ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界

2010年7月17日(土)−8月29日(日)

Bunkamura ザ・ミュージアム

展覧会紹介

400年前のワンダーランドへようこそ――

400年前のワンダーランド

 岸に打ち上げられた巨大な魚・・・武装した男が大きなナイフで腹部を切り裂く。溢れ出るおびただしい数の魚たち。≪大きな魚は小さな魚を食う≫というタイトル通り、それぞれの魚はさらに小さな魚を口にくわえている。縦横30センチにもみたない小さな画面に広がるこの緊迫したドラマは、観る者の目をくぎ付けにする抗いがたい魅力に満ちている。さらに目を凝らすと見えてくる不思議な生き物たち―大きなエラを動かして空を飛ぶ魚、左側では足の生えた魚が斜面を登っている・・・。現代の漫画やアニメーションにも通じるこの奇想天外な世界が、実は400年以上も前に生み出されたことに驚く人も多いのではないだろうか。
 この銅版画の創案者は、16世紀ネーデルラントの偉大なる画家、ピーテル・ブリューゲル(1525/30〜1569年)。この画家が美術史上卓越した作品を残したことはここで語るまでもないが、諺や風景、宗教、寓意、教訓、村の祭りや季節の営みなど極めて多岐にわたるブリューゲルの版画もまた当時非常に人気があった。ブリューゲルの豊かな独創性と力強い表現力で巧みに構成される白と黒の織りなす世界、それは極めて小さいながらもその奥に広がる深遠なる世界へと観る者の想像力を自由に羽ばたかせ、果てしなきワンダーランドへと誘(いざな)うのである。

アルプスを呑み込んだ画家

 ブリューゲルが画家として活動を始めたのは、現在のベルギー北部の都市アントワープ。画家、ピーテル・クック・ヴァン・アールストのもとで修行時代を送ったのち、1551年には親方として聖ルカ組合に登録された。15世紀末、国際商業の中心であったブリュージュの港が北海から流れ込む土砂で埋まってしまうと、代わって国際貿易の主要港となったアントワープは、商業、金融の中心地として急速な発達を遂げた。
 その頃イタリアでは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロに代表されるルネサンス美術が最盛期を迎え、その影響がアルプスの北側まで浸透し始めていた。ネーデルラントの画家たちは一層の研鑽を目指してイタリアへと赴き、巨匠たちの作品や古典古代の美術から規範を学び、自らの芸術へと取り入れた。ブリューゲルも例外ではない。親方として登録してまもなくイタリアへの旅路についている。しかし、イタリア旅行がブリューゲルの芸術に様々な影響を残したことは疑いないとしても、後の作品にはその顕著な痕跡は残されていない。むしろ、ブリューゲルの心を捉えたのは、旅行の途上に体験したアルプスの壮大な景観だったようだ。ネーデルラントの画家で、美術理論家でもあったヴァン・マンデルの印象的な言葉を借りるならば、ブリューゲルは、「アルプスにいるとき、全ての山や岩を呑み込み、帰郷してからそれをキャンヴァスや板の上に吐き出した」のである。その成果は帰郷した直後に発行された「大風景画」(1555〜56年)と呼ばれる12点組の風景版画に見ることができる。大自然の息吹を伝える生き生きとした描写は、それ以前の風景表現の伝統に新たな生命を吹き込んだのである。

