ピエール・アレシンスキー展

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Column学芸員によるコラム

書くことと描くこと
ときには逆に?

≪ときには逆もある≫
1970年 アクリル絵具/墨、キャンバスで裏打ちした紙/17世紀の帳簿の頁 ベルギー王立美術館蔵
© Royal Museums of Fine Arts of Belgium, Brussels / photo: J. Geleyns - Ro scan
© Pierre Alechinsky, 2016

 きっかけは1958年、友人で画家のクリスチャン・ドートルモンから紋章の透かしの入った美しい反故紙を一束もらったことだった。
 以来アレシンスキーはコレクターのように古い紙を探し求めた。捨てられた手紙、無効の約束手形、記録簿、人手に渡らなかった聖書、無駄になった遺言補足書、無価値の有価証券、期限切れの覚書、遅れて来た招請状、あるいは古地図を、パリや南仏の蚤の市や古物商で見つけてくる。そしてこれらの紙を和紙などと同様の「特徴のある紙」として、その上に絵を描くのである。実は《ときには逆もある》(1970年)の下部にも、17世紀の帳簿のような紙が用いられている。
 50年代前半、文字とも記号ともつかないものが画面全体を覆う作品が現れた。左利きの画家にとって、左手は絵を描く手、右手は矯正されて文字を書く手であったが、これらの作品はまさに文字と絵のハイブリッドの様相を呈している。そんな中で彼は日本の書に出会い、意味は分からないがダイナミックで美しい書の魅力に動かされていく。彼が接したのが前衛書道の世界であったが故なおさら、意味を持たなくなった文字という興味深い存在を前に、自らの芸術との融合を模索した。反故紙と前衛書道の接点-。
 60 年代の半ば、コミック本を思わせるような枠付きのドローイングで大きな絵を囲むという独自のスタイルを獲得したアレシンスキーは、それを様々なバージョンに発展させた。囲むのではなく絵の下にコマ展開する小さなドローイング群を置くやりかたもその一つで、《ときには逆もある》はその典型である。ただしリズミカルで楽しげな上段部分を説明しているわけではない。下段のマンガのような絵にはいくつか似た形が確認できるのでそこに意味を期待するのだが、古い文書の文字群はマンガのセリフになるはずもなく、「説明欄」に展開する意味のない図像の背景として美しいだけのものになっている。「ときには逆」とは、文字と絵をたまには逆にということなのだろうか(アレシンスキーは文筆家でもある)。あるいは利き手のことを考えて、左と右を逆にということなのだろうか。

ザ・ミュージアム上席学芸員 宮澤政男