みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ― 線の魔術

Sections章解説

ミュシャ様式へのインスピレーション

アール・ヌーヴォー様式の典型となったミュシャ様式は、特定の美術運動や芸術理論から派生したものではない。それは祖国独立の夢を抱くチェコ人のミュシャが、ウィーン、ミュンヘン、そしてパリという国際文化都市で画家としての修業を積むうちに、新しい時代の息吹に感応して創り出した独自のデザインの形式であった。
本章はミュシャ財団に遺るミュシャのコレクションと蔵書、写真資料などで構成する。「美の殿堂」と呼ばれたミュシャのアトリエは、モラヴィアの工芸品や聖像、ロココ風の家具、日本や中国の美術工芸品などで飾られ、こうした多種多様な美がミュシャのインスピレーションとなっていた。ここでは、モラヴィアの少年時代からポスター画家として名声を築く1890年代までのミュシャの足取りを追いながら、ミュシャ様式の成立に寄与した様々な要素を検証する。

  • [参考写真]パリ、グランド・ショミエール通りのアトリエにて、異国の品々に囲まれたセルフポートレート

    1892年 ©Mucha Trust 2019

  • 作者不詳《花鳥文七宝花瓶》 19世紀後半 有線七宝 ©Mucha Trust 2019

ミュシャの手法とコミュニケーションの美学

ミュシャは基本的に「線の画家」である。正規の美術教育を受ける前の幼少期から青年期にかけての素描画に見られる、流麗な描線による日常と空想世界の描写は、のちに手がけるイラストやポスターに使われたリトグラフという版画技術による印刷表現には理想的なスタイルであった。それはまた、ジャポニスムを牽引した北斎などの日本の浮世絵師や、現代のマンガ家たちの表現法にも通じる要素である。
本章では、ミュシャのイラストレーターとしての仕事に光をあて、ミュシャが描線により、物語世界のエッセンスを読者にどのように伝えようとしたのか、その手法を考察する。ここで紹介する彼の仕事は1880年代にチェコの雑誌のために手がけた初期の作品から、アール・ヌーヴォーのグラフィック・アーティストとして手がけた本のデザインや、イラスト、雑誌の表紙絵などである。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《風刺雑誌のためのページレイアウト》 

    1880年代 インク・紙 ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    義弟フィリップ・クブラがイヴァンチッツェで発行していた風刺雑誌の紙面デザイン。囲み枠の中にユーモラスなタッチで描かれた人物や場面が、ミュシャ自身のテキストとともに配されている。

  • アルフォンス・ミュシャ
    『オー・カルティエ・ラタン』誌・表紙(創刊6周年記念特別号)

    1898年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    パリのカーニヴァル・シーズン限定で発行された定期文芸雑誌。表紙のイラストには、イバラの冠(イースター前の受難節の象徴)を被り、パリ市の紋章で飾られたマントを羽織った「カーニヴァルの女王」の象徴的な姿と、その足元でパレードに熱狂するラテン地区の学生たちが描かれている。

ミュシャ様式の「言語」

より多くの人々が幸福になれば、社会全体も精神的に豊かになるという考えをもつミュシャが生涯こだわり続けたのは、特権階級のための芸術至上主義的表現ではなく、常に民衆とともに在ることであった。そのためにはイラストやポスター等の商業デザインは格好の手段である。普通の人々を美のもつ力で啓発するために、ミュシャは様々な手法を考案した。エレガントな女性の姿に花などの装飾モティーフを組み合わせ、曲線や円を多用しながら構築された独特な構図の形式 ―ミュシャ様式― は、画家が人々とコミュニケートするための「言語」であった。
本章は、サラ・ベルナールのための劇場ポスターや装飾パネルを見ながらミュシャ様式が成立してゆく過程と、その背後にあるミュシャのデザイン理論を検証する。さらに、プラハ市民会館の壁画に光をあて、ミュシャ様式が祖国での作品の中でどう進化していったかを考察する。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《ジョブ》

    1896年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    タバコの巻紙 〈JOB〉 の宣伝ポスター。商品のイメージは、タバコを一服して至福の表情を浮かべる蠱惑的(こわくてき)な女性の姿に体現されている。女性の長い髪が形成するアラベスク模様とタバコの煙の曲線が、画面に装飾性と躍動感を加えている。女性の頭部の背後に見える商標名〈JOB〉 は、ジョゼフ・バルドゥ社(Joseph Bardou)の略称。ミュシャはこれを図案化して背景の装飾モティーフとして取り入れた。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《黄道十二宮》

