パリ
文化の中心地としてのドゥマゴ ― 時代の寵児たち
1940年からドイツ軍に占領されたパリは1944年に解放されました。
ジャン=ポール・サルトルと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールは「実存主義」を説き、世界を席巻。若者たちに絶大な影響力を与える時代となります。
サルトルとボーヴォワール、2人は毎日ドゥマゴへ訪れ、いつも決まったテーブルで ―まるで自分の家にいるように― 何時間も休むことなく執筆を続けました。

【ボーヴォワールがいつも座っていた場所】
ボリス・ヴィアンやアルベール・カミュとも親交を深め、ジェイムズ・ジョイス、ベルト・ブレヒト、シュテファン・ツヴァイク、ピカソやヘミングウェイなど、若き小説家や芸術家たちと、熱心に議論を交わしていたそうです。

【ジャネット・フラナーとヘミングウェイ】
同時にこの頃、サン=ジェルマン=デ=プレには多くのクラブができ、ジャズやシャンソンの中心地として多くの若者たちを熱狂させ、ジュリエット・グレコやジャズ・トランペット奏者としても活躍していたボリス・ヴィアンらがアイコンとして存在していました。
50年代に入ると、まだ年若いフランソワーズ・サガンもドゥマゴへ現れるようになります。55年にはスキャンダラスだと物議を醸しだしたポーリーヌ・レアージュ(ドミニク・オーリー)の「O嬢の物語」がドゥマゴ賞を受賞。
時代の寵児と言われる、文学者、芸術家、有名人たちが集まり、サン=ジェルマン=デ=プレ神話が生まれたのです。
Photo by David Sherman pour LIFE © Les Deux Magots