超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵

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2020.04.01 UP

島村信之氏講演会「描きたいものの原点と出会いが生み出すもの」開催レポート

 

光のなかに佇む女性の肌の繊細な表現や、好奇心いっぱいのまなざしが感じられる精緻な昆虫シリーズの作品など、鑑賞者をその魅力的な世界にひきつけてやまない写実画家 島村信之さん。本展では、大画面の2点を含む6点が展示されていますが、その作品の前でご本人から、これまでの画業を振り返る貴重なお話をいただきました。90分のトークでは、作品を学生時代、公募展、白へのこだわり、作風、娘の記録、風景、裸婦、生物、肖像画、という9つのテーマに分けて話が進められました。

 

  
 
 
 
 
 
 
 
 

 


 

 

プロフィール紹介

 

 

高校の美術教師との出会いから美術の道へ

島村さんは1965年、埼玉県に生まれ、子供の頃から運動部に所属、高校生のときは大学の経済学部か体育大学に進もうと考えていたそうです。しかし、浪人が決まったとき、親しかった高校の美術教師から勧められたのが美術の道に進むきっかけとなりました。お茶の水美術学院に1年間通い、武蔵野美術大学の油絵学科へ入学。その後大学院まで進みます。

 

大学院修了後、デザイン会社へ就職

卒業後はディスプレイデザイン会社に入社し、主に百貨店の装飾に関わる仕事を担当しました。同年、公募展の白日会にも入りました。写実に特化している団体で、現在ホキ美術館が所蔵している作品の半分くらいの作家が所属していました。「そこで初めて絵描きをやっている先生に出会ったり、力作を見ると頑張らなくてはという緊張感が芽生えました。15年間連続で出品するのですが、画力を上げていくには重要だったと思います。画商さんに声をかけられたり評論家の先生と会う機会があったり、絵描きを目指している人にはいい場なのではないかなと思います」。一方、3年目から神奈川県海老名市にあった商品彩色部に異動。配属先はマネキンのメーキャップや、表面を大理石や木のように見せたりという特殊な塗装の部署で、絵の背景に見られるそうした技術は会社で身に着けたもの。デザイン会社に入ったことが、今は絵描きとしてためになっているといいます。

 

銀座・柳画廊との出会い

「銀座の柳画廊で3回個展を行い、作品を気に入って「全部買い取る」と言ってくれました。1年間に何枚描けばという収入のめどがつくので、会社を辞める決断につながりました。その後、画廊からグループ展の誘いを受けて出品の場が増えていきました」。

2007年には、前田寛治大賞展という、若手の写実画家の登竜門で大賞を受賞します。

 

2010年ホキ美術館の代表作作家に選ばれる

「そうして順調に来たのですが大きかったのはホキ美術館のオープンです。それまで人前で話すこともなかったのですが、ありがたいことに巡回展で呼ばれて何回かやらせていただいています。僕のことを知って会いに来てくれたり、美術館の宣伝力に驚かされています。また美術館で自分の作品を常時見れるというのが特別で、おかげでこうした女性像だけでなくロブスターや昆虫の絵も描かせていただいています」。

 


 

作品紹介

 

 

1. 学生時代 

ロボットアニメ

ここからは、時代を追いつつ作品を紹介していきます。「高校生の時、ファンタジックなイラストレーターの長岡秀星(しゅうせい)さんの絵がとても気に入り、1年生の夏休みに水彩絵の具で描きました。こういう幻想世界や神秘的な雰囲気を絵の中に持ち込みたいと思っています」。

予備校では石膏像などの木炭でデッサンや経験のない油絵を苦労して描き、短時間でいろいろなテクニックを駆使して描くことを学びました。

 

    

高校1年 水彩画

 

 

大学2年  テンペラ模写            

 

 

大学時代

「アーチのような額の作品は大学の授業で描いたテンペラ画です。金箔を貼って、好きな作家を模写する授業で、1870年アメリカ生まれのマックスフィールド・パリッシュという、イラストレーターを選びました。大自然の中に少女という、平和で穏やかな世界を不思議な色使いで幻想的に描いており、このようなモチーフは今の僕の作品の原点といえます。

課題でフェルメールの小さい作品を2枚模写し、また、卒業制作にもフェルメールの影響が見られます。左から入って来る光、床面が紺と白のタイル、壁が白く静かな室内風景で、そこに張りのある原色が入っています。構図のもとになったのはフランスのジャン・シメオン・シャルダンの作品です」。

 

 

大学3年 フェルメール模写《レースを編む女》

 

 

午後零時 1989

 

 

