LINEUPラインナップ

2023.12.06 UP

[interview]
オープンヴィレッジ・オペラ・インタビュー

vol.1 オペラ・キュレーター 井内美香さんインタビュー
①「オペラが私の人生を導いてくれた」

オープンヴィレッジのスタッフが、オペラ歌手、制作者、ライターなど、オペラを愛する人にインタビュー。 初回は、オペラ・キュレーターとして幅広く活躍している井内美香さんへのインタビューを全3回シリーズでお届けします。オペラとの出会いや仕事として携わるようになったきっかけ、さらにオペラの本場イタリアでの貴重な体験などについて語っていただきました。

クライバーの指揮で体感した、オペラにおける色気の重要性

オープンヴィレッジ

井内さんがオペラと出会ったきっかけをお聞かせください。

井内

両親がクラシック音楽を好きで、母が声楽を勉強していたこともあり、オペラを耳にする機会が時々ありました。高校生の頃にウィーン国立歌劇場の『フィガロの結婚』をテレビで見て「すごくいいな」と感じたのが、オペラにハマるきっかけだったと思います。

 

他にも当時見た中で印象に残っている公演はありますか?

井内

これもやはりテレビですが、カルロス・クライバー指揮の『カルメン』です。カルメン役のエレーナ・オブラスツォワとドン・ホセ役のプラシド・ドミンゴがかっこよく、クライバーが指揮する姿もとても魅力的でした。さらに、演出家フランコ・ゼッフィレッリが作り出すゴージャスな舞台の美しさにも圧倒されました。それからすっかりオペラの虜になり、録画したものを何度も見返すだけでなく、友達を家に呼んで無理やり見せていましたね(笑)。

 

高校生にしては結構渋い趣味ですよね。

井内

そうですか?『カルメン』の音楽はすごくキャッチーで、それこそ今でもYouTube動画とか、オペラと関係のないところでもいっぱい使われていますよ。だから実際に作品を見れば、きっと誰でも好きになるはずです。でも、上手い指揮者はたくさんいますが、クライバーほどセクシーな指揮者はなかなかいませんね。

 

私は指揮者に色気を感じたことがないのですが…。

井内

まだそういう人に出会っていなからだと思いますよ。ぜひクライバーの『カルメン』をご覧になってください。

 

オペラに色気は重要ですか?

井内

オペラの題材は恋愛が大多数を占めます。『カルメン』も真面目な兵隊が自由奔放な女性に誘惑される話で、そういう恋愛のエッセンスを演奏で表現するには、絶対に色気が必要なんです。だから色気のないオペラは、お醤油のかかっていない卵かけご飯みたいなものです(笑)。

 

「オペラの題材は恋愛が大多数」とおっしゃっていましたが、井内さんがオペラに魅力を感じる理由として、もともとご自身が恋愛体質だったということはありますか?

井内

それはあると思います。ただし実体験というよりは漫画や映画などで見るのが好きだっただけですが。萩尾望都『トーマの心臓』に大きな衝撃を受けましたし、映画はヴィスコンティが大好きでした。中学、高校と女子校でしたし、自分が男性にモテるタイプではまったくなかったので、それでかえって恋愛に夢を抱き、妄想の世界で遊ぶことができたんだと思います。そういう意味で、現実の恋愛にあまり縁がない人こそ、オペラはおすすめですよ。

素晴らしい舞台を見て、 その良さについて教えてくれる人がいた理想の環境

 

そのようにオペラが好きになってから、井内さんがオペラを仕事にしたいと思うようになるまで、どんなことがあったのですか?

井内

やっぱり自分の人生の時間は好きなことに費やしたいじゃないですか。だから大学生の頃にはオペラに関わる仕事を志望するようになりました。最初はオペラ歌手になりたいと思い、音楽大学への進学も考えたのですが、音大を出た母から「歌うのは向いてないんじゃない?」と言われたんです。じゃあ他にオペラの仕事って何があるんだろう?と考えていたところ、東京二期会で事務員を募集する新聞広告を見つけて「これだ!」と思い、応募して採用されました。

 

最終的には自分で選んだ道に進んだわけですね。

井内

はい。その後、二期会のプログラムを作る仕事でオペラ研究家の永竹由幸先生と知り合い、ある時先生が「ミラノ・スカラ座のレーザーディスクを日本に輸入する会社を作る」とおっしゃったので「入れてください!」とお願いしたんです。二期会を1年で辞めて先生の会社に入れていただき、それがきっかけでイタリアに20年ほど住むことになったわけですから、数奇な運命ですね。

 

やはり「オペラの本場で働いてみたい」という思いはあったのですか?

井内

先生と知り合ったことをきっかけにイタリアへ行きましたが、それまでは実際に働くことは無理かなと思っていました。

 

これまで井内さんが経験したお仕事のうち、今でも印象に残っている現場があれば教えてください。

井内

ボローニャ歌劇場の初来日公演が決まり、日本の招聘元との間をつなぐ仕事をさせていただいたことですね。自分にとって初めての歌劇場との仕事でしたし、10ヶ月間ボローニャに住んで毎日のように劇場に通いました。その頃に、例えば歌劇場で舞台を遠くに見下ろす照明の小部屋に入れてもらい、歌を聞きながら音楽スタッフに「この人の声は丸みがあっていいよね」「あの人は発声がいいね」など、イタリアで考えられている“いい歌”や“いい声”についてたくさん教えてもらえました。生の音を通じて「この演奏はこうだからすごい」ということが分かるようになったんです。

 

