ゴールドマンコレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力ゴールドマンコレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力

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2017.03.17 UP

【レポート】山下裕二氏記念講演会

2月27日(月)に開催された記念講演会「ハイブリッドな絵師・河鍋暁斎-狩野派として、浮世絵師として」。これまで多くの書籍や雑誌、講演などで暁斎を取り上げてきた明治学院大学教授・山下裕二氏ならではの視点で語る暁斎の魅力を、講演会レポートとしてお届けします。

幕末から明治の日本美術において、欠かせない存在へ

学生時代に遡る、暁斎との出会い。日本美術ブームの火付け役でもある山下氏は、今のように暁斎が注目される前から、その存在のおもしろさ、重要さに着目していました。


「暁斎について、何十年も前から知っていたという人は少ないのではないでしょうか。私も大学で美術史を専攻するまで、“河鍋暁斎”という名前すら知りませんでした。ところが今や、暁斎も師匠である歌川国芳も大人気ですね。

でも、国芳のさらに先達である伊藤若冲や曾我蕭白、長沢芦雪……奇想の画家たちといわれる面々は、私の学生時代は“異端”扱いでした。先輩たちが、暁斎を研究している留学生のことを冷ややかに見ていたこともありました。それでも私は“おもしろいじゃないか”と思っていたんですよね。今でもその頃の気持ちが忘れられない。そこから暁斎とのつきあいがはじまり、かれこれ30年以上です。暁斎は58歳をむかえる少し前に亡くなったので、私はもう彼より長生きしてしまいました(笑)。暁斎は、今や幕末明治の美術を語る上でも、軸として語り直さないといけない存在となっています。」

※ミュージアムショップでも山下氏監修の『日本美術全集 激動期の美術(幕末から明治時代前期)』(小学館)取扱い中

 

子どもの頃から筆をもつ、“筆ネイティブ”な暁斎


暁斎が国芳に入塾したのが、7歳のとき。さらに10歳で狩野派に弟子入りします。暁斎の多才な画風は、幼少期から画に慣れ親しんだからこそ生まれた才能でした。


「7歳で入門というと、小学校入学と一緒ですね。現代だと、大学に入学してから日本画をはじめることが圧倒的に多い。子供の頃から筆を持つトレーニングをしていた人なんて、いなくなってしまいました。だから暁斎のような線は、今や誰も引けなくなってしまった。子供の頃から習っていないと“ネイティブ”にはなれない、語学でいうところのネイティブスピーカーと同じですよね。暁斎はそんな幼少期を過ごしたからこそ、筆を持って“体で覚えさせる”ことを100%体得しているんです。私の造語ですが、“筆ネイティブ”なんです。その最後の世代かもしれないですね。

 暁斎の画風は、例えるならば“プロの漫画家でもあるけど、東京藝術大学卒でもある”くらい、どっちも本格的(笑)。サラサラっとなんでも描けちゃう、自由自在タイプでもあります。似たタイプは画家のなかでも少なく、著名な日本画家で私が思い浮かぶのは、鏑木清方。現代だと、このタイプは漫画家になってしまう人が多いのかもしれません。唯一思い浮かぶのは、山口晃さんでしょうか。」

 
暁斎をひもとくキーワードは“ハイブリッド”

本展でも展示されている《地獄太夫と一休》や《幽霊画》は、山下氏も絶賛する名品。作品に込められた思想やこだわりとは。

 「ゴールドマンさんのコレクションは比較的小品が多く、1点1点を愛しんで、自室の壁に飾っていたりするのかな? と感じさせる、パーソナルな作品が多いのが印象的。さらに、日本の福富太郎コレクションだった作品が数年前、一括して譲られたことで大作も増えました。

その福富コレクション時代から有名だった《幽霊図》は、とにかく怖い!! 手も怖い! そして、目。右が青くて左が黄色……金泥を使っていますね。オッドアイといって、猫によくみられる左右で瞳の色が違う現象。暁斎はそこも意識して描いたのではないでしょうか。数ある幽霊画のなかでも名作で、大好きな作品です。そして、なにより怖い、夢に出そう(笑)。一説では、彼の奥さんの死に顔ともいわれています。暁斎は何度か奥さんをもらいますが、最初の奥さんはあの鈴木其一の娘でした。琳派の画家が娘を嫁がせるとは、其一は暁斎の破天荒さに憧れがあったのか? と勘ぐってしまいます。この関係性は、小説が書けるくらいおもしろいものだったんじゃないかなと思いますね。


 今回の出品作で、圧倒的にクオリティーが高い作品のひとつが《地獄太夫と一休》です。地獄太夫の着物の柄、髪の毛の丹念な描写は圧巻ですね。とくに後れ毛は腕の見せ所! 地獄太夫なのに、着物には布袋さんがいたり七福神がいたり、吉祥の柄や“壽”の文字なんかを描いている。一方で閻魔大王も。珊瑚のように見える柄は、地獄の炎のようでもあります。この図柄には、天国と地獄が混在している。ここから読み取れる〈地獄も極楽も表裏一体である〉という思想は、白隠を思い起こさせます。

さらにもうひとつの《地獄太夫と一休》では、朱鞘の太刀をもっている一休が描かれています。この地獄太夫は大和絵的、一転して一休の衣装や蓮の花は大胆な水墨画的。ひとつの画面のなかで、華麗な色彩と大胆な水墨というハイブリッドな作品。暁斎は、狩野派であり浮世絵師であり、時代でいうと江戸と明治を生きた人。いろいろな意味で二重性があります。彼の全貌を把握するための重要なキーワードが“ハイブリッドであること”。でもあまりにも器用でなんでもできちゃうから、暁斎の代表作はこれだ!って決めづらい(笑)。だから批評がされにくく、評価が遅れた理由の一つかもしれないですね。北斎だったら《神奈川沖浪裏》、尾形光琳だったら《燕子花図》に《紅白梅図》屏風など……暁斎はまだ“これぞ!”というのが決まっていない、決めないといけないですね。」


暁斎愛が止まらず、「国立の博物館で大規模な暁斎展をやりましょう!」と提案する山下氏。日本ではなかなか観ることができないゴールドマン・コレクションが一堂に会するのは、4月16日(日)まで。講演会で語っていただいた見どころも参考に、ぜひ会場でご覧ください。

文・成澤 彩


※講演会での内容を抜粋してまとめました

注1:《百鬼夜行図屏風》(部分)明治4–22(1871–89)年 紙本着彩、金砂子
注2:《地獄太夫と一休》(部分) 明治4–22(1871–89)年 絹本着彩、金泥