2. 公募展 

白日会

「白日会の初期の頃は、ディスプレイ会社にいた影響で、商品にあてるスポットライトを画中に取り入れていました。次は壁に時代を感じさせるような塗装をしていた頃の作品。後ろを絵柄の入ったシュールな雰囲気にして前景の布が溶け込むようにしたり、遊び心をいれて描きましたが作品は目立たず評価が悪く、悔しい思いをします。挽回しようと原色やコントラストを強く出す作風に戻し、賞がいただけたと思います。

 

 

沈静 1994

 

 

扉 1995

 

 

3. 白へのこだわり 

自然光で描く

一転、翌年からはスポットライトではなく自然光に限定して描くようになります。「なぜ移行したかというと、自然光で描くと色の見え方や影の色、移り変わりの感じなどが全く違うのです。1998年、公募展で初めて裸婦を発表します。特に油絵具は人間の肌を描くのにとても向いていることに気づきました。乾きが遅くグラデーションがきれいに作れ、下に塗られた層を何重にも透かして見せるレイヤー効果に特化しています。特に女性の肌は白や無彩色の中ではとても綺麗な色合いを見せるので、そこから白にはまっていきました」。

 

白のやすらぎ 1998

 

 

4. 作風 

日常

「《籐寝椅子》は隣の家の奥様が「モデルの椅子にどうですか」と、その方のお母さんの形見であるこの椅子を貸してくれたのです。本当によくできていて、座るだけですごくいいポーズに決まりますし、職人の気持ちも伝わってくるようなものでした。籐の編み込み一つひとつを追って複雑な空間を描くのが実はすごく大変で、この椅子が主役といってもいいくらいです。作品を目の前にする人にも、見たことがあるよねというような体験をこの絵の中で感じていただけたらいいなと思っています。なるべく横顔で誰を描いているのかわからないというのが狙いです。視線をどこかにそらすのが僕の特徴かと思っています。  

逆光では影が多くできるため光をより強く感じることができ、その光の表現というものが作品のテーマにあります」。

 

  

籐寝椅子 2007 ホキ美術館 ※本展出展作品

 

 

日差し 2008 ホキ美術館

 

 

造形 

「もっと彫刻的で、どうしたら女性像をダイナミックに格好良く見せられるか、構図を前もって考えて決めています。うなじや頸椎がうなだれた感じ、色気のようなものは、やはり女性特有の魅力かなと思っています」。 

 

   

薫風 2007

 

 

明日へ 2012

 

 

ファンタジー

冠を被った女性の頭部を描いた背景としては、「野波(のなみ)浩さんという写真家がいて、少し幻想的な西洋人のモデルさんが精霊のように自然物を体にまとった姿で、見る人が幻想世界に入っていけるような色使いをされます。その人のイメージから発展して、山ぶどうを拾ってきて、冠を一生懸命作って描きました」。

 

Deepen 1999

 

 

5. 娘の記録

「娘の誕生から少しずつ成長を追って描いています。《潮騒》は前田寛治大賞展の出品作です。白日展では大人の女性像ばかり描いてきたのですが、このコンクールではそれ以外のテーマで臨まなければならないと決めておりました。思案中にたまたま娘がアトリエに入ってきたので、「ちょっと絵のモデルをやってみる?」と言って、じっとしていてもらいたかったのでモチーフとしておいてあった貝を持たせて「波の音が聞こえるから聞いてみて」と。その演技のない表情が良かったので採用しました。 

《レッスン》は5歳でバイオリンを習い始めてすぐだと思います。背景が大理石風のイメージで描かれていますが、普通の壁よりは風景のような、あるいはメロディが聞こえてきそうな流れができるので、よくこの石の模様を入れます。 

《水際》(2013年)は、突如とやってくる災害被害など人生の行く先どうなるのかわからないという怖さもあって、常にその境界線にいるのだなという思いから描いた作品です。イギリスのテート美術館にあるジョン・エヴァレット・ミレイ作《オフィーリア》という作品イメージも重ねています。

年齢を重ねて、周りも自分も変化していくことを感じる。儚いからこそ絵描きとして何ができるのかと。作品作りにはものの「儚さ」を知り、だからこそ「希望」を見出すことがテーマであると思っています。ロブスターを描いたりするのは、夢や憧れを象徴したもの。」。

 

  

レッスン 2008 ホキ美術館 ※本展出展作品

 

 

水際 2013

 

 

6. 風景

「靄が立ち込めているような雰囲気の所が好きで、上高地の9月の朝早い時間を描いた作品です。朝日が当たって変化しながらピンク色に輝いているのがきれいでした。神秘的な雰囲気の風景画を描きたいと思って、何回か取材に行きました」。

 

朝靄 2001 ホキ美術館

 

 

