ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまでベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

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本展へのメッセージ

森洋子(明治大学名誉教授)

「この世の奇想」

ピーテル・ブリューゲル(父)[原画]、ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版]
《聖アントニウスの誘惑》 1556年 エングレーヴィング・紙 プランタン=モレトゥス博物館

 本展ではブリューゲルの初期版画に、悪魔、怪物、妖怪、魔女、異形なる建物が画面を充満している。《聖アントニウスの誘惑》は先人の画家ヒエロニムス・ボス(1450年頃‐1516年)の様々な祭壇画から様式やモティーフの面で啓発されている。だがブリューゲルは若い頃からボスの造形言語にない新機軸を意識的に表象化してきた。
 苦行中の聖人の信仰心を揺るがす怪物群の実態は、海上に浮遊する、目が嵌め込みガラスで出来た巨人の頭部、頭部がヒキガエルだが、下半身は魚という混成動物、人の手足つき壺と樽上の半裸体男との一騎打ちなど、威嚇的というよりはどこかユーモラスで諷刺的である。つまりブリューゲルの悪魔や怪物は「あの世」ではなく、「この世」の隣人なのだ。(中略)
 本展では、ボスの生地セルトーヘンボスやアントワープで活躍した、ボス追随者や模倣者たちが幻想画で競い合っている。彼らとははるかに一線を画した、ブリューゲルの時空を超えた奇想性を知る、好機となろう。

(「毎日新聞」2017年6月3日(土)朝刊より抜粋)

森洋子氏による《大食》の解説

「7つの罪源シリーズ」では、テーマとなる貪欲、傲慢、激怒、怠惰、嫉妬、大食、邪淫は人間の心の奥深くに棲む魔性であることを、心理学者のように鋭く省察、分折していた。 《大食》では暴飲暴食の人間に付き添うのは動物、つまリ人間の自制なき獣性が象徴されている。若い女性の裸身が大バサミで真っ二つに切られようとしている。質屋のあくどい商売を物語る、「そこにハサミが掛かっている」ということわざ表現なのだ。

ピーテル・ブリューゲル(父)[原画]、ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版] 《大食》 1558年 エングレーヴィング・紙 神奈川県立近代美術館

森洋子(もり・ようこ)プロフィール

美術史家、明治大学名誉教授。お茶の水女子大学卒業後、ミュンヘン大学留学、プリンマー・カレッジ美術史学科で修士号取得。ベルギー政府給費留学生。国際基督教大学にて学術博士号取得。1988年、長年のブリューゲル研究によりベルギー国王より王冠勲章シュヴァリエ章、2001年、紫綬褒章、2006年ウジェーヌ・ベ国際賞(アントワープ)受賞。2011年にベルギー王立考古学アカデミー外国人会員に選出される。主な著書に『ブリューゲル全作品』(中央公論新社)、『ブリューゲルの“子供の遊戯”―遊びの図像学』(未来社)、『ブリューゲルの諺の世界』(白凰社)、『ブリューゲル探訪―民衆文化のエネルギー』(未来社)、『ベルギー美術と歴史の旅』(河出書房新社)、『ブリューゲルの世界』(新潮社)他、吉川逸治との共著『ボス、ブリューゲル』(集英社)、訳書にエンツォ・オルランディ編『ボス』(評論社)他。
2010年Bunkamuraザ・ミュージアム他で開催された『ブリューゲル版画の世界』の監修をした。

辻惟雄(美術史家)

「奇想天外に出ず」

 ―天から降りてきたような奇抜な着想の、ファンタスチックな芸術作品を私は好む。それが江戸時代絵画史のあちこちに隠れていることを知ったのは半世紀前のことだった。なかから6人の画家を選び『奇想の系譜』と題して出版した。
 当初の売れ行きはサッパリだったが、2004年に文庫本となってから、今でも版を重ねている。その間、ほとんど無名だった6人の画家たちは、今や展覧会の人気者となり、中でも若冲への美術ファンの熱狂はすさまじい。
 奇想の風に誘われ、遠くベルギーから、巨匠ボス率いる異形の絵画の一団が日本にやってきた。題して『ベルギー奇想の系譜』。聖書の教えをあざむくかのような人間や動物、器物の妖怪は、日本でどのような接待を受けるだろうか、興味深く見守りたい。

