術館所蔵の油彩画を中心としたレーピン作品約80点からなる、日本で初めての本格的な個展である。観る者を感動の世界に誘うレーピンの芸術を、心ゆくまで堪能できるまたとない機会といえるだろう。

ザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男