ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまでベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

Column
学芸員によるコラム

星占いが天文学になったのは皇帝のおぼし召しだったのだろうか

作者不詳 《デンマークの天文学者ティコ・ブラーエの肖像》 1596年、油彩・キャンヴァス、スコークロステル城、スウェーデン Skokloster Castle, Sweden

 ルドルフ2世の宮廷に仕えたデンマークの占星術師で天文学者のティコ・ブラーエ(1546-1601)50歳のときの肖像画の、当時の複製が本展に出品される。
 16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパは科学や近代的な知が誕生しようとする夜明けの時代であった。次々と新しいものが世に現れ、新大陸の発見然り、新しい動植物や鉱物の発見も、そして夜空の星も。ルドルフ2世という男は好奇心を全開にして、富と権力を使ってそんな時代を最大限に楽しんだ(そして政治は二の次だった)。当時天文学はまだ占星術だった。英語では天文学はアストロノミーで占星術はアストロジー。アストは「星」で、接尾辞はともに「論理」とか「学問」を意味し(例としてエコノミー、エコロジー)、日本語訳から受ける印象よりは両者はずっと近い関係にあったのだ。だから占星術師のティコ・ブラーエは星の動きを正確に知ることでより精度の高い占いができるということから、自ら発明した最先端の機器でデータを集めた。そしていつの間にか、占い師から天文学者になっていた。自著『天文学の観測装置』をルドルフ2世に贈呈すると、皇帝は彼を宮廷に招聘した。宮廷では数学者という肩書ではあったが、神秘主義思想カバラーや秘数術と関係し、現代の数学とは異なるものと推測される。ブラーエはコペルニクスの地動説を大いに称讃していたものの、天動説も捨てきれず、折衷の体系をまとめ上げる。すなわち太陽と月は大地の周りを廻り、惑星は太陽の周りを廻る。天体観測に関する業績は弟子として宮廷に来たヨハネス・ケプラーによって引き継がれ、天文学の主要文献『ルドルフ表』が編纂された(本展では20世紀の復刻版を当時の天文機器とともに展示)。彼はその後「ケプラーの法則」という惑星の運動に関する天体物理学の金字塔を打ち立てることになる。
 肖像の左上には四大元素(火、水、風、土)が表現されている。それは錬金術を思わせる前近代的なものだが、ルドルフの宮廷では錬金術もブームだった。占星術が天文学になったように、錬金術は昇華して化学となった。星占いから天文学へ。ルドルフ2世の宮廷がその橋渡しをしていたのである。

ザ ・ ミュージアム 上席学芸員 宮澤政男

ペーテル・グルンデル《卓上天文時計》1576-1600年、真鍮、鋼、スコークロステル城、スウェーデン Skokloster Castle, Sweden