クマのプーさん展

Point見どころ

さて、お話は はじまりますWe are Introduced

息子クリストファー・ロビンとそのぬいぐるみがお話のモデル

クリストファー・ロビン・ミルンは、父A.A.ミルンと母ダフネの間に生まれた一人っ子でした。「クマのプーさん」、あるいは縮めて「プー」と呼ばれていたのは、手足が長く、おなかを押すとうなり声をたてる大きなぬいぐるみのクマで、クリストファー・ロビンのお気に入りでした。子ども部屋には、ほかにもプーの仲間がいて――最初がイーヨー、それからコブタ、カンガとルー、トラーが加わりました。遊んでいるクリストファーをみながら、父親は彼らの冒険を記録していきました。

ミルン一家が週末をすごす家に近いアッシュダウンの森が、クリストファーの探検の舞台となりました。シェパードもここを訪れ、森やクリストファーのおもちゃをスケッチしました。しかし、彼の絵は、自身の息子グレアムと、そのおもちゃのクマ、グラウラーからヒントを得ています。

「バタン・バタン、バタン・バタン、頭を階段にぶつけながら、クマくんが二階からおりてきます」、『クマのプーさん』第1章、E.H.シェパード、鉛筆画、1926年、V&A所蔵 © The Shepard Trust

「おふろにはいるクリスロファー・ロビン」、『クマのプーさん』第1章、E.H.シェパード、鉛筆画、1926年、V&A所蔵 © The Shepard Trust. Image courtesy of the Victoria and Albert Museum, London

『クマのプーさん』の冒頭で、クリストファー・ロビンは、クマをつれて2階からおりてきて、おとうさんにお話をせがみます。そこでミルンは、森で経験したいくつもの冒険のひとつを話してやります。お話が終わると、階段は、お風呂とベッド、つまり現実の世界へもどる、象徴的な存在になります。

テディ・ベア、マルガレーテ・シュタイフ社製造、1906-1910年頃、モヘアのぬいぐるみ、Z. N.ジーグラー氏より遺贈、V&A子ども博物館所蔵 © Image courtesy of the Victoria and Albert Museum, London

このシュタイフ社のぬいぐるみは、E.H.シェパードの息子のグレアムがもっていたクマのグラウラーに似ています。ドイツのぬいぐるみメーカーのシュタイフ社は、1902年に、最初のテディベアを作ったことで知られています。

物語の舞台「百町森」のモデル
―アッシュダウンの森

1925年から、ミルン一家は、イーストサセックスのハートフィールドにあるコッチフォード・ファームで、週末を過ごすようになりました。クリストファーは、近くのアッシュダウンの森を含む家の周囲を、降っても照っても、探検するようになりました。しかし、彼の「てんけん」のはじまりは、庭の大きなクルミの木でした。お茶の時間になると、クリストファーは家に戻って、冒険してきたことを話しました。それがもとになって、『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の2冊が生まれたのです。

百町森の地図、『クマのプーさん』見返し用のスケッチ、E.H.シェパード、鉛筆画、 1926年、 V&A所蔵 © The Shepard Trust. Image courtesy of the Victoria and Albert Museum, London

森はいつでもそこにあります……。
そして、クマと仲よしのひとたちなら、だれでもそれを見つけることができるのです。

―『プー横丁にたった家』、ミルンの前書き「ご解消」より

お話は、どうかな?What about a Story?

原画でたどるプーと仲間たちの名場面の数々

クリストファー・ロビンが、おやすみまえのおはなしを聞こうと、しずかに暖炉の前に座っているとき、父親のA.A.ミルンは、目の前の幼い男の子を見ると同時に、自分の幸せな子ども時代もふりかえっていました。これらのシンプルなお話は、遊び心たっぷりの空想から出たものですが、日常に深く根ざしたものでもありました。テーマは子ども時代、ちょっとした事件や思いちがい、仲良しとけんか、冒険と問題解決、読み書き計算を学ぶことなどでした。

「ハチのやつ、なにか、うたぐってるようですよ」、『クマのプーさん』第1章、E.H.シェパード、鉛筆画、1926年、V&A所蔵 © The Shepard Trust

