フランス文学の愉しみ

No 22お墓より愛を込めて

ある女性の驚くべきレジリアンスの物語

『あなたを想う花』 ヴァレリー・ペラン著/三本松里佳訳/早川書房

今回の作品は、前回の作品と同様かなり長編ですが、より広い読者層に受け入れやすいと思われる作品です。邦訳で2巻本(全683頁)でありながら苦も無くどんどん読めてしまう、むしろ先を読み急ぐことになるユーモアと抒情とサスペンスがいりまじった物語です。フランスで130万部を突破、イタリア(翻訳本)では2020年、ノルウェーでは2022年に一番売れた本で、今年54年の歴史を誇る「メゾン・ド・ラ・プレス文学賞」の2018年の受賞作であることも一般読者の人気を証明しています。
では、なぜそれほど読者を魅了したのか、というのは実際には読者ひとりひとりが読んで感じて納得していただくのが良いかとは思いますが、今回は私の個人的な興味を含めてご紹介を試みます。
一言で言うと壮大なラブストーリー、それも主人公ヴィオレットだけでなく、彼女に不思議な縁で関わってくる人々の愛の物語がたくみに、波のように打ち寄せては引いていくことを繰り返し、さらには驚くべき事件(悲劇)を織り交ぜながら大団円を迎えます。構成が卓逸なので、あたかも第一楽章から終章までの交響曲のように、静かな始まりから転調を通してフィナーレを聞くような流れに身をゆだねた印象を受けました。そして、その主人公は、生まれてから本当にわずかなものにしか恵まれず、不運の連続にあっても、それでも真面目に誠実に生きていく女性であり、どんなに辛い試練にあっても、その静かな不屈の精神が彼女を立ち直らせていくのです。読者は彼女が幸福になることを望み、はらはらしながら読み進むでしょう。これほど強く、無私の愛にあふれた女性にあったことはありませんが、きっとどこかにいるのではないかと期待したりもします。
それでは、まずこの作品のストーリーの設定を、それからそこにある興味深い点をいくつかご紹介しましょう。

<ストーリー>

物語は主人公、ヴィオレット・トゥーサンの独白から始まる。彼女は墓地の管理人をしているが以前は踏切の管理人をしていた。結婚する前はトレネ(歌手のシャルル・トレネと同じ)といったが、もともと生まれた時に母親に捨てられ、取り上げた産婆が適当につけた名前だった。里親の家や施設で育ち、15歳のころ(1985年)には地元アルデンヌ県シャルルヴィル・メジエールにあるバーで働いて施設からでる準備をしていた。そこでフィリップ・トゥーサンと出会い恋に落ちる。彼は「ブロンドの長い巻き毛に、ブルーの瞳、透き通るような白い肌に、輪郭のはっきりした形の良い鼻、唇はイチゴ色」、「背が高く、がっしりしていて、まさに完璧」な、まるでアポロンのように美しい男だったので、彼女だけでなく全ての女性を虜にできただろう。実際彼にはいつも若い女性がむらがっていたし、彼も片端からその女性たちに手を付ける遊び人だったのに、その彼が目をつけたのが瘦せこけて全く飾り気のない男の子のようなヴィオレットだった。彼は十歳年上だったので、彼女には手の届かないような存在にも思え、たちまち恋に落ちた。その日に彼の家に行き、しばらくしてそこに住み着いた。その後は、全く働かない彼のために彼の父が見つけてきた踏切の管理人(家付き)の仕事につくことにして、マルグランジュ=シュル=ナンシーに引っ越した。踏切番の仕事は大変で、朝5時から夜23時まで電車が通る度に踏み切りの上げ下げをしなければならない。自由な時間は電車と電車の間だけなので、長い時間にはならないし、ゆっくり休むこともできない。仕事も家事もすべて彼女ひとりがこなし、夫はいつもバイクで外出をしていた。それでも、娘レオニーヌが生まれて彼らは結婚し、彼女は幸せに満ちていた。ところがある悲劇が起きる。彼女は絶望に打ちひしがれ、生きる目的もないまま数年を過ごすが、踏切が自動化された1997年の夏から夫婦でブルゴーニュ地方ソーヌ=エ=ロワール県のブランシオン=アン=シャロンの墓地の管理人となる。そこには彼女にとってかけがえのない人の思い出があり、さらに新しい同僚であり友人たちもできる…そして新しい出会いがあるとともに、あれほど触れようとしなかった過去の出来事も生き直さなければならなくなる。