7. 裸婦

「人の肌を描きたいというのがすごくあるので、裸婦は時折描いていきたい。モチーフをモデルの周りにあれこれ置いたこともありましたが、シンプルに描くと見えてくるものがあります。ある程度、裸婦画に求めてきた形は完結しているとは思うのですが、今後も別の形を求めていきたいと思っています。これは暗闇に溶け込むような人物が描きたいと思って、自然光の入る窓からの光の量をかなり制限して描いていたものです」。

 

月夜 2015 ホキ美術館

 

 

制作過程

「描き始めのグリーンは、古典技法、テンペラなどで昔の絵描きさんが下地に緑っぽい色を置いて暖色をのせていくと肌の色が感じよく収まるというので実験的にやっています。毎回やり方が違い、他にモノクロや茶褐色での描き始めなどがあります。バーントシェンナとイエローオーカーという色を描き出しでは最も好んで使っています。人物を描いてから布を描くのではなくて、布と人体は同時進行で描きます」。

 

 

 

8. 生物 

甲殻類 

「子どもの時に見ていたアニメの影響で、甲殻類は戦闘型ロボットに見えてしまうのです。ロブスターを描くときも憧れで描いて、描いているとまた別の感情が生まれてくるので面白いなと思うのです。これは画商さんに「売る自信がない」と言われたのですが、おかげさまでホキ美術館に入って紹介されてよかったです。「幻想ロブスター」は狙いとしては、人間がもし対面したら恐怖心が芽生えるようなアングルにしています」。

 

  

ロブスター(戦闘形態)2009 ホキ美術館

 

 

幻想ロブスター 2013 ホキ美術館 ※本展出展作品

 

 

昆虫標本

「大磯に住んでいると窓にカブトムシが激突してきます。子供にも見せたいと思って飼い始めたら僕のほうがはまってしまって、その後昆虫即売会に通うようになって8年経ちます。飼育のクワガタ、カブトムシの幼虫は多い時で200匹以上になり、累代によって大型個体の作出を目指しています。

絵描きにとって、これだけのめり込めるものを素直に興味を持って描けるというのは一番いい状態かと思います。苦労していい作品を生み出すのもあるのですが、気分転換になります。人物画ばかり描いていると行き詰まりマンネリになってしまうこともあり、両方やるとすごく精神的にバランスがいいのです。 

日本のクワガタはおよそ40種いるそうですが、《夢の箱》にはその半分に当たる20種が描かれています。でも世界には1500種類ほどいるそうです。クワガタのハサミ部分は「ツノ」とは言わず「アゴ」といいます。ヒラタクワガタはアゴがとても長いものや横幅があるもの、背中に筋模様があるものなど何種類もいます。このなかには採集禁止になっているものもおります。

小泉八雲が日本人を高度な虫の美を鑑賞する特殊な民族であると書いています。古くからホタルやトンボ、チョウの鑑賞、そしてスズムシなど秋の虫の音を楽しむ習慣がある。虫を芸術や文学のモチーフとして取り入れることも多いのです。そういう作品を美術館で残せるのはありがたいし、日本人としてやっておきたいという思いもあります。

これは世界で一番美しいクワガタとも言われているニジイロクワガタでオーストラリアに棲息しています。 

色々な昆虫の標本を集めておりますが、「展脚」といって標本の形を整えることも自分で行なっています。これにも技術が必要で作った人の個性が出ます。数百匹やらないといい形が作れるようになりません。またクワガタは成虫として羽化するまでの気温に左右され、サイズや顎の形状が変わったりしますので、幼虫飼育時には計画的に温度管理をします。このように良型個体を目指して育てています」。 

 

   

夢の箱 2017 ※本展出展作品

 

 

ニジイロクワガタ-メタリック-2014 ホキ美術館 ※本展出展作品

 

 

9. 肖像画

「これはホキ美術館の初代館長さんです。男性像で肖像画はこの作品だけです。肖像画は本人か、その人をよく知る方達が「まさしく」と認めて、初めてその真価があると思っていて、描いた本人では判断できない特殊さを感じています。本心から言ってくださったかはわかりませんが、「いいよ」とおっしゃってくださったのでほっとしました」。

 

保木館長 2011 ホキ美術館

 

 

アトリエ

制作時は、大磯の東西南北窓に囲まれて光に満ちたアトリエで椅子に座るのではなく、床に座って低い位置で描かれているそうです。

 

 


 

こうして、お話をうかがってくると「光」「女性の肌」「とある誰か」「ファンタジー」「幻想的」「神秘的」「儚さ」「希望」「昆虫」などさまざまな作品のキーワードがわかりました。これまで、多くのよき出会いがあり、それを生かし日々の研鑽から、島村さんのすばらしい作品が生み出されてきたのだと感じました。今後の作品のヒントもいただき、ますます楽しみになりました。どうぞ島村先生の今後にご期待ください。