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アルチンボルドとルドルフ2世

奇想の王国 だまし絵展 2009年6月13日(土)−8月16日(日) Bunkamuraザ・ミュージアム

アルチンボルドとルドルフ2世


ジュゼッペ・アルチンボルド
《ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)》
1590年頃 油彩・板
スコークロステル城(スウェーデン) Skokloster Castle, Sweden

《ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)》

政治への関心が薄く、変わり者として知られる神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(1552-1612年、在位1576-1612年)は、一方で学問や芸術を積極的に庇護した人物でもある。プラハに居城を移し、ヨーロッパ中からたくさんの芸術家や科学者を集める一方、とりわけ錬金術に興味を示し、多くの錬金術師のパトロンともなった。こうして文化的に大いに発展を遂げた首都プラハには、世界中の珍品、骨董、芸術品が集められ、そこにはまさに奇想の王国が築き上げられていったのである。宮廷画家として寵愛されたアルチンボルドは、稀代のコレクターとして知られるこの王のために、骨董や珍奇な動物の買い付け等も担当していた。
本作品は古代ローマの神ウェルトゥムヌスになぞらえたルドルフ2世の肖像画である。ローマ神話に登場するこの神は、果樹と果物の神であり、季節の移ろいを司る神ともいわれている。ここでは、それ以前の「四季」や「四大元素」の連作のように横顔ではなく、正面向きの肖像として描かれることで、季節や諸元素のすべてを支配する、皇帝の統治とその永遠性が高らかに謳い上げられているのである。変身能力を持つとされるウェルトゥムヌスがルドルフ2世に姿を変えた瞬間を描いたとされるこの作品では、神聖ローマ帝国で見出される野菜、果物、花々、そのすべてが盛りを迎えてみずみずしさにあふれている様子で描かれ、皇帝の恵みに満ちた統治によってもたらされる帝国の調和と繁栄が祝福されている。自らの才能と技のすべてをハプスブルク家に捧げたアルチンボルドによる、まさに皇帝図像学の決定版ともいえるこの肖像画、一見グロテスクに見える顔も、じっくりと細部を眺めていくと実に緻密な観察に基づいて描かれていることがわかる。
ルドルフ2世の死後、ボヘミアはヨーロッパ諸国を巻き込んだ30年戦争の舞台となり、プラハ城のルドルフ2世のコレクションの多くも破壊、散逸を余儀なくされることとなる。本作品は1648年のスウェーデンによる略奪でスウェーデンへと渡り、現在はストックホルム近郊のスコークロステル城に所蔵されている。

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593)

ミラノで画家の息子として生まれる。1562年、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の招きでウィーンに移住して宮廷画家となり、その後マクシミリアン2世、ルドルフ2世とハプスブルク家3代の皇帝に仕えた。自然の事物を合成して擬人化するという奇抜な手法を用いて制作した「四季」や「四元素」の連作は、ハプスブルク家および神聖ローマ帝国を称える絵として大いに歓迎された。画家としての制作活動のかたわら、宮廷の装飾や衣装のデザイン、祝典や馬上槍試合の企画なども手がけ、幅広い分野で非凡な才能を発揮している。1583年、宮廷遷都によりルドルフ2世とともにプラハに移り、天文学者ケプラーらとも親交を持つ。1587年には公務から退きミラノへ帰郷。《ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)》は、1590年頃にミラノにて完成させ、プラハに送った。ルドルフ2世自身もこの肖像画を大変気に入り、アルチンボルドに宮中伯という貴族の最高位を与えている。1593年、ミラノにて死去、その後長きにわたりグロテスクで奇妙な人物像は理解されてこなかったが、近年ではそこに高い教養と知識に裏打ちされた確固たる意図や意味が込められていることが明らかにされてきている。

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