    1896年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    ミュシャ様式の形成期にあった1896年後半の作品。十二宮(星座)のモティーフを組み入れた円環を背景に、豪華なアクセサリーを身に着けた女性の頭部が画面中央に描かれている。こうした構図の取り方とともに、うねるような女性の長い髪の様式化された表現は、ミュシャ様式の一つの典型となっていく。当初シャンプノワ社の宣伝用カレンダーとして考案されたこのデザインは、好評を博して、装飾パネルや他社の宣伝ポスターにも転用された。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《ジスモンダ》

    1894年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    挿絵画家として知られていたミュシャを、一躍ポスター画家として有名にしたのがこの作品。「女神」と称えられた大女優サラ・ベルナールの立ち姿が、等身大で、ステージから切り取ったような迫力で描かれている。作家の画力を示す流麗な線、パステル調の上品な色遣い、そして主題の精神面を表現しようとするミュシャの作風は、当時のパリの大衆が見慣れていた宣伝ポスターとは一線を画していた。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《トパーズ―連作〈四つの宝石〉より》

    1900年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    〈四つの宝石〉は、トパーズ、ルビー、アメジスト、エメラルドという4種類の宝石のイメージを擬人化した4点1組の装飾パネル。この作品のテーマ「トパーズ」は、ミュシャのトレード・マークとなった円環のモティーフを背景に、トパーズの色に呼応する黄褐色の衣装をまとい、神秘的な木彫りの飾りのある肘掛けにもたれながら夢想する女性として描かれている。

よみがえるアール・ヌーヴォーとカウンター・カルチャー

ミュシャがパリを後にして58年、その死からも24年の歳月を経た1963年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でミュシャの回顧展があった。それと同時進行で、二部に分けられたミュシャ展がロンドンの2つの画廊でも開催された。冷戦のさなか、西側諸国ではミュシャの記憶は薄れ、パリ時代以降の作品は鉄のカーテンの彼方に埋もれたままであった。しかし、この回顧展がロンドンで巻き起こした旋風は、忘れられていたチェコ人画家の業績を、再び光の下によみがえらせたのである。
これに即座に反応したのが、当時、既成の概念に対峙する若者文化の中心地となっていたロンドンとサンフランシスコのグラフィック・アーティストたちであった。ミュシャの異世界的イメージと独特の線描写は、特にサイケデリック・ロックに代表される形而上的音楽表現と共鳴するものがあった。一方、よみがえったミュシャ様式は、新世代のアメリカン・コミックにも波及し、その影響は今日まで続く。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《ツタ》

    1901年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    作品の主題「ツタ」は、常緑樹で厳しい自然環境にも耐える強靭さをもつ植物であることから、不滅のシンボルとして古くから様々な装飾モティーフに使用されてきた。ミュシャはこれをツタの葉で髪を飾った豊満な女性として描いている。女性の背後には、天から放たれる精神的なエネルギーを象徴する矢のモティーフが、ビザンティン・モザイクの体裁をとって描かれている。この作品では、トレード・マークの円環モティーフはフレームとして転用されている。

  • アルフォンス・ミュシャ『装飾資料集』図45

    1902年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    デザイン見本集『装飾資料集』からの図版。バラと菊をテーマとした装飾パネルのサンプルであろう。サラ・ベルナールのポスターと共通の縦長の構図に、花の髪飾りをつけた女性の立ち姿が描かれ、花や曲線の装飾モティーフと組み合わされながらミュシャ様式の典型が凝縮されている。こうした女性のイメージは、1960年代にロンドンから発祥したミュシャ・リバイバルの波に乗って、アメリカ西海岸の「フラワー・チルドレン」のファッションにも繋がっていく。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《椿姫》

    1896年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    《ジスモンダ》と同様、このポスターは縦長の構図をとり、サラ・ベルナールが演じるヒロインの姿は、満天の星空を背景に、ステージを思わせるプラットフォーム上に配されている。以後、ミュシャは同じ構図にヴァリエーションを加えながらベルナールの劇場ポスターをデザインし、「女神サラ」の一貫したイメージを定着させた。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《北極星―連作〈月と星〉より》

