「タンタンの冒険」展

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タンタンの作者は本名ジョルジュ・レミ(1907〜1983)。ベルギーに生まれたジョルジュは新聞の編集長の傍ら、少年時代から親しんだ絵筆を持ちつづけた。本名の頭文字R・G(フランス語でエール・ジェ)からつけた「エルジェ」のペンネームで1929年からタンタンの執筆を開始。ヨーロッパ・コミックの父と称される彼の作品は今なお世界中で愛されている。
 世界を舞台に、知恵と勇気で難問に立ち向かうタンタンの冒険物語は23話が世に送り出された。子供だけでなく、大人も夢中にさせてしまうことから、エルジェは読者に「7歳から77歳の若者たちへ」とのメッセージを送っている。
 フランスのシャルル・ド・ゴール元大統領が「私の唯一の国際的ライバルは彼」と言わせたほど、ヨーロッパでは高い知名度がある。アメリカンポップアートのアンディ・ウォーホルは「エルジェはディズニーと同じくらいに私に仕事の影響を与えた」と話したり、映画監督のジョージ・ルーカスも「『インディ・ジョーンズ』は『タンタンの冒険旅行』をコンセプトにしている」と証言するなど、多くのアーティストに影響を与えた。
 少年時代に所属したボーイスカウトの精神を大人になっても持ちつづけたエルジェは、生涯その冒険心と好奇心、優しさを失わなかったという。


1907年 5月22日、ベルギー・ブリュッセルに生まれる
1921年 高校でボースカウトに入団し、ボーイスカウト誌に絵が初めて掲載される
1924年 「エルジェ」のサインを使い始める
1925年 「LE VINGTIEME SIECLE」という新聞社の予約購買部で仕事をはじめる
1927年 兵役に出る
1928年 ブリュッセルに戻り「LE VINGTIEME SIECLE」紙の週刊子供向け付録紙「LE PETIT VINGTIEME」紙の編集長に任命される
1929年 1月10日、タンタン&スノーウィが「LE PETIT VINGTIEME」紙に誕生
1930年 初のタンタンの絵本「タンタンのソビエト旅行」が出版される
1932年 「LE PETIT VINGTIEME」紙の編集者の秘書、ジェルメーヌ・キケンズと結婚
1934年 ベルギーのキャステルマン出版がタンタンの冒険物語の出版社に決定
1939年 「青い蓮」で中国人の立場に立った物語を描き、蒋介石夫人から中国に招待されるが、世界大戦のため訪中は中止となる
1940年 ベルギーにドイツ軍が侵略し、「LE PETIT VINGTIEME」紙廃刊
1946年 9月26日、「タンタン・マガジン」の第1号が出版される
1950年 共同作業者を募りエルジェスタジオを設立
1960年 妻と離婚
1971年 初の訪米
1973年 キャステルマンが「エルジェ大全集」第1巻を出版
1976年 9月29日、ブリュッセルでタンタンとスノーウィのブロンズ像の除幕式
1977年 ファニー・ヴラミンクと再婚
1982年 エルジェ75歳の誕生日を祝って、ベルギー航空宇宙局は火星と木星の間に発見された惑星にエルジェと名づける
1983年 エルジェことジョルジュ・レミ死去
1988年 ブリュッセルの地下鉄駅構内に1.85×137mのフレスコ画の除幕式が行われる

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