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展覧会の内容

英国マンチェスター大学ウィットワース美術館は、近代美術を中心とした膨大な数の作品を所蔵し、中でも4,500点以上の英国の水彩画と素描のコレクションは世界的に有名で、高い評価を得ています。
 16世紀頃ドイツやオランダの画家により油絵の習作や素描の色づけとして描かれた水彩画は、17世紀頃に英国にもたらされ、18世紀には広く普及し、貴族の子女の教養のひとつとなります。さらに当時の地誌的風景画の需要の高まりや、イタリアへのグランド・ツアー(大陸巡遊旅行)の土産用としても多く描かれたことから、国民的美術として発展した水彩画は、18世紀後半から19世紀前半に全盛期を迎え、その後のヴィクトリア朝では更に洗練さを増し、多くの傑作を生みだしました。
 本展では、「英国水彩画の父」と呼ばれるポール・サンドビー、風景画のアレグザンダー・カズンズ、詩人画家ウィリアム・ブレイク、歴史、地誌、建築、神話など幅広い分野の水彩画を制作したJ.M.W.ターナーをはじめ、英国水彩画を代表する画家たちの作品を展覧します。
さらにラファエル前派の画家であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハントや、エドワード・バーン=ジョーンズら日本でもよく知られる人気の19世紀後半の時代の画家にも焦点をあてます。
  繊細かつ緻密な彩色がほどこされた気品と優しさあふれる英国水彩画を紹介する本展は、18世紀から19世紀の英国の巨匠たちの水彩画を中心とした約150点の作品により構成される非常に充実した内容の展覧会となっています。

英国と水彩画

産業革命が進展し、大英帝国として繁栄を謳歌した18世紀半ばから19世紀の英国において、水彩画は大いなる発展を遂げ、英国の「国民的美術」と言われるまでになりました。もともと油彩画のための習作や版画の原画として、あるいは地誌的な記録用に描かれた水彩画は、この時代に公的な展覧会に出品されるようになり、水彩画家という呼称も一般化しました。水さえあれば簡単に使用できる水彩は、油彩画とは一味違った数々の傑作を生みだしたのです。

ピクチャレスクな英国

大聖堂、修道院、城砦、あるいは廃墟は18世紀以降の水彩画家が好んで取り上げた主題です。水彩画界の夭逝の巨匠トマス・ガーティン(1775-1802)が描いた大聖堂の威容は、単なる記録の域を超えた水彩画芸術の金字塔的な趣があります。また一方で、1770年代から風景に関して、「ピクチャレスク」という考え方が、牧師で著述家のウィリアム・ギルピンによって提唱されました。それは起伏に富み、唐突に変化し、不揃いなもので、「絵に描いたときに心地よく、特殊な種類の美に満ちている」ものであり、そのような風景を求めて英国国内を巡る「ピクチャレスク・ツアー」が有閑階級の間で盛んになっていきました。
 英国水彩画の父と呼ばれるポール・サンドビー(1725-1809)や巨匠ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)あるいはジョン・コンスタブル(1776-1837)が描いた眺望は、そのようなピクチャレスクな風景の典型と言えるでしょう。

グランド・ツアー、そして東方へ

18世紀にはアルプス山脈を経由する観光ルートが拓かれ水彩画の道具を携えて、多くの画家がイタリアを訪れるようになりました。一方で上流人士の教育の仕上げに行われるグランド・ツアーと呼ばれる旅行に旅立った若い貴族たちは、実際に目にした景色の水彩画を注文しました。グランド・ツアーの最盛期は、水彩画が洗練の度を増した時期と一致し、「英国水彩画」と冠された本展に外国を描いた作品も多く含まれています。例えばサミュエル・プラウト(1783-1852)のヴェネツィア風景は、水彩の描法を熟知し、まるで本物のような生き生きとした情景を出現させました。
 大英帝国の領土の拡大と国際交易の発展に伴い、人々はエジプト、中東、インド、中国まで足を運ぶようになりました。画家の中で誰よりも早く現地に赴いたのはウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)で、地誌的な正確さを備えながら個性的な色使いで描いています。

