大野和士 バルセロナ交響楽団 来日公演

Interview大野和士インタビュー

─ 最初にバルセロナ交響楽団の音楽監督就任の経緯と活動状況を教えてください。
2012年に初共演した際の公演がその年のベストだったことから「ぜひ音楽監督に」とのオファーを受けて、2015年9月に就任しました。ちなみにフォーレの「レクイエム」を演奏した就任コンサートは、サグラダファミリア内で行われた史上初のオーケストラ公演でした。就任後は年に10週間の公演とツアー等を指揮し、マーラーの交響曲、宗教音楽と声楽付きの作品、オペラティックな作品の3つを軸にしながら、ショスタコーヴィチ、ブラームス、ベートーヴェンの交響曲、20世紀音楽など様々な作品を演奏しています。CDもすでにショスタコーヴィチの交響曲第13番をリリースし、今度の日本ツアーに合わせて、マーラーの交響曲第5番、ベートーヴェンの「英雄」交響曲、ショスタコーヴィチの交響曲第5番が出る予定です。
─ バルセロナ響の特徴はどんな点でしょうか?
バルセロナは、キリスト教発祥の地から陸路で北ヨーロッパに抜ける途中に位置し、ローエングリン伝説の始まりとなったモンセルバートなど、キリスト教の重要な遺跡も残っています。つまり人々が行き交う場所。バルセロナ響のサウンドにもそれが反映し、スペイン=ラテン的の一言では片付けられないキャラクターを持っています。しかも20ヶ国の楽員で構成されていますので国際性が豊か。ブラームス、マーラー、ブルックナーも非常に上手く、むろんスペイン物も十八番です。まずはそうした意味でのフレキシビリティとレパートリーの広さが特徴ですね。またガウディの建築やモンセルバートといった当地特有の基盤の上にそびえ立つような、立体感のあるサウンドも有しています。
─ 今回のBunkamura公演の演目では、まずサントコフスキーの「2つの三味線のための協奏曲」(三味線:吉田兄弟)が目を引きます。この曲はいかなる経緯で書かれたのでしょうか?
サントコフスキーは、2015年の武満徹作曲賞で第2位を受賞した、地元カタルーニャの30代の作曲家です。この曲は元々、バルセロナの演奏会のための委嘱作だったのですが、サントコフスキーは、吉田兄弟の弟の健一さんがバルセロナでワークショップを行った際に知り合って気心を通じ合い、三味線のための協奏曲を書くことにしました。さらに健一さんが兄の良一郎さんとのデュオで活動していることを知って、ならば2台のための曲をということになりました。2台の三味線のための協奏曲は、おそらく世界初だと思いますよ。曲は約20分の単一楽章作品。(2019年4月現在)すでに完成しており、5月中旬に現地で世界初演を行います。

2019年5月「2つの三味線のための協奏曲」世界初演より(スペイン、バルセロナ)

─ 実際どんな曲ですか?
サントコフスキーは日本文化の大ファンで、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の「翳の中に美を見出す」といった感性に大きな魅力を感じ、三味線にもそうした翳や静寂に対する美意識を見出しました。従って本作には、静寂の中で三味線がバッと1音だけ発するような効果が満載されています。そして翳の中で囁くような繊細極まりない音色から眩いばかりに光り輝く場面まで、二人の奏者が三味線の魅力を弾き分け、インプロヴィゼーションも披露します。またサントコフスキーは三味線自体や記譜の方法を徹底的に研究し、普通はやらないような特殊奏法も用いています。
─ オーケストラはどのように書かれているのでしょうか?
オーケストラの部分には、カタルーニャ出身の巨匠パブロ・カザルスゆかりの曲である「鳥の歌」のイメージ─鳥の声や羽ばたく音など─が反映されています。ただしそれははっきりした形ではなく、おぼろげな形で見えてきます。オーケストラの書法自体は現代的ですが、耳に優しい響きです。また、かつてカザルスが国連でチェロを演奏した際に、「ピース、ピース、ピース」と叫んで弾き出した「鳥の歌」は、カタルーニャの自由の象徴であり、「羽ばたく」ことの象徴でもあります。このカザルスの思想や象徴が曲に入ることによって、後半の演目であるベートーヴェンの「第九」交響曲との関連性が出てきます。
─ それはどのような意味でしょうか?
「第九」は、この楽団にとって非常に重要な曲です。戦時中にカザルスが当地でフェステバル・オーケストラを振っていた時、独裁者フランコがカタルーニャの境界を越えて来たと聞いて指揮を止めました。そして楽員に続けるか否かを問いかけ、全員の希望で演奏した後、2度とスペインに戻りませんでした。つまりそれが彼のスペインへの最後の挨拶になった。その時の演目が「第九」で、そのオーケストラがバルセロナ響の母体なのです。ゆえに同楽団は、特別な機会に「第九」の演奏を続けています。従ってBunkamuraの30周年記念に平和の使者として訪れ、「鳥の歌」の要素が含まれた協奏曲と共に演奏して楽団からのメッセージを伝えることができるのは、祝祭性と人間性への深い共感を併せ持った「第九」を置いて他にないと考えて、この曲を選びました。
─ 「第九」はそれ自体が特別な作品ですね。
「全ての人々よ抱き合え」「全ての人々は兄弟である」という一節は、ベートーヴェンの思想の根幹を成しており、音楽を通して彼が終生訴えかけようとしていたのが、そうした人類愛だったと思います。嵐や内面的な戦いのような第1楽章、疾風怒濤のような荒々しい第2楽章、美に耽溺しているかのような第3楽章を全て否定した後に、曲一番の静寂の中から湧き出て広がっていくのが、人類愛に充ちた「歓喜の歌」です。「第九」は、身体的な困難を超克した音楽家としての人生そのものであり、人々が音楽を聴くことで共感を分かち合うという哲学の表れ。ですから体力、気力ともに充実している時に気合を入れて臨まないといけません。
─ 今回はまさに“その時”であるということですね?
そう、今回強調したいのは、「この7月24日こそ『第九』の本質を聴くことができます。ベートーヴェンが求めたものを皆で探し、苦しみを乗り越えたからこそ生まれる『歓喜に寄す』の美しさと躍動、人間であることの喜びを、ベートーヴェンそして30周年のBunkamuraオーチャードホールと共に体験しようではないか。これこそ『第九』を聴く最高の機会ではないか」ということです。なおソリストも、バルセロナ響が今回各地で演奏する「トゥーランドット」の主役歌手が中心ですから、世界の一流歌手が集うことになります。
─ 最後に30周年を迎えたBunkamuraへの思いをお聞かせください。
Bunkamuraオーチャードホールでは、1989年のオープニングの「魔笛まほうのふえ」、東京フィル常任指揮者時代の「オペラ・コンチェルタンテ・シリーズ」、ベルギー王立モネ劇場の「ドン・ジョヴァンニ」、フランス国立リヨン歌劇場の「ウェルテル」「ホフマン物語」と、私にとって記念碑ともいえる重要な機会に演奏してきました。ですから今回30周年という節目に、しかも「第九」で参加させて頂くのは、この上ない喜びです。

インタビュー:柴田克彦(音楽評論)