Column ミュシャ財団キュレーター 佐藤智子さんインタビュー
本展キュレーターを務めるミュシャ財団の佐藤智子氏にスペシャルインタビューを実施。
ミュシャ作品との出会いから鑑賞のポイントまでをお聞きしました。
本展鑑賞前にぜひご覧ください。
Q:佐藤さんとミュシャ作品との出会いを教えてください。
本格的な出会いは、1993年までさかのぼります。そのとき私はロンドンのバービカン・アートギャラリーで、駆け出しの学芸員でした。時代的には1989年にベルリンの壁が崩壊し、チェコではビロード革命が起こったあとの1992年にミュシャ財団は立ち上げられました。たまたま代表であるジョン・ミュシャ(アルフォンス・ミュシャの孫)がロンドンにある銀行の頭取をしていて、地元にあるからという理由でバービカン・センターに接触してきて「ミュシャの展覧会をやってくれ」となったわけなんです。
私は美術史を勉強しましたが、それまでは教科書や書店を見てもミュシャを紹介するものはありませんでした。ポスターを紹介する書籍でも数行程度で、「ミュシャ=アール・ヌーヴォー=ポスター」という目で見ていました。しかし展覧会の担当が決まった際ジョンがプラハに招待してくれて、初めてミュシャの家を訪れ、そこで認識が変わりました。
Q:その時印象に残っている出来事は何でしょうか。
特に心に残っているのは、ジョンが見せてくれたガラス乾板*の写真のネガです。それがもうすごい数で「これは何ですか」と聞いたら「ミュシャが撮った写真なんだよ」と。《スラヴ叙事詩》でも見覚えのあるいろいろな構図をモデルさんで撮っていて、これもミュシャなのかと驚きました。鉄のカーテンの外では知られていない事実でしたね。
*ガラスの板に写真感光材を塗布して焼き付けたもの
アルフォンス・ミュシャ 《原故郷のスラヴ民族―連作〈スラヴ叙事詩〉より》 1912年 油彩、テンペラ/キャンバス ミュシャ財団蔵 ©2024 Mucha Trust
Q:そこからミュシャ財団へとつながっていくのですね。
実際に財団で働いてみないかと言われたのは2007年に入ってからです。その時ジョンに言われたひとつの条件として「自分はアール・ヌーヴォーのミュシャ、ポスターとしてのミュシャの取り上げ方には飽き飽きなんだ」、「自分にとって祖父の最高傑作だと思うのは、彼が死ぬ間際まで働いて、そして決して完成することのなかった《三つの時代》*なんだ」と。
*《三つの時代》
ミュシャが生涯最後に手掛けた作品。全人類の平和の記念碑となることを願い『理性の時代』『英知の時代』『愛の時代』という三つのテーマから成る連作として構想されたが、1939年3月、ドイツがチェコスロヴァキア共和国に侵攻した際にゲシュタポ(ゲハイメ・シュターツポリツァイ)に拘束され、制作が中断。数日間にわたる尋問の後釈放されるが、健康状態が悪化し、同年7月にプラハで死去。作品は未完に終わる。
詳細はこちら(英語ページ)
Q:イマーシブ映像の最後の方にでてくる作品ですね。
《三つの時代》につながる《スラヴ叙事詩》があって、その前にパリ万博*があって、そこをどうつなげるか。そういうプログラムを作ってほしい、と言われました。
*パリ万博
1900年に開催。ミュシャはボスニア・ヘルツェゴビナ館の内装を依頼されスラヴ民族の歴史を調査したことが、《スラヴ叙事詩》制作のきっかけと言われる。
Q:まさに今回の展覧会の内容につながりますね。本展の注目ポイントを教えてください。
ぜひ構図的な部分を見てください。映画のようにミュシャの人生を見せるのは簡単です。でも、イマーシブだからこそできるのは「構図の分析」なんです。どんな次元の装飾的なモチーフがあるのか。それから枠も特徴的です。分解して再生することで、ミュシャがどのように作品を作り上げているか、ミュシャの様式とは何かを知らせたかった。
©2024 Mucha Trust-Gran Palais Immersif アルフォンス・ミュシャ《モナコ・モンテカルロ》(部分)1897年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©2024 Mucha Trust
Q:確かにミュシャの様式のように、言語化されてもすぐにわからないことが自然に理解できる映像です。
これまでミュシャだけでなくたくさんの展覧会を担当してきましたが、言葉で伝えるには限界があります。「デジタルの力を使って科学的に見せる」というのが我々の出発点でした。視覚的な表現にすると一瞬で理解できます。今回は、グラフィックデザイナーと我々キュレーターが机を突き合わせて創り上げた映像を皆さんにご覧いただくことになっていますのでお楽しみに。
PROFILE
佐藤智子 Sato Tomoko
ミュシャ財団キュレーター。2007年より同財団の展覧会企画および研究プログラムを担当。以前はロンドンのバービカン・アート・ギャラリー(バービカン・センター)のキュレーターとして、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ、特に英仏の美術運動、建築、デザイン、写真の様々な局面を紹介。世田谷美術館との共同企画『JAPANと英吉利西(いぎりす)日英美術交流1850-1930』展(1992)、『オスカー・ワイルドとその時代』展(2000)、『アルヴァ・アアルト:坂茂の視点』展(2007)などを企画。
Video 1 展示室の様子
本展の第1章では迫力ある映像を駆使したイマーシブな空間の中で、アール・ヌーヴォー様式を経て大画家へと転身するアルフォンス・ミュシャの作品世界を3幕構成で追います。
その様子をダイジェストでお届け!
