ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまでベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

Column
学芸員によるコラム

ゾクゾクするほど美しいのは絶世の美女だけではないのです

ヨーリス・フーフナーヘル 《人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)》(部分) 1591年、グアッシュ、水彩・ヴェラム、リール美術館 Photo©RMN-cliché Stéphane Maréchalle

 毛虫やイモ虫をこれほど克明に描いたのは、花の静物画の元祖ヨーリス・フーフナーヘル(1542-1600頃)が初めてではないだろうか。気持ちが悪いと思う人も多いが、近年都会では稀なので、子供は面白がって触るかもしれない。《人生の短さの寓意》と題された作品は二連画で、各々に二匹の毛虫が描かれている。
 画面上部の記述は「萎れたバラに再び咲くように頼んではならない」、下部には聖書から「人の生涯は草のよう、野の花のように咲く」及び「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のよう」とある。バラのことを言っているのに、描かれている花は見えにくい薄い単色で、蕾と開いた花、そして散った姿である。それはあたかもバラの存在は仮象であるかのような淡さである。永遠なのは蝙蝠の羽を付けた中央の髑髏、つまり死だけということなのだろうか。その下の砂時計も人生の果敢なさを表している。昆虫も短い命の象徴だが、魂を表すとされる蝶も中央に置かれているのは、魂は永遠だからということなのか。そしてなぜか昆虫とカタツムリ、花では亜麻とアネモネの花が彩色され、散ったバラの芯にも少し色がついている。
 ラテン語の記述まで添えられたこの作品が制作途中とは考えにくい。むしろ何か深い意味が潜んでいると考える方が妥当だろう。そして毛虫は蝶になる前の魂の前身ということなのか。そして同時に、この作品には作者フーフナーヘルが鋭い観察眼と細密な描写という自らの力量を見せつけようとしている節がある。と言うのもこれはルドルフ2世の宮廷画家であったこの画家の秀作であり、好奇心に満ちた皇帝を満足させるには、毛虫を登場させることが必要であったのだろう。そもそも皇帝となる少年はどこまで毛虫の存在を知っていただろうか。毛虫は神の美しき創造物と見て、皇帝は現代の都会っ子同様、新鮮な目でその絵を喜んだに違いない。さあ、あとは会場でそのリアルさを実感していただこう。

ザ ・ ミュージアム 上席学芸員 宮澤政男

ペーテル・グルンデル《卓上天文時計》1576-1600年、真鍮、鋼、スコークロステル城、スウェーデン Skokloster Castle, Sweden