2020.02.24 UP
学芸員によるコラム:写実絵画でしか味わえない迫力に、圧倒され、魅了される─。
野田弘志 《聖なるもの THE-Ⅳ》 2013年 油彩・パネル・キャンバス
写真とは全く別物の芸術
写真でいいじゃないか―。写実絵画についてこんなコメントをよく耳にします。しかしそれは何よりも写真家に対して失礼な話。ファインダーを覗いてシャッターを切れば、眼前の世界をそのまま切り取ることができるというのは素人考えで、一枚の作品としての写真のために、写真家はアングルを考え、光を調整し、何枚も写真を撮り、それらを比べて選び出し、印画紙のことを考え、作品を発表するわけで、絵画とは全く異なる過程を必要とする別の芸術なのです。
写実絵画とは何か―。これは意外に難しい問題ですが、本物のように描かれた絵画くらいに留めておかざるを得ません。「写真のように描かれた」と言ってしまうと堂々巡りに陥ってしまいますが、そう言いたくなる背景の一つには、写真自体が、そしてカメラが近年目覚ましく発展したという事実も見逃せません。ソール・ライターがカラー写真で金字塔を打ち立てたのは1950年代のことで、逆に写真の方が絵画を追っていた感がありました。
写実絵画の長い伝統
古の時代から画家は写実を目指していました。15世紀フランドルのヤン・ファン・エイクは毛穴まで描き込むほどの細密な人物像を描きましたが、そこに描かれたのは当時の服装の西欧人なので、現在の日本人には距離が感じられるかもしれませんし、画面の劣化に伴う古色もそれに拍車をかけています。
このような絵画芸術が曲がり角に行き当たったのが19世紀の写真の出現でした。当時の人々がシャッターを切れば現実が切り取れると思ったのは、「写真でいいじゃないか」と言った現代人とある意味で同じ感覚です。そして写真に脅威を感じた印象派の画家たちは、絵画にしかできない表現を求めていきました。そのことが、絵画が現実の因襲的な写実から遠ざかって行く原因にもなったのです。わざと細部を描かない、自分にはこう見えたという点を大切にし、画家独自の世界を追究する。そして現代、画家たちは精巧な写真を目の前にして、新たな挑戦を試みます―絵画にしかできないことは何かと。
それは対象を深く見つめることを通じ、物の存在の本質に迫ることであり、作品を通じて自己を発現することだと思います。この求道的な姿勢から生まれた作品こそが人に感動をもたらすのです。ですから、1960年代にアメリカで起こったスーパーリアリズム(フォトリアリズム)では写真を画面に投影してエアブラシで素早く描くのですが、主観や感情が排除された作品はそれなりの面白さはあるものの、本展で取り上げる写実絵画とは似て非なるものと言えます。
日本での展開とホキ美術館の登場
日本ではフランスのアカデミー派の画家ラファエル・コランに学んだ黒田清輝らが洋画の本格的な普及に尽力し、その門下である岸田劉生が日本の写実絵画を牽引していくのですが、これとは別の流れであったキュビスム、更には抽象表現主義やアンフォルメルがもてはやされるようになっていきました。そんな中で敢えて本格的な写実絵画を始動させたのが、本展出品作家の一人野田弘志(1936─)でした。当時のフランス哲学にも造詣があった彼は、物の本質を追究し、「存在」を表現し、多くの画家に影響を与えました。初めは小さかったこの流れもいつしか多くの人々の注目を集めることとなり、それに道筋をつけ、絵画の確固たる潮流としてまとめたのが2010年に開館したホキ美術館でした。まさに時宜を得た出現であり、ブームの火付け役となったのです。
一方、近年のブームの中で、若い女性を描いたヌード作品が雑誌などで盛んに取り上げられた結果、写実絵画のなかで突出してしまい、身近な存在が精妙に描かれているだけに生々しく、ときにコケティッシュに映り、写実絵画から少し遠ざかってしまった人もいるようです。本展はそういった点も考慮して、誰もが楽しめる作品選定をしました。
写実絵画とザ・ミュージアム
アメリカでは60年代にポップアートも起こり、美術のあり方を大きく変えていきました。そんな中で我が道を貫いたのがアンドリュー・ワイエス(1917─2009)で、ザ・ミュージアムでも展覧会を2度開催(1995年、2008年)しました。アメリカの地方都市の日常の情景を丁寧に描いた作品は日本人の琴線に触れたのですが、表だったアートシーンとは距離を置いた孤高の画家でした。
このような「孤立」が国単位で起こったのがスペインでした。17世紀にベラスケスやリベーラといった写実絵画の巨匠を輩出したスペインは、20世紀初頭の内乱を経て、戦後1975年までのフランコ将軍の独裁政権下、文化的鎖国が40年にわたって続き、その結果美術の新しい潮流から取り残される形で写実絵画の伝統が保たれるという皮肉な結果となったのです。そこに乗り込んでいったのが、本展出品作家でもある磯江毅(1954─2007)であり、彼が師と仰いだスペイン写実絵画の第一人者アントニオ・ロペス(1936 ─)の展覧会をザ・ミュージアムでは2013年に開催し、大きな話題を呼びました。ロペスは磯江の作品について「精神においてより宗教的になり、優れて神秘的となった」と述べています。これは写実絵画を追究する画家が到達する境地を代弁しているといえるでしょう。
『超写実絵画の襲来』と題した本展は、こうしたザ・ミュージアムにおける写実絵画紹介の中で開催するもので、ホキ美術館開館以降ブームを巻き起こしている写実絵画の動向に、ザ・ミュージアムとして一石を投じるという意味が込められているのです。
ザ ・ ミュージアム 上席学芸員 宮澤政男