2018.05.23 UP
傷を負った人への、エールのような芝居
思い出すとズキズキ疼き出すーー人間誰しも、心にそんな傷の一つや二つは抱えながら生きている。
コクーン歌舞伎の最新作『切られの与三』は、輝くような若旦那がアウトローに身をもち崩し、傷だらけでさまよい、迷い、転びながら、一人ぼっちで、それでもどうにか走り続ける物語。“自分の居場所”を探して必死に生きる与三の姿に、観客は自分の人生の“傷”を重ねるかもしれない。
家を勘当されて江戸から木更津にやってきた与三郎は、土地の親分赤間源左衛門の妾、お富と一目で恋に落ちる。忍び会うところを捕らえられ、美しかった与三郎は全身34カ所の刀傷をつけられる。お富は投身するが和泉屋の番頭に救われ、囲い者となって生き延びた。その妾宅で二人は偶然再会。与三郎のジェットコースターのような流転の人生は、さらに加速しーー。歌舞伎をよくご存じの向きには、通常上演されないこの後の展開が、驚きと新鮮な気持ちでご覧いただけるに違いない。
中村七之助の与三郎は、波間に漂うような儚さ、少年のようなあやうさ、手をさしのべたくなる可愛らしさを漂わせ、常に心が揺れているような繊細さで多面体の魅力。中村梅枝のお富は仇っぽくしたたか、掴むとスルリとかわされてしまうようなミステリアスな女である。
浜辺で視線が絡み合って惹かれ合う出会い(見染め)は、二人の身体から恋する人たちの熱が立ちのぼるよう。お互いの複雑な思いが交差する皮肉な再会(玄冶店)では、有名な長台詞「しがねえ恋の情が仇……」を与三郎が切々と、時にリアルに、時にアリアのように見事な調子を聴かせてくれた。何度も出会い直して肩を寄せ合い、離れてしまう二人の関係は、どこか滑稽で哀しい。
コクーン歌舞伎は意外な「音」の使い方も楽しみの一つだ。今回は、ピアノ、ベース、パーカッションの生演奏によるジャズのリズムが物語に寄り添い、そこに附けの音も絡まり合い、与三郎の疾走する生にスピード感を与える。作品の匂いをしっかり届ける歌舞伎俳優と、軽快な演技を見せる現代俳優が無理なく入り混じる、腕利きの座組も実に楽しい。
後半、夢とうつつをさまよいながら逃走する与三郎は、どこへもたどり着けずに孤独をかみしめる。男を励ましてお富が掛ける「きっとあるはずだよ。お前の居場所がサ。うらやましいねェ、お前は走れるんだもの」という言葉は、誰よりも自由に見えた女の心の中身を見るようで胸に迫った。
懸命な与三郎の傷だらけの横顔に、不器用で何かにくたびれてしまった人たちは「もう一度、立ってみようか」と思えるかもしれない。自分と関係なく動き続ける社会に取り残され、心細さを抱えた人への、エールのような芝居だろう。
写真提供:松竹株式会社
文=川添史子