まさにオペラの本場イタリアの現場にいるからこそ体験できたことですね。

井内

そうなんです。でも一方では、イタリアには長年培われた伝統があるため、オペラの良し悪しを判断する基準が決まっていて、歌手に対する評価の仕方も定まってしまっているんです。オペラの伝統がない日本であれば新しい価値観を見つけられる可能性もあるのですが、イタリアではなかなか難しいようです。

 

いいオペラを判断するルールがずっと伝統で決まってるんですね。

井内

その通りです。作品に関しては、「オペラが博物館になってはいけない」という意識があるため、時代ごとに新しく生まれるものを認めようという積極性はあるのですが…。日本でも歌舞伎のような伝統芸能だと、専門家が見るポイントって決まっているじゃないですか。あれと同じような感じですね。

 

評価のスタンダードも国によって違うんでしょうね。

井内

おそらく、愛される歌手の声も、イタリアとドイツとフランスでは違うと思います。ちなみに、私はイタリアに行く前は、オペラの本場といえばドイツだと思っていました。でもオペラの源流はイタリアにあって、歴史的にはその後にドイツ・オペラが来るのです。一般的にも、オペラを好きになる人たちの入口も、イタリアとドイツの2つに大きく分かれるようです。

イタリア・オペラとドイツ・オペラの違いは?

 

イタリア・オペラとドイツ・オペラで顕著な違いはあるのですか?

井内

やはり国民性の違いは大きく影響していますね。あと、もともとオペラは1600年頃にイタリアで生まれたのですが、それは、フィレンツェを統治していたメディチ家の娘マリアがフランスのアンリ4世と結婚する記念の祝宴でオペラが上演されたのがオペラの誕生として知られています。当時、イタリアの各地では宮廷文化が発達していました。文化があるというのは、その国に力があることの証。当時のイタリアはいくつもの小国に分かれていて、芸術家を擁護したり芝居を上演することで自国の文化をアピールし、重要な国であることを示していたんです。

 

そんな歴史があったんですか!

井内

そうした宮廷文化の1つとして行われていた催しが、ギリシャ神話などを題材に、ダンスや歌が入る芝居です。いろいろな見せ場があり、ゴージャスな衣装を見せられるし、歌もダンスもあって楽しいということで、婚礼などの祝祭で上演されていました。その流れの中で、メディチ家の祝宴で、全ての台詞を歌うオペラが誕生したのです。それを見て面白いと思った各国の参列者たちが、自分の国に戻ってから「うちでもやってみよう」と考え、マントヴァ公国では天才音楽家モンテヴェルディに「同じような歌う芝居を書いてみろ」と命じました。こうして完成したのが、今日も上演されるオペラの中で最古といわれる『オルフェオ』なんです。

 

1つの文化が別の国に派生していくのはヨーロッパならではで面白いですね。

井内

そうした成り立ちもあって最初の頃は貴族や一部の富裕層しか鑑賞できませんでしたが、やがてヴェネツィアに多くの劇場が設けられ、お金を払えば誰でもオペラを鑑賞できるようになりました。そんな中で、モンテヴェルディは今でも人気のある『ウリッセの帰還』と『ポッペーアの戴冠』を作りました。こうした流れがオペラの始まりなんです。

 

なるほど。元々はイタリアがオペラの起源だったのですね。

井内

はい。そのため「オペラはイタリア語で歌うもの」という考えがヨーロッパに広まったのですが、自国の言葉を大事にするフランスでは、早くからフランス語のオペラが作られるようになりました。ドイツでもしばらくはイタリア語のオペラを上演していましたが、オペラが貴族だけのものでなくなっていくと、自国の言葉でオペラが作られるようになったんです。

 

それはいつ頃の時代ですか?

井内

モーツァルトの時代にはドイツ語とイタリア語のオペラが両方書かれていました。モーツァルトの次にベートーヴェンが現れてシンフォニー(交響楽)の時代が到来すると、「ドイツ音楽はヨーロッパでもっとも優れた音楽だ」とドイツが宣伝し始めたんです。こうした流れを受け、オーケストラを重要視した音楽という側面からドイツ・オペラは発達していき、その結果、器楽的に複雑に進化していくという特徴が生まれました。

 

イタリアとドイツではオペラの成り立ちが全然違うんですか!そして井内さんは最もオペラの起源が古いイタリアに行ったのですね。

井内

日本にいた頃はドイツに行きたいなと思っていましたが、イタリア・オペラの方が歴史も長いし、現在上演されるオペラのレパートリーの中で大きな部分を占めます。ですから、結果的には良かったですね。

 

オペラの歴史や魅力はどこまでも掘り下げることができそうですね。本日はありがとうございました!

\1/17公開!/
オペラ・インタビュー第2回
では、井内さんのイタリアでのカルチャーショック体験や華やかな劇場の舞台裏について語っていただきました。
②「舞台裏から見たイタリアの歌劇場はこんなところ」はこちら>

 

井内美香(いのうち みか)
静岡県沼津市生まれ、東京育ち。音楽ライター、オペラ・キュレーター。学習院大学修士課程とミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとしてオペラに関する執筆、通訳、来日公演コーディネイトの仕事に20年以上携わる。2012年からは東京在住となり、オペラに関する執筆、取材、講座、司会などの仕事をしている。共著書「200CDアリアで聴くイタリア・オペラ」(立風書房)、「バロック・オペラ その時代と作品」(新国立劇場運営財団 情報センター)、訳書「わが敵マリア・カラス」(新書館)、等がある。