物語は時系列に語ると以上のようになりますが、小説はこの最後の場所、墓地の管理人となった主人公ヴィオレットの語りで始まります。墓守という仕事についてすでに20年が経っています。すっかりその墓地の主となり、最初は知り合いもいなかったところで毎日のように顔を合わせる神父や3人の墓堀人の同僚、というより親友の3人の男性と愛猫と共に、穏やかで規則正しい生活を営みながら、訪れる人々(これから葬儀をする故人の家族、埋葬されている人の家族)を隔てなく家(墓地の管理人として住んでいる)に招きいれ、お茶やコーヒーをふるまい、話に耳を傾けます。仕事であってもなくてもそれぞれのお墓の手入れをし、花をたむけ、特に墓地の樹木、花を手入れして育て、野菜を作り収穫すること(彼女は肉を食べません)が彼女の生きがいとなっています。それは以前の墓地管理人であり、絶望の淵にあった彼女の心を救ったサーシャという男性に教わったことでもあるのです。これから起きる事件については読者となる方のためにここではお話しできません。このように墓地はこの作品の主要な背景です。とはいえ日本の読者にとって、フランスの墓地というものはほとんど写真かテレビや映画でしかみたことがないものと思えますので、少しだけ説明を加えるとお話の細部に納得がいくのではないかと思います。

「墓地」

フランスの各共同体にある墓地というのは、基本的にかつてはキリスト教会の小教区教会に所属していましたが、19世紀になって管理権は全て共同体に移っていますので、その共同体の住人(故人)は誰でもそこに埋葬されることができます。しかしながら、家族の墓地がどこかにあったとしても、誰かが亡くなった時には、亡くなった場所の墓地に埋葬するということもできるようです。ヨーロッパのキリスト教徒は教会でお葬式(ミサ)を行った後に墓地に遺体を運び埋葬するのですが、防腐処理をして(つまり荼毘にふくさず)そのままお棺ごと埋めます。現在ではさまざまな理由で焼却し灰にして海や山奥に撒くという場合もあるようです。日本の仏教のお寺の墓地では、例えばこの小説の冒頭に出てくるように、ある男性のお墓に全然縁のない他人の奥さんの遺灰を埋葬するというのはとても不思議に思えることですが、役所の許可さえあれば可能なのでしょう。フランスにはお彼岸もお盆もありませんので、お墓参りは少なくとも11月1日のLa Toussaint(「全ての聖人」という意味で、主人公の苗字も同じ単語トゥーサンです)という祝日に多くの人が行います。(まさにこの原稿を書いている最中です。)フランスの学校では9月の新学年の後の最初のバカンス(2週間)ですので重要な宗教祝祭日です。墓地は大抵は街の外れ、かつては街の一番外側であった場所にあり、囲いがあったりなかったりで、それぞれの墓碑には故人の生年月日と没年月日、名前そして写真(!)と故人を弔うメッセージが刻ませていることが多いのです。墓地の中にはパリの広大なペール・ラシェーズのように歴史的偉人の多くのお墓があり、観光地としても有名になっている所もあり、散策をすることもできます。とはいえ、墓守という仕事については現在ではあまりよく知られていないようです。そこも読者の興味を引く点です。ヴィオレットの日常的な仕事は実際の墓守のそれと同じようです。

言うまでもなく、この作品ではあきらかに一貫して、市井の人々の人生における死の経験のテーマが語られています。死者を弔うという行為はどの文明にもそれぞれの方法、そして喪に服すという習慣も昔からあったのですが、現在では多忙な日々に追われて段々簡略化、もしくはほとんど周囲には気づかれないように済ましてしまうことも可能でしょう。一般的に日本では死生観とか終活とかいうことを話すことにそれほど抵抗はありません。それに対して、キリスト教国ではかつて(20世紀の中頃まで)は死について話すことは、少なからずタブーであったのです。それが現在ではずっと普通になってきています。ですから、この作品のユニークな点の一つは、登場人々が他人にはいえない死者にかかわる心の秘密を友人でも家族でもない主人公には打ち明け、どのようにその思いと悲しみと折り合いをつけていこうとしているのかが、埋葬と墓参りというコンテクストの中で描かれていることです。その一つひとつのエピソードが時に愉快に、または感動的に語られています。ヴィオレットは全ての埋葬の記録をこと細かく書き留めているだけでなく、どの人の墓碑がどこにあるかもみな覚えているほど、この仕事を愛し、来る人々に寄り添おうとかんがえているからです。
さて、墓地ともに注目したいのは「花」です。