ターナーの芸術

本展にはターナーの作品が30点含まれ、水彩画家としての活動期間全般を網羅しています。
ターナーの初期の作品に最も大きな影響を与えたのはジョン・ロバート・カズンズ(1752-97)で、ターナーは水彩画の表現力を活かしたカズンズの描き方に魅力を感じ、カズンズの抑制の効いた色使い、憂愁の滲む風景の詩的な描き方を信奉しました。ターナーの初期の水彩では、1794年の旧ウェルシュ橋を描いた作品に見られるように、建築の細部を精緻に描き込みながらも、ニュアンスに富んだ色使いが実践されています。

また地誌的な眺望を描きとめる版画の原画の制作も続け、1824年にはターナーにとって最も大規模な版画制作となる『イングランドとウェールズのピクチャレスクな景観』の発注を受けました。 ウォリック城やアップナー城などの景勝地が描かれたこれらの原画は、ターナーの水彩画芸術の最高峰に数えられています。1841年から44年にかけてターナーは毎年夏にスイスを訪れ、風景画を制作しました。この時描かれた透明感あふれる一連の作品もまた、ターナーの個性が冴える最高傑作のひとつです。

ブレイクと幻想絵画

目まぐるしく変化する自然の光景を描きとめることと共に、頭に浮かんだ幻想的な世界を描きとめることにも、水彩画は適していました。
ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は幻想画家としては作品の力強さ、影響力の大きさにおいて他の追随を許しません。特に自らの詩に基づく《日の老いたる者》と題する水彩画は、英国美術の傑作のひとつとなっています。
 サミュエル・パーマー(1805-81)はブレイクに大きな影響を受けた画家です。ブレイクの最晩年に周囲に集った若手画家や熱心な支持者の中心的人物で、自然を幻視的な眼差しで捉えた幻想的な風景画を得意としました。

ジョン・マーティン(1789-1854)もブレイクの流れを汲む画家で、彼は透明水彩と不透明水彩の技法を極限にまで突きつめながら、雄大で叙事詩的な幻想を作品に表しました。

ラファエル前派と細密描写

19世紀後半の英国美術を語る上で、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)らの若い画家たちが結成したラファエル前派兄弟団の美学を看過することはできません。このグループを擁護したのは評論家ジョン・ラスキン(1819-1900)で、なにも拒まず、なにも選ばず、ひたむきに自然と向き合うべきだとするラスキンの所説が、彼らの精緻な細密描写を促しました。
 この傾向は、エドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)らの作品を介して唯美主義と融合します。ディテールにこだわったかつての描写は装飾的な意匠に置き換えられ、バラの花など象徴性の高いモチーフを使って哀愁を帯びた独特の雰囲気を醸し出していきました。この系譜の画家たちの水彩画は、その技法の特徴を活かしつつも、風景や地誌の枠を超え、聖書の世界、神話、文学など広範囲に及んでいます。

このように、18世紀半ばから19世紀のこの時代を通じて洗練されていった水彩画は、他の国々にはない領域と伝統をつくりあげました。その背景には富の蓄積された豊かな英国社会がありますが、優れた才能をもつ芸術家が輩出したことを忘れてはなりません。「巨匠たちの英国水彩画」とはまさにその点を指しており、150点余りの作品で構成される本展は、この豊かな英国水彩画の世界を堪能できる格好の機会となるでしょう。

マンチェスター大学ウィットワース美術館

1890年に開館したウィットワース美術館は、水彩画コレクションの他にも素描、彫刻や油彩画、版画、珍しい壁紙コレクションなども所蔵しています。現在はマンチェスター大学附属の施設。なかでもテキスタイルのコレクションは織物産業で繁栄した「綿都」マンチェスターの美術館に相応しく、英国屈指の質を誇っています。2012年から2014年にかけての改修計画が進んでおり、将来は建物の規模がさらに拡張される予定です。