    1902年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    〈月と星〉は、ミュシャによる最後の装飾パネル・シリーズ。宇宙の神秘と自然の調和という哲学的なテーマを追求した。この作品では、「北極星」のイメージが、かざした両手から強い光を放ちながら宙に浮かぶ神秘的な女性の姿として描かれている。周囲に配された光の輪は、北極星の周りを回転しているように見える北の空の星々の動きを表しているのだろう。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《舞踏―連作〈四芸術〉より》

    1898年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    〈四芸術〉は、舞踏、絵画、詩、音楽という4つの芸術の形態を擬人化した4点1組の装飾パネル。この作品のテーマ「舞踏」は、朝のそよ風に長い髪と衣をなびかせながら、軽やかに舞う女性の姿で表現されている。このシリーズでは、円環モティーフと一体化した女性の姿が、足にまとわる衣の裾とともに「Q」という字を形成することから、この構図は後に「Q型方式」と呼ばれ、後世のグラフィック・アーティストに大きな影響を与えた。

マンガの新たな流れと美の研究

与謝野鉄幹が主宰した『明星』第8号(1900年)の表紙を飾ったのは一條成美によるミュシャを彷彿とさせる挿画だった。一條は『新声』に引き抜かれ『明星』の表紙は藤島武二が引き継ぐが、これを契機とするかのように明治30年代半ば、文芸誌や女性誌の表紙を時には全面的な引き写しを含め、ミュシャ、あるいはアール・ヌーヴォーを彷彿させる女性画と装飾からなるイラストレーションが飾ることになる。与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙デザインもこのミュシャ的装本の一つだが、重要なのはこれらの雑誌や書籍に用いられた言文一致体や、晶子が象徴する短歌は、近代の女性たちが、獲得したての近代的自我と自らの身体を「ことば」にした新しい表現だったということだ。つまり近代の女性たちの内面と身体の表象として選ばれたのがミュシャ様式の女性画であった。それは『明星』から70年余りを経た1970年代、少女マンガが内面と身体を発見し、ミュシャの系譜としての少女マンガの「絵」に再び導入するまでの、長い前史の始まりである。
ミュシャは近代の女性たちの内面と身体を表現するアイコンとして、この国の文化史の中にある。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《アカデミー・コラロッシ「ミュシャ講座」》

    1900年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

  • 表紙デザイン:藤島武二
    『みだれ髪』(与謝野晶子)

    東京新詩社と伊藤交友館により共同出版された与謝野晶子の第一歌集(明治34年)の復刻版(日本近代文学館、1968年) ©Mucha Trust 2019

ミュシャの作品は、パリの美術学校に留学していた日本人学生によって20世紀初頭の日本に紹介された。ミュシャがドローイング講座を開いていたアカデミー・コラロッシには日本人留学生も多く、彼らが帰国時に持ち帰るミュシャ展の図録やポスターは、当時の文芸雑誌の表紙絵やポスターに大きな影響を与えた。そうしたインパクトは藤島武二による与謝野晶子の『みだれ髪』の表紙デザインにも現れている。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《ヒヤシンス姫》

    1911年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    1911年にプラハ国民劇場で初演されたバレエ・パントマイム「ヒヤシンス姫」の宣伝ポスター。ヒロインに扮して玉座に座るチェコの人気女優アンドゥラ・セドラチュコヴァの姿が、円環モティーフを背景に画面いっぱいに描かれている。こうしたミュシャ様式の特色は、後世のイラストレーターやマンガ家の構図や物語世界の表現法に受け継がれていく。

  • アルフォンス・ミュシャ
    《モナコ・モンテカルロ》

    1897年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

    フランスの鉄道会社PLMが推進する、「パリからモンテカルロまで16時間、豪華列車の旅」という企画の宣伝ポスター。ミュシャはこのテーマを汽車や観光客の姿で直接表現するのではなく、旅への期待感や旅心そのものを、少女の夢見るような表情で表現した。画面左下から少女の背後に向かってスパイラル状に伸びる植物のツルや花輪が線路や汽車の車輪を象徴し、少女の背後の花輪上で羽ばたく小鳥のモティーフが少女の浮き立つ気持ちを強調している。