Video 2 マルカス・ミュシャ氏より、本展に寄せて
ミュシャのひ孫であり、ミュシャ財団エグゼクティブディレクターのマルカス・ミュシャ氏よりビデオメッセージが届きました!マルカス氏は早稲田大学に留学経験もあり、日本語によるスペシャルメッセージです。
シネマトグラフを発明し「映画の父」と呼ばれるリュミエール兄弟とミュシャとの親交から、現代の技術を駆使した本展へのつながりについて、思いを語っていただきました。
Report 1 スペシャルトークイベントレポート1
2024年12月3日(水)、「永遠のミュシャ展」開幕を記念して、本展キュレーターのミュシャ財団 佐藤智子氏とBunkamuraザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男によるスペシャルトークイベントが開催されました。その内容をダイジェストでご紹介いたします。
「学び」の視点をもったイマーシブ展を
宮澤:まずお聞きしたいのですが、ミュシャの作品をイマーシブ展として開催する意義とはどういうことなるでしょうか。
佐藤:私がミュシャ財団でキュレーターの仕事を始めたのがちょうど15年前。その前はロンドンのバービカン・アート・ギャラリーのキュレーターでした。これまでに多くの展覧会を担当したのですが、その中でキュレーターのリスポンシビリティ(責務)、いかにして作家を紹介するかを考えていました。紹介の仕方には色々なやり方があります。例えば絵画の解説にしても単に年表を追うだけでなく、どのような構図を作って、その作品を何故作ったのかを考えます。
2019年、コロナの直前でしたがパリのリュクサンブール美術館というところで、ミュシャの大規模展を開催しました。その頃にはパリでも、ファッションのようにあちこちでイマーシブ展というものが始まっていました。
会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
宮澤:倉庫のようなところでクリムトとかやっていましたね。
佐藤:そこでミュシャはどうか、という声が当然上がったわけです。私も同僚と一緒にイマーシブ展を見に行ったのですが…人様の作品を悪く言うつもりはないのですが、学びがないというか。クリムトはとても魅力的ですが、作品を大きく伸ばしたり、それを上から下に走らせたり、右から左へ流したり、ワグナーの曲をのせたり…それが何なのか、と。見ている人たちの反応を見ていたのですが、「すごい、細部まで見られる」とまずはその大きな画面に圧倒される。それはその通りなのですが、会場をいくら見て回っても何の情報も得られない。なぜこの絵が選ばれて、そして彼が何をした人なのかがさっぱりわからない。ズームイン、ズームアウトという傾向のものが非常に多いわけです。
宮澤:そのクリムトの展覧会というのはイマーシブの初期の展覧会で、いわゆる“プロジェクションマッピングのちょっとしゃれたもの”くらいの感じで、今思うとテキストがまったく無かったですね。
(写真左)Bunkamurザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男(写真右)ミュシャ財団 佐藤智子氏
佐藤:フランスのキュレーターたちと話をしたら「時代の流れはあるから、イマーシブという手段もありだ」という人もいて。パリの国立美術館協会のイマーシブ専門の部門を作ろうと言う動きもあり、その関係者に会う機会を持ったのがこの企画の始まりです。彼らも美術館としてイマーシブ展をやるならば、それに準ずる学びの視点と、作品から情報の提供をしなければ意味がないという考えでした。でも残念ながら直後にコロナで休止しなければならなくなり、その後2022年に再開して、フランスのデジタル専門のアーティストやデザイナーたちと協力し、財団が作品の映像を提供することによってできたのが、今の展覧会の原点です。そしてそれを日本に持って来たのですが、日本では会場の作りが全然違って…。
宮澤:パリ会場のオペラ・バスティーユは、いわゆるオペラ座。普通の建物とはかなり違う構造でした。天井高もヒカリエホールとパリ会場では全く違います。元の映像を日本の会場に適応させるには、映像の専門家が相当な時間をかけないとできない大変な作業でした。
