EXHIBITION 学芸員による展覧会紹介

画家は言った
「絵画は美しくロマンティックな夢である」と

ヴィクトリア女王が大英帝国に君臨した19世紀、全盛期に始まった産業革命は様々な問題を残しながらも確実にこの国を豊かにし、帝国は繁栄の絶頂に達しました。その結果多くの中産階級が生まれ、彼らの成金的な好み、趣味や考え方、そして憧れが美術界の方向を左右するまでに至りましたが、彼らが自宅を飾るものを求めたことで市場がかつてない潤いを享受したことも事実でした。美術界は新たな風を求めていたのです。ラファエル前派と称する若い画家のグループが現れたのはこのような状況下でした。そしてそれは新たな夢の探求でもあったのです。

I  ヴィクトリア朝のロマン主義者たち

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 《シビラ・パルミフェラ》
1865-70年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Lady Lever Art Gallery

マンネリ化していたロイヤル・アカデミーに反旗を翻し、その誇張や気取りを嫌ったジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティを中心にした7人の若者が1848年に結成したのがラファエル前派兄弟団です。彼らはアカデミーが拠り所とする古典的絵画の規範とみなされたルネサンスの巨匠ラファエロ以前の絵画への回帰を唱え、誠実な態度で真摯に主題に取り組み、緻密な自然描写を追求しました。そして道徳的含意をもつ文学的、宗教的、あるいは日常生活の場面を通じて民衆を教化できると信じ、作品ができるだけ多くの民衆に届くように努めたのです。奇しくもこの年は労働者の権利向上を求めたチャーチスト運動が最高潮に達していました。ラファエル前派はいかに同じように自然と向き合っても、フランスの写実主義の流れとは異なるものであり、本質的にロマン主義であり、若者らしい理想の追求がなされていたのです。

ジョン・エヴァレット・ミレイ 《ブラック・ブランズウィッカーズの兵士》
1860年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Lady Lever Art Gallery

しかしながら、微妙な均衡の上に成立したこのグループは1853年にミレイがアカデミーの准会員になったのをきっかけに崩壊に進み、3人はそれぞれの道に進むことになります。ミレイは一般大衆向けの風俗画や、歴史に依拠したロマンティックな歴史画へと向かい、社交界との関係を重視していきました。一方、ハントは細密描写という方針を堅持し、宗教画や風俗画を通じてラファエル前派の精神を最後まで貫きます。そしてロセッティはアーサー王やダンテの詩を主題とする作品を経て、神話や文学を背景とした独特の女性像に至ります。それらの作品のもつ象徴性と含意に満ちた特色は観る者の想像力を刺激し、次世代の画家たちに受け継がれていったのでした。

II  古代世界を描いた画家たち

ローレンス・アルマ=タデマ 《お気に入りの詩人》
1888年 油彩・パネル
© Courtesy National Museums Liverpool, Lady Lever Art Gallery

ヴィクトリア朝の人々は古代ギリシャ・ローマに精通していました。何故ならば、神話やホメロスの文学作品、キケロの演説や歴史家トゥキュディデスの著作、オウィディウスの恋愛詩や『変身物語』、ローマの戦記などが教育に取り入れられていたからです。それは彼らが古代世界と現代社会はつながっていると考えていたからで、つまり七つの海を制覇し、女王のもとで繁栄を謳歌する大英帝国こそ古代ローマ帝国の後継者であると思うにようになっていたのです。

歴史画の大作を描くためのアカデミックな美術教育は、大陸で行われていた方法が導入され、その中心となったのがフランス、イタリア、ドイツでの修業を終えて1859年に帰国したフレデリック・レイトンでした。新たな教育は次第に根付き、1869年、レイトンが展示を担当したロイヤル・アカデミーの展覧会では、自らの作品と共にジョージ・フレデリック・ワッツ、アルバート・ジョゼフ・ムーア、エドワード・ジョン・ポインター等の作品が展示され、神話や古典的主題を取り入れる傾向が決定的となりました。

エドワード・ジョン・ポインター 《テラスにて》
1889年に最初の出品 油彩・パネル
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

