デヴィッド・エドワード・バード(グラフィック・アーティスト)
「私はミュシャの作品に呆然とした。『なんて、美しいんだ』と口にするだけだった。その時の僕はとにかく圧倒されたのだ」
1963年、ヴィクトリア&アルバート博物館で開催された回顧展を契機に再評価されたミュシャ。それはスウィンギン・ロンドン時代の若者たちだけでなく、ベトナム戦争への反戦運動から生まれたフラワー/ヒッピー・ムーヴメント〜ラヴ&ピースに湧くアメリカの若者たちの間でも、魅力的なデコラティヴ・アートとして同時に再発見されることになる。その一因として、ミュシャが活躍した1900年前後のベル・エポック(良き時代)と呼ばれた時代の空気と、古い価値観に対するカウンター・カルチャーとして若者文化が初めて花開いた60年代という時代の空気が、どこか似通っていたからかもしれない。
なかでもそれが顕著に表れたのが、新しい音楽として若者に支持されたロックのアルバムのアート・ワークやコンサート・ポスターで、イギリスではイエスやホークウィンド、ザ・ローリング・ストーンズのアルバム等、多くの画家やイラストレーターが競ってミュシャ風の作品を提供。アメリカではフィルモア・イースト(ニューヨーク)とウエスト(サンフランシスコ)という伝説のライヴハウスを中心に、ジミ・ヘンドリックスやドアーズ、ピンク・フロイド等、数々の傑作ポスターが生まれた。
「私はミュシャの作品に呆然とした。『なんて、美しいんだ』と口にするだけだった。その時の僕はとにかく圧倒されたのだ」
「その頃私は7歳くらいだったが、ミュシャの流れるようなラインと美しい色遣いにくぎ付けになった。唯一無二の存在だ」
「ミュシャと同時代の人々が描く線は、粗く、雑なものが多い。しかし、ミュシャは別格である。ただただすごい。とてもリアリティがあって……彼は線を描くことについて素晴らしい仕事をしたんだ」
「ミュシャ作品の精密な表現は、今なお私を驚愕させる。ミュシャがすべてのディテールを描き込むには、何時間も何時間も何時間もかかったに違いないね」
ミュシャのポスター・デザインは、1985年以降に出現するアメリカの「モダン・エイジ」世代のコミック作家に大きな影響を与えた。人気コミック・シリーズ『ストレインジャーズ・イン・パラダイス』でウィル・アイズナー漫画業界賞を受賞したテリー・ムーアや、マーベル・コミックの元主筆(現チーフ・クリエイティブ・オフィサー) ジョー・ケサダは、アート・スクールの学生だった頃に画集を通してミュシャに出会い、ミュシャの画力―三次元の世界を二次元の平面上に活写する線的表現の力と様々な構図上のテクニック―に薫陶を受けたという。やがてこうしたインパクトは、ダイナミックな曲線表現やミュシャ的な装飾モティーフと円を活用した構図となって、彼らのコミック・スタイルの中に取り入れられていく。
「ミュシャは私が直接影響を受けたと言えるたった一人のアーティスト。そして、その影響は私の作品の中に簡単に見てとることができるだろう」
「ミュシャが生きた時代から100年経っても、私たちが作品を楽しみ、学んでいるということは、彼が今なお、もっとも影響力のあるアーティストだと考えられているということだ」
「ミュシャの描いたファンタジーの世界に触発されて、現実の世界ではなく、想像の世界、神話性のある世界というものを描きたいと思いました。例えば美しい女性、それを取り巻く様々な魔物とか、モンスターとか、あるいは妖精も」
「仕事でお金がある程度入るようになってからは、ミュシャの画集が出れば必ず買おうとしていました」
「姉(故・花郁悠紀子)がデビュー前に住んでいた小さな部屋には 《黄道十二宮》のポスターが貼ってあり、とても印象的でした。それがミュシャとの出会いです」(波津彬子談)
「髪の流し方とか、衣服のひだの流れ方とか、そうした要素がとても少女マンガ家の美感にマッチするわけです」
「コマーシャリズムの要素もありながら、絵画的でもあり、装飾美にもあふれて、それを一幅の絵に収めているのはミュシャだけだった」
「ミュシャの絵を初めて見た時、あまりにも自分の中と共鳴するものがあって一瞬立ちすくんだ」