辻惟雄(つじ・のぶお)プロフィール

美術史家。東京大学大学院美術史博士課程中退。東京国立文化財研究所美術部技官、東北大学文学部教授、東京大学文学部教授、国立国際日本文化研究センター教授、千葉市美術館館長、多摩美術大学学長、MIHO MUSEUM館長など歴任。1970年に刊行された『奇想の系譜』(美術出版社)で、又兵衛、山雪、若冲、蕭白、国芳らを「奇想の画家」として再評価し、近世絵画の見方を大きく変えた。その後もユニークな視点で、従来あまり注目されてこなかった日本人の美意識、日本美術における「奇想」の表現や「かざり」「アニミズム」などの遊びの精神を発掘し幅広く論じる。『奇想の系譜』(美術出版社/ちくま学芸文庫)、『奇想の図譜』(平凡社/ちくま学芸文庫)、『日本美術の表情』(角川書店)、『「かざり」の日本文化』(角川書店)など著書多数。『日本美術全集』 (全20巻・小学館)監修。

小池寿子(國學院大學教授)

奇想の系譜

 西洋の「奇想の画家」第一人者ヒエロニムス・ボス(1450-1516年)は、今日のオランダの南方に位置するセルトーヘンボスで活躍しました。都ブリュッセルから離れたこの町は、文化の周縁に位置しながら交通の要衝であり、刃物や楽器製造で栄えました。ボスの宗教画では、怪奇で悪魔的な生き物が画面を占め、人間の愚行ゆえの罪が異形のイメージで描き出されています。終末が迫り、罪の悔い改めと地獄行きがさかんに説教され、人々の恐怖心を煽っていた時代です。ボス風作品は大いに人気を集め、権力者たちがコレクターになりました。それはキリスト教社会が抱える矛盾や不条理を映す鏡だったのです。敬虔なキリスト教精神と諧謔性に富んだ人文主義精神が交錯するそのあわいにボスが開花したように、変革の時代に、自由な発想をみなぎる周縁こそが、奇想の坩堝となるのでしょう。私たちも奇想のエネルギーに刺激を受けて、新たな奇想を創造しましょう。

小池寿子(こいけ・ひさこ)プロフィール

美術史家。國學院大学文学部教授。1956年、群馬県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程満期退学。ネーデルラント・中世美術を専攻し、美術作品を通じてその死生観・身体観を読み解くことを研究主題としている。主な著書に『屍体狩り』(白水社)、『死者のいる中世』(みすず書房)、『死者たちの回廊』(平凡社ライブラリー)、『死を見つめる美術史』(ちくま学芸文庫)、『描かれた身体』(青土社)、『内臓の発見』(筑摩選書)、『「死の舞踏」への旅』(中央公論新社)、『一日で鑑賞するルーヴル美術館』(新潮社・とんぼの本)など著書多数。『西洋美術の歴史』(全8巻・中央公論新社)編集委員、第1~3巻監修、3.5巻共同執筆『テーマで見る世界の名画』(全10巻、集英社、近刊)第4巻責任編集を手がける。

藤原えりみ(美術ジャーナリスト)

「奇想」という観点からベルギー美術の歴史をたどる本展の試みは、ヒエロニムス・ボスのロマネスク的想像力から生まれた幻想的イメージ、そして人間社会を批判的にとらえる風刺精神との融合が、通奏低音のように現代に至るまでベルギー美術の奥底で脈動してきたことを伝えてくれる。ピーテル・ブリューゲル(父)から、ルーベンス、19世紀の象徴主義、シュルレアリスムを経て、ヤン・ファーブルらの現代美術作家まで、奇怪なイメージの重層性と洗練された造形が織り成す世界は、見れば見るほど蠱惑的こわくてきで目を離すことができない。

藤原 えりみ(ふじはら・えりみ)プロフィール

美術ジャーナリスト。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大学・東京藝術大学で非常勤講師をつとめる。主な著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。共著に『西洋美術館』『週刊美術館』(小学館)、『現代アート事典』『ヌードの美術史』(美術出版社)、『現代 アートがわかる本』(洋泉社)、『チームラボって、何者?』(マガジンハウス)。訳書に、C・グルー『都市空間の芸術』(鹿島出版会)、M・ケンプ『レオ ナルド・ダ・ヴィンチ』(大月書店)、C・フリーランド『でも、これがアートなの?』(ブリュッケ)など。