TIARA プリンセスの輝きティアラ展
プリンセスの輝きティアラ展

展覧会紹介

日本で初めての高貴な体験

ティアラとは―

ティアラとは、宝石などを散りばめた冠状の髪飾りのこと。男性ならこの程度のイメージしか浮かばないだろうが、女性はこの言葉から、様々なきらびやかな世界を思い描くに違いない。これを戴いた女性は憧れのお姫様となり、ときには女神にさえなることができる。それはテイアラが、特別なときにしか身に着けない、特別なジュエリーだからなのである。
本展はそのティアラの名品100点を一堂に会した日本で初めての展覧会。ティアラの全てがここにあるといっても過言ではないのだが、どんな見所があるのだろうか?


散りばめられたダイアモンド

ティアラで最も多く使われている宝石はダイヤモンドである。それはこの最も高価な宝石こそが、いろいろな意味での最高位の象徴でもあるティアラに最も相応しいからだ。実際、ダイヤモンドが放つ透明感のある強い輝きは、このジュエリーのもつ崇高さそのものといってもよいだろう。しかもティアラには、質の高いダイヤモンドが惜しげもなく大量に使われている。選ばれた者しか手にすることができないジュエリーであることは、その外観からしても明らかなのだ。
ダイヤモンドがこれほど使われるようになった背景には、近世における研磨技術の発達と、1870年頃の南アフリカでのダイヤモンド鉱山の発見がある。1851年のロンドン万国博覧会を機にすでに活況を呈していたジュエリー界は、これによって更なる華やかさを増すこととなった。
今回出品されるティアラのなかでも、ナポレオン一世の血をひくマリー・ボナパルトのティアラは、カルティエの作で、大小取り混ぜた千個を越すオールド・ブリリアント・カットのダイヤモンドと、中央には9.61カラットのペア・シェイプ・カット・ダイヤモンドが揺れるように下げられている。イタリア王妃マルゲリータのティアラや英国のヴィクトリア女王の愛娘であり、ヘッセン大公ルードウィッヒ4世妃となったプリンセス・アリスのティアラにも、目を見張るほどのダイヤモンドが用いられている。


金・銀・プラチナ

古代エジプトに起源を持つティアラは、古代ギリシア時代には今日のような意味合いを獲得することとなる。つまり、高貴なる者の神性を象徴するジュエリーとしてのティアラの原型が現れる。卓越した業績を残したアスリートに与えられたのは、月桂樹(ローレル)のリースであったが、ジュエリーとしてはゴールドでその葉をかたどって製作されていた。
またナポレオン一世が戴冠式でかぶった王冠も、ゴールドの月桂樹であった。
しかしダイヤモンドを引き立てる金属としては、むしろ銀白色のものが好まれた。ポンペイの発掘などによる古代ブームのなかでティアラが復活する18世紀から19世紀にかけては銀がダイヤモンドの台座として使用されたが、金と同様に錆びずに永遠の輝きを保つプラチナがジュエリーに取り入れられはじめたのは、19世紀も末のことであった。これによってティアラは洗練さを増し、ダイヤモンドの透明な輝きがさらに強調されることとなった。
たとえば本展に出品されている《プリンセス・シクストのブルボン=パルム・ティアラ》は、繊細なプラチナ細工と透明なダイヤモンドの輝きが見事に融け合った華麗な一点である。


アール・ヌーヴォー

ティアラに用いられた宝石はダイヤモンドだけではない。ルビーやサファイヤ、エメラルドあるいはアクアマリンなども用いられたが、とくに19世紀末から20世紀はじめに起こったアール・ヌーヴォー様式では、芸術性の高さを追求するなかで新たな素材が積極的に用いられた。それは単なる権威の象徴ともなりうる高価なダイヤモンド一辺倒からの脱却であり、さまざまな素材の良さの再発見にもつながった。
セミ・プレシャス・ストーンやハード・ストーン、象牙や珊瑚、あるいは動物の角などが使われ、またエナメルも大いに活用された。アール・ヌーヴォーが自然への回帰といった側面も持っていたことから、モチーフには昆虫などの小動物も登場し、ティアラは新たな領域を獲得した。
「芸術性」となれば当然作者名も表に出てくる。なかでもルネ・ラリックは、アール・ヌーヴォーならではのモチーフを、優雅な曲線使いでまとめあげた《ドラゴンフライ・ティアラ》などの傑作を数多く残している。


ティアラらしからぬティアラ

頭の両側やシニョンの前を飾るのがエイグレットと呼ばれるティアラ。この言葉はシラサギをも表わし、鳥の羽を使っているのが特徴である。これは17世紀から18世紀の後期まで使われ、その後一時廃れていたアイテムだが1870年以降、ナポレオン三世の帝政から第三共和制へとフランスの体制が変わったころ、君主制をあまりに連想させるかつてのティアラが新しい政治体制に相応しくないと感じた女性たちにより、公式の場で用いられたことで再び脚光を浴びた。そもそもティアラが広まったのは、ナポレオン一世が宮廷の女性たちに公式の場での着用を命じたのがきっかけだったのである。
本展にもこのユニークなティアラが出品されている。たとえばハミング・バード(蜂鳥)をモチーフにしたエイグレットは、19世紀末の華やかな社交界のファッションの豊かさを表わすジュエリーであるといえるだろう。


ヘアスタイルに合わせて

バンドーと呼ばれるティアラもエイグレットとともにちょっと変わったティアラである。これはアール・デコの時代、つまり1920年頃から女性の髪形にショート・ボブが登場したのに合わせて生まれたもので、頭を一周させて額の低い位置に着用する。またすでにこの時代、ティアラは王侯貴族だけのものではなくなり、上流階級の、あるいは社交界の女性のファッションのひとつとなっていた。例えばオペラや舞踏会、結婚式といったフォーマルな場で、女性の気品を高めるアイテムとして、ティアラは、しかし相変わらず特別なジュエリーとして用いられたのである。またこのことは、ティアラがもはやヨーロッパだけのものではなく、新大陸の女性たちにも積極的に使われるようになったことを意味している。本展出品の《ドリス・デュークのバンドー》は、そんなティアラのひとつで、アメリカのタバコ産業で巨万の富を築いたジェームズ・ブキャナン・デュークが56歳で結婚した妻のために購入したものである。


高級メゾンの饗宴

ほとんどのティアラは特注のオーダーメイドである。注文するのは結婚式を迎える王族であり、旧世界にあこがれるアメリカの富豪たちである。このことは本展に出品されているティアラにも言えることで、それぞれのティアラにはそれを着けたそれぞれの女性の物語が秘められている。そしてそのなかには、私たちがよく知っている名前が、すでに見てきたように直接的・間接的に登場する。たとえばその典型として、ナポレオン一世の妹にしてナポリ王妃のカロリーヌ・ミュラ、ナポレオン三世の皇后ユージェニー、英国のプリンセス・アン、モナコ公妃となった女優グレース・ケリーなど。
しかし現代の女性たちの胸をときめかせるのは、そういった受け手の名前だけではない。つまり今をときめくショーメ、メレリオ・ディ・メレー、カルティエ、ミキモト、ヴァン クリーフ&アーペル、コッホ、ファベルジェ、ブシュロン、ブルガリ、ルネ・ラリックなどの作品が次々と登場する。各「メゾン」は、普及品の製作とは別に、特別なジュエリーであるティアラを、技術とセンスを駆使して作り上げている。そしてそれらは、単なる宝飾品の域を超え、ひとつの芸術品として、しかも女性の憧れの結晶として、展覧会の会場でそれぞれの美と個性を主張するのである。


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