物語なき、この世界。

COMMENTコメント

岡田将生

岡田将生

以前三浦さんとご一緒した『何者』では、僕が演じた役の正解を一緒に、徹底的に諦めずに探してくださったんです。そんな経験もあって「ぜひもう一度三浦さんの演出を受けたい」と願っていたので、一カ月間の濃密な時間が過ごせる舞台稽古が、今から待ち遠しいです。

そしてまさか、峯田和伸さんと舞台でご一緒できる日がくるとは……GOING STEADYと銀杏BOYZには、僕の中学時代の青春が詰まっていて。峯田さんの持つ特別な感性に触れ、刺激的な世界が見られるに違いない、とそんな期待が高まっています。

僕が演じる「売れない役者・菅原裕一」は、空洞のような、虚無感を感じさせる男。この物語、この世界に自分は果たして存在しているのか、自分はなぜここにいて、一体何をしているのか……そういったことを深く考えさせられる芝居になる気がしています。舞台で等身大の役を演じるのも初めてですし、シアターコクーンは僕にとって、常にチャレンジングな舞台に挑ませていただけて、いろんな感情を発見できる、思い出が詰まった場所です。今回もまた大きなチャンスをいただけたので、新たな一面をお見せできればと思っています。不安なことばかりの世の中ですが、舞台に立てる幸せをしっかり噛み締め、お客様がこの世界にどっぷり浸かっていただけるような作品に仕上げたいと思っております。

峯田和伸

峯田和伸

以前出演した映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』、音楽を担当した『裏切りの街』、初めての舞台出演となった『母に欲す』と、三浦さんとはこれまで3本の作品でご一緒しています。三浦さんからはずいぶん前から「また舞台に出てよ」と言われてましたし、またその機会が来るんだろう、という覚悟はしてましたね。『裏切りの街』と『母に欲す』の現場では、一つの舞台が段々と立ち上がっていくさまがとにかく新鮮で。この体験にすごく刺激を受けましたし、特別な感動があったんですよね。「この人の作るものは絶対に面白い」という確信めいたものがあるんです。

僕、三浦さんの「これやったら恥ずかしいよな」っていうボーダーというか、“照れの美学”みたいなところに共感を覚えるんです。例えばミュージシャンってCDの帯に「待望のニューアルバム!」とか書くじゃないですか。でも僕は「待望の」って書くことに照れ臭さがあって、一切、そういう言葉を入れたことはないんです。でも世に出ているCDでは、当たり前とされているじゃないですか。「それをやっていいのか」という“照れ”というか、三浦さんは、そうした感覚をお芝居でやっている、同志のような気がしています。

僕自身、映画館や劇場にいくことに躊躇してしまう時代ですが、観にきてくれる人がいるというのは、「ヘタなことはできないぞ」と気合が入ります。劇場でこの芝居を、じっくり、じっとり観てほしいです。

柄本時生

柄本時生

三浦さんの作品に参加するのは、映画『愛の渦』以来です。現場では三浦さん自身が、自分の皮をどんどんめくるように演出されていた印象があるんですよね。そうして身を削るように出来上がる三浦作品は、実はすごく優しいような気がしています。

まーくん(岡田将生)とは昨年『肌の記録』(柄本、岡田、落合モトキ、賀来賢人という同年代の俳優が完全リモートで制作した映像作品)を作りましたが、こうして舞台で共演するのは初めて。やっぱり嬉しいです。

今回の戯曲を最初に読んだ感想は「本当に『物語なき、この世界。』だな、偽りないな〜!」(笑)。役者としては、余計なことをしたら意味ないし、何もしなくても意味がない、みたいな難易度の高いことが求められる気がしています。

お客さんは、どうご覧になるんでしょう。前のめりでもなく、ゆったり座席に背中をつけてでもなく……「どうしてこんなに噛みしめて見つめちゃうんだ?」というような芝居にできればと思います。

内田理央

内田理央

最初にお話をいただいたときは、嬉しい気持ち半分、怖い気持ち半分というのが正直なところでした。稽古開始前から「セリフが出てこない」みたいな悪夢も見ていますが(笑)、「この山を登るぞ!」と覚悟を決めました。三浦さんが監督された『愛の渦』は映画館で拝見しましたが、人間の内面をえぐるような暗い部分、ぐさっと刺さるような印象が残っています。

この戯曲の登場人物たちが、人生の「主人公になれない」感じはとても共感を覚えます。私自身「モブキャラだから、物語だったら速攻消えるキャラだな」なんて思っちゃうタイプで、基本ネガティブ(笑)。今回私が演じるOLの里美は岡田将生さん演じる裕一の恋人です。目立つわけでも、クセがあるわけでもない……演じる上では“普通”というのが一番難しい気がしています。