「花」

花はこの作品においてはそのタイトルになっているだけに、重要な要素です。生きる意味をなくした主人公は、墓守の前任者サーシャから花や野菜を育てる楽しみを教わります。そしてその花々を墓地にある墓碑にたむけたり、お墓を尋ねてくる人たちに提供します。どの花を誰に、ということを考えることも忘れません。この花といういわば小説の小道具は、登場人物を結び付けるものでもあるようです。物語の中の物語として語られる重要なカップルの女性の職業は花屋です。主人公のように少し無口な彼女は美容師という職業を捨てて、お客との会話の少ない花屋になります。その彼女が運命の人と出会うのも花を通してです。花は女性の登場人物の秘められた心と生の活力を表すものであるのかも知れません。亡くなった人たちに花をたむけ、水を変えるという(原作のタイトルChanger l’eau des fleursは直訳すると「花の水を変える」です)行為をとおして、故人を忘却せずに、いつまでも想いをはせることを通して、過去の人生を否定せずに未来に向かう勇気と力を与えるということでしょうか。萎れた花も水をあげれば美しく生気を取り戻しますし、いつかは枯れる運命にあっても手入れをよくすれば次の季節にまた花開くのですから。このことを主人公に手本を示して教えた人がサーシャでした。墓守の彼にも苦悩の過去があり、この墓地で自然に関わることで立ち直ったからです。
次は、重要度には疑問がありますが、物語の展開と人物の行動の背景に絡んでくるという意味で気になる「場所」です。

「場所」

主人公ヴィオレットが生まれた場所は、アルデンヌ県県庁所在地シャルルヴィル・メジエール市です。フランスの北東、ベルギーとリュクセンブルグとの国境付近にあり、非常に立派な歴史的建物(ゴチック教会等)もあり、経済的にも恵まれた都市です。でもヴィオレットには特別な愛着のない街です。
ヴィオレットとフィリップが踏切番の仕事を得て移り住んだのはフランス北東部のムルト=エ=モゼル県の県庁所在地ナンシー市近郊にあるマルグランジュです。ナンシーもシャルルヴィルと同様に歴史的な都市でありアールヌーヴォーで有名です。しかし、ナンシーとエピナルの間の踏切の周りには何もなく、ヴィオレットはちょっと遊びに行く暇もなかったようです。そして、ヴィオレットは困っているところを偶然助けたセリアという女性に招かれて、夫と小さな娘レオニーヌとともにマルセイユを訪れます。この地をヴィオレットは非常に愛し、娘の存在はマルセイユの海とともに彼女の中で太陽のように輝く光となります。
次に引っ越すのはワインで有名なフランス中部ブルゴーニュ地方ソーヌ=エ=ロワール県のブランシオン=アン=シャロンの墓地です。ブランシオンは有名な中世都市で、中世のお城と墓地も残っています。(作者はこのブルゴーニュで育ちこの地方を愛しています)そこで出会う、後に彼女の恋人となるジュリアンは、マルセイユに住んでいます。二人を結び付けたジュリアンの母イレーヌはマルセイユ近郊のエクサンプロヴァンスで花屋を営んでいました。必ずしも明確な意味合いは持たないとしても、主人公の想いが北の寒い町から段々と温暖な、そして南仏の地に移動していくのは、何かを暗示しているようにも思えます。
それでは究極に孤独であったヴィオレットを取り巻く人々はどのように変化していくのでしょうか。

「登場人物」

主人公ヴィオレット・トゥーサン、夫フィリップ・トゥーサンと彼の両親、シャルルヴィルのプチブルの夫婦以外には最初の土地には誰も友達らしい人物もでてきません。
次の地、ナンシー市近郊にあるマルグランジュではスーパーのレジ係ステファニーという友達ができます。そして、南仏の港町、マルセイユに住むドイツ系の女性セリナと出会い、つよい友情で結ばれます。ヴィオレットにとって初めての親しい女友達です。そして三つめの土地、ブランシオンでは沢山の友人ができます。セドリック・デュラス神父、墓堀人のノノ、ガストン、エルヴィス。神父とノノとは深い信頼で結ばれています。墓地というと陰気な人の働く場所と思われるかもしれませんが、実は墓堀人の3人は特別に陽気で愉快な人たちです。毎日一緒に顔を合わせて、食事も一緒にしたり、沢山の時間を一緒に過ごしています。いつも不在だった夫は墓地に引っ越してすぐに失踪してしまい、はや20年がたちます。今では規則正しい、穏やかな生活を気の合う仲間としたり、墓地に来る人々の悩みを聞いたりで、かつての孤独なヴィオレットとはもはや正反対の生活です。他の人々に一目おかれる存在となっていました。そこに現れるのがジュリアン・スールという男性で、始めて会った彼女に消えた夫の行方を見つけたと報告します。彼の登場は、思いもかけない真実、知らずにすごそうとした真実に彼女が向き合う運命をもたらします。他者と関わることを受け入れるということは、生きていくことを受け入れることを意味するようです。