ブリューゲル版画の仕掛け人、版画商ヒエロニムス・コック

 ブリューゲルに風景版画の下絵を依頼し、その才能を大きく花開かせたのは、アントワープで国際的版画店を営むヒエロニムス・コック(1518〜1570年)であった。画家として修業を積んだコックもまたイタリアへと赴いたが、ローマで盛んな版画出版業を目の当たりにし、1548年、故郷アントワープに「四方の風」という屋号を持つ版画店を開業した。コックは優れた画家や彫版師を雇用して質の高い版画を発行し、ヨーロッパのみならずアメリカ、中近東、オリエントまでその販路を広げ、一大版画出版ビジネスの拠点を築きあげた。
 風景シリーズ以降のブリューゲルの初期の版画では、ネーデルラントの先達の画家、ヒエロニムス・ボスの幻想的な作風への接近が見られる。おそらくは、ボス・リバイバルという当時の風潮に乗じた依頼主コックの意図を受けてのことであろう。≪聖アントニウスの誘惑≫(1556年頃)では祈りを捧げる聖人の姿よりも、画面の中央を占める恐ろしい頭部が観る者の目を引き付けている。しかし聖人をあの手この手で誘惑しようとする悪魔の姿は、ブリューゲルの手にかかるとどこかユーモラスな趣を見せている。同様に、キリスト教において人間を堕落に導くと考えられた「七つの罪源」の連作においても、奇怪な細部に満ちた世界が広がるが、画面に散見される日常的なモチーフが、普遍的な親しみやすさを添えている。連作中の一点、≪大食≫(1558年)に見られる、欲望に身を任せ、暴飲暴食に走る人々のなれの果ての姿は、現代の我々にあっても思わず身につまされずにはいられないのである。

現実生活に息づく道徳的教訓や諺の世界

 ブリューゲルの作品に共通してみられる鋭い人間観察や同時代的な要素は、道徳的教訓や諺の世界においても画面に強い説得力と現実性をもたらしている。冒頭であげた≪大きな魚は小さな魚を食う≫(1557年)では、遠景にアントワープを思わせる、波止場に大きな荷揚げ用のクレーンのある都市景観を挿入することで、この幻想的な場面が現実空間に突如現れ出たかのような印象を与えている。諺や教訓は主題として当時人気があったが、ブリューゲルは単なる絵解きにのみ重点をおくのではなく常に現実的な舞台設定を用いた。それは≪学校でのロバ≫(1557年)においても同様である。この版画の主題は「ロバが勉強のために学校に赴いたとしても、それがロバなら馬となって戻ることはあるまい」というオランダ語の銘文によって示されているが、読み書き用の教科書や紐のついた石板が当時の学校の様子を現実味をもって伝えている。

村の祝祭と季節の労働

 ブリューゲルが村の人々や農民たちに抱いていた深い共感の念は、民衆の祝祭や季節の営みの主題として、次世代の画家たちの間でも繰り返し取り上げられて定着していくことになるが、祝祭の行事を百科事典的に列挙した≪ホボケンの縁日≫はその最初の作品である。一方、農民の労働により月暦や季節を表わす中世以来の伝統的な図像もまた、十六世紀後半から十七世紀にかけて豊かな展開を遂げていく。ブリューゲルは死の一年前に、真夏の労働とのどの渇きを癒す農夫のクローズ・アップした姿が非常に印象的である≪夏≫の下絵を制作し、この分野に新たな境地を開いた。

 15世紀末のデューラーが下絵、彫版、印刷のすべてを自身で行っていたのに対し、16世紀になると工程の分業化が進み、下絵は専門の彫版師や印刷師の手を経て版画として発行されていく。ブリューゲルはコックに数多くの下絵を提供し、ときには油彩画からも版画が作られたが、実際ブリューゲル自身が彫版したのはわずか一点だけであった。逆にいえば、ブリューゲルの非凡な表現力はまさに当時の一流の版画師たちの手によって世に送り出され、16世紀版画芸術の頂点を極めたといえるだろう。ベルギー王立図書館の全面的な協力を得て開催される本展覧会は、世界的なブリューゲル研究者である森洋子氏の総監修のもと、世界初の試みとしてこれらブリューゲル版画と同時代の画家たちの作品、あわせて150点を一堂に会し、主要なテーマにわけてその世界を展観していくものである。会場では、最先端の技術を駆使したデジタル・コンテンツやユニークなキャラクターを用いて、ブリューゲル版画の造形的な面白さを思う存分楽しめる構成になっている。

Bunkamuraザ・ミュージアム 廣川暁生


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