モネとジヴェルニーの画家たち

クロード・モネ 《睡蓮》1897-1898年 油彩・キャンヴァス 個人蔵

2010年12月7日(火)― 2011年2月17日(木)

Bunkamura ザ・ミュージアム

学芸員によるコラム

ジヴェルニーの一番人気は今も昔もモネの庭

フランス印象派の巨匠クロード・モネの家族には、案の定画家がいた。ブランシュ・オシュデ=モネという女性である。モネと長年に渡る同居の末、1892年にモネと結婚するアリス・オシュデには6人連れ子がいて、ブランシュはそのひとり。つまり血は繋がってないが、モネの世界観を引き継いだ画家だった。もっとも、巨匠のアシスタントとして常にそばにいて、教えも受けるわけだから、必然的に師と似通った作品を描くことになった。ここで取り上げる庭の絵も同様であるが、モネにはないポップな明るさと、女性らしい可愛らしさが感じられる。
 一方、モネはアリスの三女シュザンヌと、ジヴェルニーにいたアメリカ人で本展出品作家のひとりセオドア・バトラーとの結婚は許すものの、別のアメリカ人画家ジョン・レスリー・ブレックとブランシュとの結婚には反対した。そして皮肉なことに、ブランシュは数年後にモネの実の息子のひとりジャンと結婚する。モネは二重にブランシュの義父となったのだ。ブランシュは夫と共にルーアンなどに住むが、1913年に夫が亡くなると、またジヴェルニーに戻ってくる。その後モネが亡くなる1926年までモネの世話をし、絵画制作は中断。つまりモネの庭を描いたこの作品はそれ以降に描かれたことになる。
 ジヴェルニーのモネの庭は二つの部分からなる。ひとつは睡蓮や太鼓橋で有名な水庭で、もうひとつはクロ・ノルマン(ノルマンディーの囲み庭)と呼ばれた広大な花壇で、大変な種類の花が咲き乱れるコレクターズ・ガーデンである。モネは大の園芸好きで、好みの花や珍しい種類を庭に植えることに情熱を傾けていた。現在、連日観光客で賑わうこの庭はある意味でモネの作品なのだ。ブランシュはそのことを知っていた。だから師であり義理の父であった巨匠の様式でこの庭を描いた作品には、彼女の篤い追悼の思いが込められている。そしてそのことは、ジヴェルニーで描かれた一枚一枚の作品の有機的な繋がりと、奥深さを物語っているのである。

Bunkamuraザ・ミュージアム チーフキュレーター 宮澤政男


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