小説のはじめの部分だけでも、ずいぶん長い紹介になりました。とても長い小説ですが、後半のストーリーは驚きの連続で、本当に盛り沢山の事件が息も切らせずに読者を引っ張っていきます。そしていくつものフランスらしい愉快なエピソードがちりばめられ、懐かしい誰もが知る歌がエルビス(と呼ばれるエルビスが大好きな墓堀人)によって歌われます。このいささか道化っぽい墓堀人やその他の登場人物たち、さらにヴィオレットのブランシオンにおける生活の描写はとても魅力的です。つまり、感動的なストーリーだけでなく、楽しみがつきない読書です。この一風変わった小説の舞台の設定はどのようにして生まれたかについて、作者自身が語っています。近年に夫のクロード・ルルーシュの家の近くの墓地を訪ねた時に、墓地は必ずしも陰気な場所ではなく、たくさんの詩的な部分もあることに気づきました。例えば墓碑に添える言葉です。(この作品は94章立ですが、その全ての冒頭に死者へのメッセージの一行やさまざまな文学者や著名人の言葉が添えられています。*)帰宅して墓地を守る人たちがいるのだろうかと調べたら、それが墓地管理人という共同体の職員であることを知りました。それがこの小説の最初のインスピレーションだったのです。そして墓地においては、残された人々とともに逝ってしまった人たちのことを話すことができることに注目しました。さらなる発見は、かつて墓堀人をしていた人にあった時のことです。その人は作者に「自分は墓堀人をしていた時ほどよく笑ったことはないよ」といったそうです。登場人物のノノはこの陽気な人がモデルだったのです。

<作者 ヴァレリー・ペランについて>

それでは、作者のヴァレリー・ペランについて、少しご紹介しましょう。
意外に多くのことは語られていません。フランス東部のヴォージュ県で生まれ、プロのサッカー選手であった父がいてブルゴーニュ地方のグ-ニョンで育ちました。
いろいろな職業を経て、ある縁があってかの有名な映画監督のクロード・ルルーシュに手紙を書きました。そのファンレタ-を読んだ監督は、彼女の映画を見る目の正しさと文章の美しさに衝撃を受けて、彼女とお付き合いをするようになったそうです。監督とは2008年に交際を開始してからずっと恋愛中だそうですが、それだけでなく、撮影現場のスチールカメラマンを務めたり、映画の脚本(2019年、『男と女II』)をルルーシュ監督と一緒に書いたり、仕事の良いパートナーでもあります。2015年に最初の小説Les Oubliés du dimancheを発表し13の文学賞を受賞しました。第一作を読んだ多くの読者のラブコールで生まれたという今回の『あなたを想う花』は第二作で、さらに多くの世界中の読者に読まれています。

<最後に>

『あなたを想う花』の主人公と登場人物の試練の物語は、人生における様々な状況を人間のぎりぎりの意識がどうやって持ちこたえるか、未来を切り開こうとするのか、それともただ生きていくのかということを読者に問いかけ、示しているようでもあります。幸福はどこにあるのか、生きることとは幸福を求めることなのかという哲学的な省察にも結びつくかも知れません。読者はページをめくりながらさまざまな思いをいだき、読後にまたそれぞれの思いに沈むか、それとも答えを見出したと思うかも知れません。一方で今現在の世界で起きている多くの問題は、当事者にはこのような省察の時間さえ与えないような勢いと激しさを増しています。とはいえ、無念な状況で愛する人たちを奪われた人々にも、そうでない人々にもいつかこの喪という心の暗闇が訪れる時が来ると思います。それぞれの重大さの違いは計ることはできませんが、それを本人たちが心の中にしまい込んでいたとしても、さまざまな物語で読者に体験させる、または再体験(カタルシス)させるという役割を文学が担っています。文学によって人々の心は癒されます。そして文学が人々に生きることへの希望を与えるものでもあることも作者の願いとしてこめられています。
どんな世界の状況にあっても、文学が絶えることがないことを私は信じています。それが長い人類の歴史の足跡として残されているのですから。

*注

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