photo : Carlo Gianni
レオナルドは絵画を「知的なもの」、哲学と科学の総合とも見なしていました。自然や自然に備わる形態、その数学的永遠の規則などの観察から出発し、世界を自らの芸術と美や創意によって修正していこうとする傾向がありました。彼が研究し「表現」したのは、人間の顔、「魂の動き」、比例、象徴、そして「大地」や機械の構造・理想都市の建築と人体のアナロジー(類比)でした。そして本展では、とりわけ彼が求めた女性美を分析します。
本展の展示作品には、有名美術館所蔵の著名な作品もあれば、専門家の間で美術史的な重要性が指摘されながらも彼らしか知らないような作品もあります。作品が今回初めて展示されることで、本展に携わる人々や多くの観衆にその存在を知っていただき、思索の対象としていただくことができるでしょう。また、「芸術論」、特にレオナルドの『絵画論』も取り上げます。レオナルドはその中で「人を魅了する調和」、「天使のような顔立ちの釣り合いのとれた美」、「完璧な美の形象化」を理論づけ、また絵画の力によってこそ、調和や美を「長きにわたり存続させる」ことができるという考えを示したのです。
《ヴィンチ村からの景色》
写真協力:イタリア政府観光局(ENIT)
人間の尊厳とは、人間もまた神のごとく、彼自らの創造力によって自由に、文化を、宇宙を生みだすことができる、なかんずく彼自身という人格を創造することができるという信念である。これこそまさに、芸術というものが人間と同等に持ちうる意味であり力である。レオナルドの関心はひたすら、自由に創造的に生きること、そのなかで培われてゆく人間とはいかなる存在かという問いかけにおかれているように見える。ここから、「画家の科学が神聖であるのは、彼の頭脳が神の頭脳に似たものとなるところにある」という彼の恐るべき記述があらわれる。これは決して人間の傲慢なのではなく、ルネサンス人の真摯な理想の表明である。この問いかけの深さこそが、彼が一人の人間を見るとき、その魂の奥底までを窺わなくてはすまない彼の頭脳の態度であり、30体をこす死体を解剖しなくては気がすまない彼の科学の探究である。一人の人間の成長は持続のなかにあり、人格の形成も終わりのない過程のなかにあるのであれば、そこに完結は見られない。そこには常に問いが残り、謎が残されるのである。
レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子たち、《モナ・リザ》のモデルとなった女性、ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァ、二人のフランス王、これら多くの人々が、この人物を敬愛しつつそこに深い神秘を感じ、さらには、彼の作品に魅せられた無数の追従者たちが、彼の作品のなかに神秘を見てしまったのは、一人の人間が生きるということの永遠の謎が、レオナルド自身の謎とともに作品のなかにとどめられているからで、これは観るものの側からすれば当然の現象であったであろう。だが、この謎は永遠の問いかけであって、彼以来400年という、長い歴史の過程において無数の解答がよせられ、またこれからもよせられはするものの、完結と終わりということはないのである。人間の尊厳。この次元に、レオナルドの高い個性と深い普遍性とが輝きをはなっていた。