「つまり、こういうことなんです。」と、プーはいった。
「風船でハチミツをとるにはね、ハチミツをとりにきたってことを、ミツバチに知られないようにするのが、だいじなことなんです。」より

―『クマのプーさん』第1章
「わたしたちが、クマのプーやミツバチとお友だちになり、さて、お話ははじまります」より

「プーを穴からひっぱり出す」、『クマのプーさん』第2章、E.H.シェパード、鉛筆画、1926年、V&A所蔵 © The Shepard Trust. Image courtesy of the Victoria and Albert Museum, London

クリストファー・ロビンが、プーの前足をつかまえ、ウサギがクリストファー・ロビンにつかまり、それから、ウサギの親せき友人一同が、総出で、ウサギにつかまり、みんなが、いっしょにひっぱりました。

―『クマのプーさん』第2章
「プーがお客にいって、動きのとれなくなる話」より

「おいでよ、トラー、やさしいよ」、『プー横丁にたった家』第4章、E.H.シェパード、鉛筆画、1928年、V&A所蔵 © The Shepard Trust. Image courtesy of the Victoria and Albert Museum, London

「ああう!」と、トラーは、わきをとんですぎる木を見ながら、どなりました。
「気をつけろ!」とクリストファー・ロビンがみんなにさけびました。

―『プー横丁にたった家』第4章
「トラーは木にのぼらないということがわかるお話」より

物語るわざThe Art of Narrative

「プーとコブタが、狩りに出て…」、『クマのプーさん』第3章、E.H.シェパード、ペン画、1926年、 クライブ&アリソン・ビーチャム・コレクション © The Shepard Trust

シェパードは、書かれた物語を解釈し、生き生きとした画像に変える天才的な能力を持っていました。それが本の成功の鍵だったのです。またとない技法を備えた画工であり、鋭い観察者で、どんな細かなディテールにも気を配るシェパードは、ミルンと並んで、プーの生みの親でありました。

プー、本になるPooh Goes to Print

『クリストファー・ロビンのうた』(1924年)、『クマのプーさん』(1926年)、『クマのプーさんとぼく』(1927年)そして『プー横丁にたった家』(1928年)は、クリストファー・ロビン本として知られるようになりました。1928 年には、これらの本は、「児童文学におけるユニークな地位」を獲得していました。後に、安価なペーパーバックが出回るようになり、読者はますます広がっていきました。カラー版も出始めました。以後、絶版になったことはなく、世界の児童書の中でも、もっとも愛される本のひとつであり続けています。

『クマのプーさん』初版本、1926年; メシュエン社によりロンドンにて出版; ジャロルド&サンズ社印刷、V&A内ナショナル・アート図書館所蔵© Image courtesy of the Victoria and Albert Museum, London

「枝には、ハチミツのつぼが10ならんでいて、そのまんなかに、プーが…」、『クマのプーさん』第9章、E.H.シェパード、ラインブロックプリント・手彩色、1970年 英国エグモント社所蔵© E H Shepard colouring 1970 and 1973 © Ernest H. Shepard and Egmont UK Limited

世界中で愛されているクマA Very Popular Bear

ミルンの本の人気を見込んで、1930年に、アメリカの起業家スティーヴン・スレシンジャーは、プーとその仲間をもとに、商品開発に乗り出しました。1966年、ディズニーはプーの物語をアニメ化。プーは、世界中に知られる、大人気のキャラクターになったのです。
物語は50以上の言葉に訳され、ありとあらゆるものに――ティーセットから料理本まで――プーの図柄がついています。一目見ればプーとわかるシェパードの絵の力もあって、キャラクターたちは、皮肉めいたものからおセンチなものまで、様々な文脈のなかで言及されるようになりました。

参考写真:V&A におけるクマのプーさん展会場風景

クマのプーさん波佐見焼染付そば猪口、ウォルト・ディズニー社のために製造、 2014年頃、V&A所蔵 © Image courtesy of the Victoria and Albert Museum, London