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プロフィール
モンテカルロ・バレエの歴史

モナコ公国モンテカルロ・バレエ団
Sous la Presidence de S.A.R. la Princesse de Hanovre
LES BALLETS DE MONTE-CARLO
Choregraphe‐Directeur Jean-Christophe MAILLOT
La Belle/ミックスプロ
秀逸な演出で話題を巻き起こしたJ=C.マイヨー率いるモンテカルロ・バレエ団再来日!
2月6日(金)〜11日(火)
会場:Bunkamuraオーチャードホール

モンテカルロ・バレエの歴史

 セルゲイ・ディアギレフの率いる《バレエ・リュス》が初めてパリのシャトレ座で公演し、ミハイル・フォーキンの絢爛豪華な作品を上演したのは1909年のこと。2年後の1911年、モナコ公国は《バレエ・リュス》の本拠地、憩いの場、そして創造的な実験室となり、数多くの卓越した作品が次々にここで着想され、上演されたが、この「ベル・エポック(よき時代)」も、1914年、第一次世界大戦勃発とともに終わりを告げた。だがディアギレフは1915年から一座の再建に乗り出し、1920年、《バレエ・リュス》はふたたびモナコにやってきた。1923年にはセルジュ・リファールが一座に加わり、その翌年にはジョルジュ・バランシンが加わって、次々に新作を振り付けた。

 1929年にディアギレフは急死し、《バレエ・リュス》は解散したが、3年後、モンテカルロ歌劇場の後援のもと、ルネ・ブリュムとワシーリイ・ド・バジル大佐を団長に戴いて、《バレエ・リュス・ド・モンテカルロ》として再結成された。二人はディアギレフの精神を受け継ぎ、ドラン、クリスチャン・ベラール、ミロ、デュフィらに舞台美術や衣装を委嘱した。1934年にはバジル大佐が一座を去って独自のバレエ団を結成し、ルネ・ブリュムは第二次《バレエ・リュス・ド・モンテカルロ》を結成した。このバレエ団は世界の主要な国の首都を訪れ、1936年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場で公演した。しかし第二次世界大戦のせいで、ふたたびヨーロッパに姿を現すことはなかった。
 《バレエ・リュス》を復活させようという試みはあとをたたず、1942年にはマルセル・サブロンの《レ・ヌーヴォー・バレエ・ド・モンテカルロ》が、1945年にはセルジュ・リファールの《ヌーヴォー・バレエ・ド・モンテカルロ》が結成された。1947年、マルキ・ド・クエヴァスがその一座を《グラン・バレエ・ド・モンテカルロ》と改名し、3年後には自分の名を冠して独立して活動するようになり、モナコ公国との関係は終わった。

 モナコ公国にふたたびバレエ団が誕生するのはそのずっと後、1985年のことである。グレース公妃殿下の遺志を継いだカロリーヌ公女殿下が《モンテカルロ・バレエ》を結成し、ギズレーヌ・テスマールとピエール・ラコットを芸術監督に招いたのである。1988年にはジャン=イヴ・エスケールがその跡を継ぎ、1993年からはジャン=クリストフ・マイヨーが芸術監督を務めている。

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