風俗画の主題を古代世界に設定した作品も展示されました。この分野の第一人者はローレンス・アルマ=タデマで、その写実的で細密な描写は、まるでその場面に居合わせているような感覚を観る者に与えました。以前には公の場での展示が認められなかった神格ではない裸婦像も取り入れた点でもアルマ=タデマは画期的でした。そして次第に歴史的な根拠を気にせずに様々な時代の要素を折衷的に取り入れた作品も描くようになり、時代の寵児となったのです。このやり方はレイトンやムーアも取るようになりますが、そこでは歴史的な正確さよりも芸術性が優先するというオスカー・ワイルドの考え方が採用されています。

III 戸外の情景

ウィリアム・ヘンリー・ハント 《卵のあるツグミの巣とプリムラの籠》
1850-60年頃 水彩、グワッシュ・紙
© Courtesy National Museums Liverpool, Lady Lever Art Gallery

19世紀半ば、産業革命による人口移動により、イングランドでは都市の人口が農村を上回りました。田園の暮らしは都会人の憧れとなっていき、その土地固有の建築様式などと共に、絵画の主題として価値があると思われるようになっていったのです。一方、この時代の画家に大きな影響力をもった批評家・哲学者にジョン・ラスキンがいます。その『近代画家論』は、深い自然観察に基づく前世代の風景画家ターナー(1851年没)の作品を称賛するとともに、ラファエル前派の論理的裏付けとなる論も展開しました。つまり、ルネサンス以降の絵画があまりにも様式化したために、自然の真理を偽ることとなってしまっており、自然の諸々の事象は創造主たる神の叡智のなせるところであるのだから、画家は真摯にこれを観察することによって、この神の神秘を享受して表現しなければならないと説いたのです。

ウィリアム・ホルマン・ハント 《イタリア人の子ども(藁を編むトスカーナの少女)》
1869年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

自然の細密な描写は、ラファエル前派のすべての画家が続けたわけではありませんでしたが、ラスキンのこの論を実行することで名声を博したこの時代の画家にウィリアム・ヘンリー・ハントがいます。ラスキンはハントの水彩画を高く評価し、またハントの鳥の巣や野草を描いた作品は、風景画という形式以外で大自然の奥行きを観る者に伝えてくれる好例となっています。

IV 19世紀後半の象徴主義者たち

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 《エコーとナルキッソス》 1903年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

短命に終わったラファエル前派のあと、ここではまずラファエル前派第二世代と呼ばれるグループに着目します。彼らはオックスフオード大学学生会館討論室の壁画制作プロジェクトに集まった仲間で、その精神的リーダーとなるのはロセッティの方向性を受け継いだ、五歳年下のエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズでした。この壁画の主題がアーサー王伝説であったように、過去の歴史や神話を背景とし、伝説の登場人物たちの間で演じられる感情的かつロマンティックな対立を主題にしたものが好まれました。彼は自身の芸術の空想的で逃避主義的な特徴を次のように述べています。

「絵画は美しくロマンティックな夢であり、これまで存在したこともなく、また将来も存在することのない何かであり、かつて見たどのような光よりも優れた光の中にあり、誰も限定したり記憶したりすることができない、望むことだけができる世界の中にある」

エレノア・フォーテスク=ブリックデール 《小さな召使い(乙女エレン)》
1905年に最初の出品 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

このグループとは別に、第II章で紹介した古典主義的傾向の強い画家たちがいます。レイトンやポインター、あるいはワッツ等は、神話や古代世界の描写と共に、これといった主題のない唯美主義的作品や、孤独や内面の苦悩を表した野心的で挑戦的な作品も描きました。 ラファエル前派の絵画的傾向を世紀末から20世紀初頭にかけて展開したのがジョン・ウィリアム・ウォーターハウスです。ラファエル前派の画家たちの没後の追悼展で作品に感銘を受けた彼は、鑑賞者の想像力を掻き立てる神話や文学の物語を再現的に表現し、ラファエル前派の復興者として多くの傑作を生んだのです。

ラファエル前派を源とする19世紀半ばからウォーターハウスまでの英国絵画の流れは、人物像による伝説や神話、あるいは同時代の情景の演劇的な描写が際立っています。これはフランスにおいて写実主義を追求する中で、日常生活や刹那的な風景をスナップ写真的にとらえていったものとは非常に異なります。英国美術を彩るそれらの作品群は、繁栄するヴィクトリア朝の社会を背景に画家たちが追い求めた夢の軌跡であり、今もなお輝きつづけていると言えるでしょう。

ザ・ミュージアム、上席学芸員 宮澤政男