佐藤:パリでは映像とともにインフォメーションとか色々なものを一緒に流す形だったのですが、構造上見にくかったりしました。それをヒカリエホールの完全な没入型の場所に持ってくるために、もともとの映像作品を分解する必要があったわけです。分解して、分散して、6面を使って今のような形に仕上げてもらいました。本当にご苦労な作業だったと思います。
パリ展会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif アルフォンス・ミュシャ 《トラピスティーヌ》(部分)1897年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©2024 Mucha Trust
宮澤:結果的にはフランスから来日した技術者のみんなも喜んでいたので、とても満足いく結果になりました。
佐藤:イマーシブのメリットは何なのか、という話ですが、構図とかそういうものを説明する上で、どんなに画家側にデザイン上の苦心があったとしても、キュレーターが200~300字ぐらいのパネルにまとめて書くには限界があります。例えば、特徴的な女性がいて、バックに円環があって、その周りに色々な花模様がある画面をミュシャが作ったとします。これが何を意味しているのかを書き出したらひとつの論文になってしまう。それをイマーシブというデジタル技術を使えば、視覚的にわかりやすく説明することができるのではないか、という仮定から始めました。
作品を分解して組みなおす、分析するイマーシブ
会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
佐藤:イマーシブというのはミュシャの特徴的な構図の説明に一番いいわけです。縦長で、女性が立っていて、そして必ず髪の毛がふわっとなって。それらは装飾としてだけでなく、動きも計算されています。そして後ろの円環を取り巻く花や、シンボリックで神秘的なものなど、それらを一目で見られるわけです。それが分解され、さらにもう一度組み合わされて、元の構図に戻って…ああ、そうなのか、こういう過程があって、こういう構造にしているのかと。そういう説明をイマーシブで表現したかったのです。
宮澤:イマーシブというと没入感というところだけに注目されがちですが、分析という視点もありますよね。作品を分解して組みなおすという作業を最新のテクノロジーにやってもらうと、キュレーターが長い文字で説明するよりも見たら一発でわかる。だからすごく優れた方法のひとつだと思います。
佐藤:もうひとつのイマーシブのメリットとして…例えば2017年に日本の国立新美術館で〈スラヴ叙事詩〉を展示しましたが、あの作品はその後チェコの国宝になったため、もう二度と海外展で見ることはできません。ミュシャだけでなく、なかなか見ることができなくなってしまった作品もあるわけです。そういうものもイマーシブとして持ってくれば、普通では見えない細部までを大画面で見てもらえます。
宮澤:細部…特に高部。高いところに描かれている部分ですよね。
会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
佐藤:〈スラヴ叙事詩〉のように一点の作品が最大で6×8メートルもあると、距離をとらないと全体像が見えないし、近付けば細部は見られても全体は見えない。特に上部が見えないわけです。イマーシブ映像は3つのテーマに分かれていて、第二幕にパリ万博のボスニア・ヘルツェゴビナ館のパビリオン映像が出てきます。実はこの作品もまだ現存しています。ところがチェコのプラハ国立装飾美術館に納められていて、壁画部分のキャンヴァスを組み立てて当時の様子を再現することは無理。でも画像はあるので、そこからテクノロジーを駆使して分解や組み立てをして、今回しっかりとお見せしています。当時のパビリオン映像の中で、どのようなテーマで、どのように飾られて、そして登場人物がどのような動きをしているのか、色も作品通りに見ていただけます。
宮澤:色が着色していくような演出になっていますよね。実は僕はこの作品が現存しているって知らなかった。だからもともとモノクロの写真しか残っていないものに色付けしたと思ったら…色はちゃんと残っているんですね!
