
いま改めて、人類の力を信じて。
本寄稿を用意している本日、オーチャードホールでは『くるみ割り人形』が開幕しました(2020年12月2日)。
現状において、複合的な要素を必要とする大規模なバレエ公演の開催を実現するには、非常な苦労と覚悟が求められています。15年前にKバレエで初演して以来これまで、年末の恒例として当たり前のように毎年上演してきた演目ですが、あてもなく彷徨うごとく舞う雪のシーンを前に、「この世には当たり前のことなど何もない」という想いに駆られたのは初めてのことです。
感動を得ていた日常がいかに大事なものであったかを痛感すると同時に、いまはまだ芸術文化を楽しむ心の余裕がない観客のみなさまもおられると思います。アーティストやスタッフのなかにも、日々生きていくことへの不安が芸術に身を捧げることを妨害している現状にある方もいるでしょう。
『くるみ割り人形』は1892年に誕生しました。その後に訪れるスペイン風邪の流行や世界大戦の最中でも人々は、愛らしくも切ないこの曲を愛で、次の時代に託し、その約130年後に未曽有の事態に襲われた我々もまた、同じ音色に心を寄せています。芸術を取り巻く状況は、いまだ楽観視できないですが、過去の歴史を振り返り、一つだけ確実に言えることは、いかなる災害や不況が来ようと普遍の芸術は必ずや残るということなのです。
コロナ禍を経た社会では、リセットされる固定概念もあるでしょう。その時、新しい価値観のもと改めて文化の質が問われたとしても、オーチャードホールは、座席一つ一つに豊かな時間を過ごせるという絶対的な保証を提供できる空間でありたいと改めて願います。
人類が持つ無限の力は、様々な困難に打ち勝ってきた歴史が証明しています。 新たな年を迎えるにあたり、いま改めてその力を信じて。
Bunkamuraオーチャードホール芸術監督 熊川哲也