PROFILE

クシシュトフ・キェシロフスキ
記録映画・劇映画監督、シナリオライター
1962年、劇場技術者養成高校卒業。1968年、ウッチ映画大学卒業。記録映画の「ポーランド派」の先駆者にして理論家だったイェジ・ボッサク(1910-1989)、カジミェシュ・カラバシュ(1930-)の指導を受け、「辛抱強いまなざし」(カラバシュ)を鍛え上げた。1983年まで、ワルシャワの記録映画製作所に所属し、多数の記録映画を監督。次第に劇映画に関心を移す。1973年、最初の劇映画(TV用)『地下道』を監督。
1985年、弁護士クシシュトフ・ピェシェヴィチ(1945- )と共同で『終わりなし』のシナリオを執筆。ピェシェヴィチは以後、キェシロフスキの全監督作品にシナリオ共同執筆者として関わった。『殺人に関する短いフィルム』『愛に関する短いフィルム』(1988)で国際的名声を獲得。1991年から、ポーランド・フランス合作作品『ふたりのベロニカ』(1991)『トリコロール』(1993-94)を撮影。その後、映画製作からの引退を表明。しかし、心臓発作で倒れるまでの生涯の最後の数か月は、ダンテ『神曲』に基づく三部作のシナリオをピェシェヴィチと構想していたという。
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キェシロフスキは、なによりも人間に関心を抱き、記録・劇映画の両方において、根源的で困難な問いを発することを恐れない監督だった。自他に対して、「いかに生きるべきか?」との問いを発し続けた。初期は、社会主義の現実への不信感を表明した「モラルの不安派」の代表的映画作家と呼ばれたが、その主人公はけっして声高に体制に抵抗するわけではない。誠実に生きようとするあまり、現実的社会主義の建前に衝突してしまうのである。記録映画から劇映画に転じたのは、撮影した素材が権力によって芸術以外の目的に用いられることを恐れたからといわれている。その他に、記録映画の主題が主に社会性の強いものに限られていたこともあっただろう。当時の映画製作はすべて国家事業だったので、記録映画の主題として優先されたのは、社会主義体制の正当さの主張につながるものだったからである。
転換点になったのは、哲学寓話を連想させる劇映画『偶然』である。物語を思索の展開順序(深化と分岐)に従って展開させていく作劇法により、辛抱強い現実観察に基づく記録映画の枠を大幅に踏み出した作品。続く『終わりなし』では、戒厳令布告下のワルシャワを舞台に死者と生者の交感を取りあげた。観る者は、大胆な暗喩の使用に驚かされた。『デカローグ』以後のキェシロフスキにとって、社会問題は次第に後景に退いてゆく(ある映画史家は、「キェシロフスキは『ポーランドのケン・ローチ』になることもできたはずだが、別の方向性を選んだ」と指摘している)。現実描写は最低限にしぼり、濃密な象徴性をこめるようになった。彼の映画は、予感、直観、夢、迷信といった人間の内面生活のポートレートによって豊饒になっていった。旧約聖書の十戒を援用しつつ、「困難な人生の分岐点におかれた個人」を描く『デカローグ』全10話によって、キェシロフスキは(地理・歴史を超えた)普遍的な映画作家として世界中で称揚されるようになった。
ポーランドが社会主義から民主主義、中央計画経済から市場経済に移行した「東欧革命」(1989)時代にも政治から距離を置き、新しい芸術の方向性を探っていた。祖国映画の混乱期にフランスとの共同製作に活路を見出し、『ふたりのベロニカ』、『トリコロール』三部作を監督した。人間の感情が主題である点で、『デカローグ』と共通しているともいえるが、映像はより美的で官能的になった。主人公は主に、若く美しい女性たち。製作当時には、これらの作品を「世界的に流行している、ポップ版形而上学」と皮肉る批評家もいたが、死後20年を経ていささかも古びていないのは、そうした断定が誤りであったことを証明している。
キェシロフスキのフィルモグラフィからは、記録映画と劇映画、ポーランド時代とフランスとの共同制作時代、1本で完結している作品と連作……といった、明確な対照性が読み取れるが、同時に驚くほど首尾一貫してもいる。彼の作品は、記録から(記録に基づく)劇へ、ポーランドから(ポーランドを捨てることなく)ヨーロッパさらには世界へ、閉じられた作品から(閉じられていながら)開かれた作品へと進化していった。
キェシロフスキの映画作品は、今日いよいよ、新鮮で、発見的で、賢明で、感動的で、本質的なのだ。
代表作:
記録映画――『役所』(1966)『ウッチ市から』(1969)『工場』(1970)『労働者‘71』(1972)『煉瓦積み工』(1973)『初恋』(1974)『ある党員の履歴書』(1975)『病院』(1976)『夜警の視点から』(1977)『さまざまな年齢の7人の女性』(1978)『駅』(1980)『トーキング・ヘッズ』(1980)
劇映画――『スタッフ』(1975)『傷跡』(1976)『アマチュア』(1979)『偶然』(1981)『終わりなし』(1985)『殺人に関する短いフィルム』『愛に関する短いフィルム』(1988)『デカローグ』profile(1988)『ふたりのベロニカ』(1991)『トリコロール 青の愛』(1993)『トリコロール 白の愛』(1994)『トリコロール 赤の愛』profile(1994)