佐藤:キュレーターの立場から言うと視野が広がりました。今後はいろいろな展覧会の作り方の幅を広げられるのではと私は期待しています。あまりにも大きな壁画だと、工事現場のように動いて見られるような足場がないと、きちんとは鑑賞できません。それを普通の美術館で展示することは、非常に困難だと思います。
会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
映像、音楽、香り―立体的な空間の体験
「第3章 ミュシャのアトリエ」に設置しているディフューザー ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
佐藤:あとは立体的な空間の体験。例えば音楽、そして嗅覚。今回もミュシャに関連する香りのディフューザーを置いて、花の香りやミュシャがいたモラヴィア地方のイメージの香りなどの演出があります。ミュシャの手記の中に、子供の頃にモラヴィアの草原で転げまわっていたという記述があって。そういうものを根拠にしながら、フランスの香水会社と協力して香りを作りました。
宮澤:「第3章ミュシャのアトリエ」では、アトリエ独特の油絵具を溶くオイルのにおいとかが微妙に混じっていますね。
佐藤:ミュシャはとにかく花の好きな人でした。アトリエにも花は絶やさなかったらしいです。また子供のころは聖歌隊にもいて香炉でお香を焚いていたので、その香りも一緒に混じっています。彼の手記から得る情報を元にしながら、調合師たちが作った香りです。あとサラ・ベルナールの部分は、彼女の好きな香りに基づいて作られています。
宮澤:今回の展覧会は、「第1章」のイマーシブ映像三幕が中心ですが、「第4章」も面白い。ミュシャの絵の中で女性が着ている服を実際に作って、それをコメディ・フランセーズの女優さんが着ている。背景だけはミュシャの絵をそのまま使って、その前で女優さんが踊るように動いて最後にポーズを決めています。
佐藤:「第4章」でお伝えしたいのは、ミュシャが彼女たちをモデルに使って、何を表現したかったのかです。ミュシャの女性像として“美”という言葉はキーワードなのですが、ミュシャの言う“美”というのはグラビア、雑誌、映画などで見るような“美しい顔”のことではないのです。彼の思う“美“とはバランスであり、内面世界と外面世界の調和。それは社会の構造にも言えるし、自然の構造にも言える。人間の場合はそれなりの志を持った美しい心が、一人ひとりの個人のアピアランスに現れる美しさなのです。元の作品を使ってウィンクをさせるとか、男性を誘惑するようなポーズをとらせるなどのアニメーション技術もありますが…こう言っちゃなんですけれども、それはキュレーターがやってはいけないこと。あくまで作家の意図を伝えるように作りたい。
会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
Report 2 スペシャルトークイベントレポート2
2024年12月3日(水)、「永遠のミュシャ展」開幕を記念して、本展キュレーターのミュシャ財団 佐藤智子氏とBunkamuraザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男によるスペシャルトークイベントが開催されました。その内容をダイジェストでご紹介いたします。
「写真家としてのミュシャ」
動きをどのように二次元で表現するか
宮澤:今回の公式ブックの中にもありますが、モデルに服を着せて、ポーズをとっている写真がたくさんありますね。
(写真左)Bunkamurザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男(写真右)ミュシャ財団 佐藤智子氏
佐藤:写真家はもうひとつの彼の顔です。美術家として知られる前から亡くなるまで写真を撮っていました。だから財団には膨大な写真の資料があります。一番重要なのが〈スラヴ叙事詩〉などで作り上げたもの。劇場のようにセッティングして、映画のように自分が監督になって指揮をとりながら、モデルにポーズや演技をさせて撮るわけです。あるいはスタジオの中で、ヌードモデルに好きなように動いてもらい、それを連写して動きをとらえる。彼の関心ごとは、動きをどのように二次元で表すかなのです。
宮澤:「第4章」の女優たちが服を着てポーズ取っているっていうのは、まさにミュシャがやってきたことですよね。いわばミュシャの芸術活動の再現のような感じになっています。
佐藤:ミュシャはとにかく劇場が好きだった。若いころからアマチュア劇団で演技をしたり、自分がメガホンをとって監督したりしていた人。だからサラ・ベルナールに雇われた時には、ポスターを描くだけでなく、アーティスティック・ディレクターとしてアドバイスもしていたし、彼女が着ていた衣装や髪飾りなどすべて彼がデザインをしていました。
「第3章 ミュシャのアトリエ」ではミュシャが撮影した写真が作品にどう昇華されたかを映像で紹介
©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
宮澤:そこがアール・ヌーヴォーの一面ですよね。つまり19世紀末のアール・ヌーヴォーというのは単に曲線で描かれているだけではなくて、ライフスタイルのトータルデザイン。特にグラフィックアートの分野が重要で、あとはインテリア、ファッション、宝飾品。逆にファインアート、油絵や彫刻といった伝統的分野はアール・ヌーヴォーとはあんまり言わないかな。