去年、デビュー10周年を迎え、今年は30歳という節目、ひとつ階段を上がって成長するという強い思いで、精いっぱい演じたいと思っております。

宮崎吐夢

宮崎吐夢

一番最初に三浦さんの作品に出演したのは2002年、下北沢・駅前劇場での『男の夢』でした。次がその3年後、『S高原から』(作=平田オリザ)を三浦さんが脚色・演出した時ですから、一緒にお仕事するのは16年ぶりになるんですね。三浦作品で役者は熱演を求められるわけでもなく、だからと言って決してサラッとも演じられない。そして観客も、わかりやすいカタルシスを得られるわけでもありません。この尖った作風で創作のモチベーションをしっかり保ちながら、面白いものを生み出し続けていることは、すごいこと。今作も、三浦さんらしさと挑戦が詰まった舞台になる予感がします。

単純に僕は、彼の作品のファンなんです。三浦さんの作品は舞台も映画もほぼ全作観ていますし、クリエイションを重ねるごとに角度を変えて挑戦する逞しさは螺旋階段を上がるようで、ますますスケールアップしている。作品に参加する役者として、そして一人の観客としても、三浦演劇の最新形を楽しみにしています。

米村亮太朗

米村亮太朗

三浦さんの舞台には初期作品から参加していますが、最大の魅力のひとつは着眼点のオリジナリティにあると思います。長年一緒にやっていても「次はどんな事を仕掛けてくるんだろう?」と毎回ワクワクしています。誰も見向きもしないような素材をもとに、既存のものとは異なる手法を用いて作品を作り上げる、稀有な作家なのではないでしょうか。

出演する役者はしばしば等身大のまま演じることを求められるのですが、その分思い切りみっともない部分も晒さないといけないんです。役者がつい抱いてしまう「人によく見られたい」という欲求とどう戦うかの勝負になります。

今回の舞台の主役は、人間が欲望をむき出しにできる歌舞伎町そのものなんじゃないか?と感じました。誰も見たことのないようなアングルからあの街の姿を捉えてくれるんじゃないか……という期待感があります。世の中は厳しい状況の只中にありますが、そうした状況だからこそ響くような作品になるのではという予感がしています。

星田英利

星田英利

『物語なき、この世界。』の台本には「人生って輝かしいものだ」なんてウソくさいことが一切、書かれてないんですよね。「自分の人生だからって、主役とは限らない」「主役だって思っているのは自分だけで、お前はただの街の風景、その他大勢なんだ」って……すごく寂しくて正直な台本だな、と感じました。過去の思い出って、美しく自分が脳内でいじって演出して、美化してしまうけれど、実際はそうじゃないってこと多いですもんね。人生って半分以上は悲しいものですから。

舞台は刹那なもので、その瞬間、瞬間で毎回変化しますし、「もう一回」がない。人生と一緒でやり直しがきかないところが好きです。そして、お客さんがお金を払って観てくれるわけで、それはやっぱり真剣勝負です。せめぎ合いの連続は、やっぱりやりがいがあると感じています。

寺島しのぶ

寺島しのぶ

ネルソン・ロドリゲスの戯曲を演出した『禁断の裸体』、映画『裏切りの街』に続いて、三浦さんとお仕事させていただくのはこれで3回目になります。彼の世界観、思考、音のセンス……私が好きなところをグッと突いてくるクリエイターであり、求めることは過酷でも不思議と演じていて爽快感があって、台本も「うん、これ言いたい。わかる」という台詞がたくさん散りばめられているんです。

今回演じる、スナックのママ・橋本智子役について三浦さんからは、「この作品の根幹を語る代弁者のような役」と伺っていて、岡田将生さん、峯田和伸さんをはじめ、個性的な俳優さんたちに対峙できるようなパワーが欲しいと言われました。三浦さんは演劇としてつくったものを映画にもされますが、今回の戯曲にもどこか映像的なニュアンスが感じられる気がしていて。演劇と映像、同じ台本を違う表現で立ち上げる作り手は稀なので、そのアプローチの違いは気になりますね……気が早いのですが、もしも今作が映画になるなら、ぜひ同じ役を演じさせていただきたいです(笑)。

ベテランの演出家とご一緒することも喜びですが、若い方からお声がけいただくことには、格別な嬉しさがあります。しかも、三浦さんの世界を炸裂できるような素敵な顔ぶれですし、「これなら心中できる」と、覚悟できる座組みだと思っています。

作・演出
三浦大輔

新宿・歌舞伎町のゴジラロードを通り過ぎ、映画館に向かう人波。“物語なんてない”猥雑な街並みと、“物語を求める人間”が一緒くたになった歪な風景を見たとき、ここを舞台にしようと決めた。

自分自身、舞台や映画をつくりながら「なぜ、こんな都合がいい出来事ばかりを並べているんだ?」と違和感を感じることがある。歌、小説、絵画といった芸術、あるいはニュース番組……

「人生は物語だ」という言葉も都合のいい理屈、所詮は自分の人生をドラマチックに彩りたがる人間のエゴで、むしろドキュメンタリー番組だったら使われない部分、人生の残りカスが本質かもしれない。「人間、所詮そんなものだ」という諦念を描くのではなく、『世の中』というもの自体の“あら”や“だらしなさ”のみを抽出し、そこに執着し、キレイごとやメッセージなしで、この世界の矛盾を暴く――そんなことを試みたい。