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国立トレチャコフ美術館紹介&当時の時代背景とロシア文化の流れ

国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア
2009年4月4日(土)−6月7日(日)
Bunkamuraザ・ミュージアム

国立トレチャコフ美術館紹介&当時の時代背景とロシア文化の流れ

国立トレチャコフ美術館
実業家トレチャコフが夢見たロシア美術の殿堂

 ロシア美術の宝庫、国立トレチャコフ美術館は12世紀の貴重なイコンに始まる約10万点の所蔵作品を誇っています。この膨大なコレクションは創設者、パーヴェル・トレチャコフ(1832-1898)によって基礎が築かれました。モスクワの商家に生まれたトレチャコフは紡績業で多額の財を築き、利益を社会に還元しようと数多くの慈善事業を行ないました。とりわけ生涯をかけて取り組んだのが「ロシアの芸術家によるロシア美術のための美術館」、それもあらゆる人に開かれた公共美術館の設立だったのです。鋭い審美眼の持ち主であったトレチャコフは、当時のアカデミーの潮流のみに囚われず確固とした信念に基づき40年にわたってコレクションを充実させていきます。なかでも熱心に同時代の芸術家の作品を収集、レーピン、クラムスコイ、ペローフなどの芸術家との親交も厚く、彼らの育成にも努めました。トレチャコフは1880年代から自宅の庭に立てたギャラリーでコレクションの一般公開を始め、1892年には亡くなった弟のヨーロッパ絵画の収集品と併せてコレクションをモスクワ市に寄贈しました。彼の死後、住居も展示室へと改装されて、ワスネツォフの設計による古代ロシア建築様式の豪奢なファサードが建てられ、20世紀初頭には現在のような姿になりました。ロシア革命後、国に移管されたトレチャコフ美術館は、その後も美術の収集を続け、質量ともに第一級のロシア美術のコレクションを世界に誇っています。

1856 トレチャコフ、ロシア絵画の収集を始める 1856 クリミア戦争に敗北
    1861 農奴解放令
1863 クラムスコイを中心とする14名の学生たちがサンクトペテルブルグ美術アカデミーを離脱  

 

    1866

ドストエフスキー『罪と罰』

1869

シーシキン《森の散歩》

1869

トルストイ『戦争と平和』

1870 移動展覧会協会(移動展派)結成    
 

ペローフ《鳥追い》

   
1871 第1回「移動展派展」がサンクトペテルブルグで開かれる    
1873 レーピン、フランス留学(-76)    
    1874 ナロードニキ(人民主義者)の活動が活発化
    1877 露土戦争開始(-78)
1878 レーピン、移動展覧会協会に加わる  

トルストイ『アンナ・カレーニナ』

1879

レーピン《レーピン夫人と子供たち「あぜ道にて」》

1879

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(-80)

1881 トレチャコフの美術ギャラリーが一般に公開される1881 アレクサンドル2世暗殺、アレクサンドル3世即位
1882 ペローフ没    
       
1883

クラムスコイ《忘れえぬ女》

   
1884

ゲー《文豪トルストイの肖像》

   
1887 クラムスコイ没    
    1891 シベリア鉄道の建設始まる(-1905)
1892 トレチャコフ、全コレクションをモスクワ市に贈る    
1893 レーピン、移動展派を離脱し、美術アカデミーの教授となる    
1896

レヴィタン《満開の林檎の木》

1896

チェーホフ『かもめ』

1898 サンクトペテルブルグに国立ロシア美術館が開館 1898 ロシア社会民主労働党結成
    1904 日露戦争(-05)、

チェーホフ『桜の園』初演

    1905 第一次ロシア革命、血の日曜日事件
1907

グラバーリ《散らかった食卓》

   
    1914 第一次世界大戦勃発(-18)
    1917 ロシア革命、ロマノフ王朝の崩壊

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