佐藤:アール・ヌーヴォーというきっちりとした形式があるわけではありません。誰もそういう言葉で、その特徴を作ったわけではありません。よってキュビスムとか、表現主義とか、フォーヴィスムとは違うわけです。だから私たちの今の主流のとらえ方は「アール・ヌーヴォー=過渡期」なのです。
現代の作家に影響を与え続けるミュシャの魅力
宮澤:でもミュシャという芸術家を通して、アール・ヌーヴォーというか、19世紀末に行われていた芸術の一潮流は見直されていると思いますね。実際に日本の漫画家とかも影響されていますし、本展の最後の方には影響されたアーティストの作品が色んな形で展開されています。《ジョブ》という紙巻きたばこの有名な作品をそのまま使っているアーティストもいますね。
会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
佐藤:真似とかコピーとかって言いますけど。でも、これはミュシャ本人も言っていますが、オマージュ、つまり敬意を示すために同じ構図を使いつつ、違うオケージョン、違う色使いをして作る。
宮澤:1960年代はヒッピー・ムーブメントの頃ですからね。著作権の観念が甘かったと思います。だから真似しても大丈夫だったというのはあると僕は思います。
佐藤:それもありますけれども、あまりそういうことに頓着する時代じゃなかった。重要なのは、実はそれまでミュシャが忘れ去られていたということ。
宮澤:“鉄のカーテン”という共産主義のあの影響の中で、なかなかミュシャの作品が外に出なかった。
佐藤:だから彼ほど誤解され、さらに世によく知られていない有名人はおりません。
宮澤:でも、今のいわゆるサブカルチャーという烙印を押されてしまっているアーティストたちは、ミュシャの真価を知っているわけです。だから自分の作品にどんどん取り入れて、ミュシャのいいところを吸収していますよね。
佐藤:それはミュシャが様式を作ったから。この展覧会にも、現代作家、漫画家とかいろいろな方のインタビューを入れていますが、ご自身たちがおっしゃっています。「知らなかったけれども、あとで勉強してみたらこれはミュシャだった」って。
宮澤:そういう人いますね。だからすごく影響力があったというか…ある。
佐藤:今も、現在進行形です。
宮澤:ファイナルファンタジーの天野喜孝さんもですから。いまだに多くの人が影響を受けているって感じですね。
佐藤:それとは別に、今度はアメリカではストリート系のミューラリスト(壁画家)が活躍していて。彼らの場合ストリートアート=メッセージ性で、政治や社会問題を表すために壁画を描いたりする。その時にミュシャがインスピレーションだったりするわけです。というのは、それぞれに〈スラヴ叙事詩〉が描く民族や社会問題と共通するテーマがあるので、ヒューマニストとしてのミュシャにインスパイアされて描いている作家もたくさん出てきています。
会場風景 ©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
〈スラヴ叙事詩〉から見る、ミュシャが願う「人類の平和」の視点
宮澤:本展「第2章」では、たまたまテープが残っていたラジオでのミュシャによるチェコ語の演説を流しています。内容は政治演説ですね。
佐藤:貴重な声です。ホンモノです。みなさんはミュシャの作品に関心があるから本展にいらしてくださっているのだと思いますが、これをきっかけに、ミュシャがどういう人だったかということを探求していただければと。
宮澤:ちょっと難しいなと思ったのは、〈スラヴ叙事詩〉のテーマであるスラヴ民族統一の話。今の世界情勢のこともあるのでちょっとデリケートかなと思いましたが、ミュシャの場合はあくまでも平和主義者として、スラヴ民族の平和を通して、人類の平和を願っていた。
「第2章 ミュシャの生涯」では貴重なミュシャの生音声も体験できる
©2024 Mucha Trust-Grand Palais Immersif-Bunkamura
佐藤:そういうことです。人によっては、あるいは美術史家によっては“ナショナリズム=右翼”みたいなことを言う人もいますがそれは完全な誤りです。まずナショナリズムということを考えた場合によく言われるのは“ナショナリズム”という言葉自体に二重の陰影があると。なぜかというと、その人の置かれた政治環境、それから社会環境によってその意味が変わるのです。国が全くない人、あるいは民族が自分たちのアイデンティティを伝えようと思ったら、自分たちのナショナルを強調せざるを得ない。あるいは、独立しようと思ったらそれを強調せざるを得ない。だからそれを“右翼=侵略者”の立場として語るのは間違いなのです。
宮澤:ミュシャの場合、ずっと自分の国がなくて、できたと思ったら今度はドイツが入ってきて、そして結局は共産主義になって…。当時はチェコスロバキアですが、ロシアから抑圧されていて、それをはねのけて現在のチェコ共和国とスロバキア共和国があるわけです。ミュシャはそういう歴史の中で動いてきた人だなとつくづく思っています。
佐藤:本当に今の時代に密着していている問題だし。日本はとても平和ですけれども、ミュシャを通してそのあたりのところ、世界のことを皆さんも考えてみてください。