Bunka祭(ぶんかさい)2021

「ヴィルトゥオーゾのカプリス ~真鯛のグリエ、アメリケーヌソース~」

 気づくと、オフィスの空気はいつの間にかゆるんでいた。
 正午をすぎ、昼休憩を取りはじめたひとが多いらしい。
 CAD画面から顔をあげずに、もう一度集中を試みる。けれど、一度途切れてしまった集中の糸は元に戻らず、扉の開閉音や、昼食の相談らしき囁き声、がさごそ鳴るビニール袋に気を取られてしまう。私は足元の鞄からイヤホンを取り出した。こんなときは音楽を聴くに限る。
 しかしいくら音を封じても、昼休憩の気配はデスクで食事する誰かのカップみそ汁やおにぎりの海苔、ファストフードのポテトの香りになって忍び寄り、それぞれの昼食風景を雄弁に語りはじめる。
 ぐうう。ぎゅる。ぐるるるるるるる。
 たまらず、お腹が悲鳴をあげた。引き出しを漁ったものの、このところ残業続きだったせいか、お腹にたまりそうなめぼしいものはない。ただひとつ、お土産にもらった和三盆の干菓子が見つかっただけだった。ないよりはましだろうか。
 包み紙をひねって口を開けた瞬間、泉くんと、目が合ってしまった。
「そういうところですよ、朱音さん。食事くらい、きちんと取ればいいのに」
 会議が終わって、いなくなったものと油断していた。他の担当者と打ち合わせていたらしい。泉くんは私を一瞥すると、会議書類一式を抱え、肩をいからせてオフィスを出ていった。

 そういうところ、というのは、さきほどやりこめられた、コスト感覚のことだろう。
 時間もコストだ、と強く言われたばかりだ。わかってはいるけれど、時間は和三盆にも似て、またたく間にしゅっと儚く消えてしまう。だからこそこうして寸暇を惜しんで仕事に勤しんでいるのだ。
 泉くんが商品企画したブライダルジュエリーラインの新商品は、お客さま好みに調整できるセミオーダースタイルで、試作品があがってきたばかりだ。指輪の基本のデザインに、お客さまの個性を反映できる豊富なオプションを提案したのだけれど、コストを理由に見直しになった。
 商品の性格上、特別な想いを乗せるのにふさわしい、凛とした佇まいを届けたい。理想としては、時間が経っても魅力が少しも褪せないものを、芸術作品のように触れるたびに発見のあるものを、目指したい。それがどうも泉くんの現実的なコスト感覚と、合わないらしい。
 これでも大枠の予算は意識しているつもりなのだけど、指輪の着け心地などコンマ数ミリ単位の細部にまでこだわり抜いた箇所を、泉くんは「余計な部分」と切り捨て、材料、工程ほかさまざまな数字を理由に、修正が決まった。
 オプション案も、個性を出すのならと選択肢をできるだけ増やしたのが、不興を買った。多すぎる選択肢は見るのもうんざり、生産管理面からも現実的ではないと指摘された。「余計な部分」は販売価格に跳ね返り、お客さまに無駄な負担を強いる、と。
 そういう「余計な部分」から、面白いことが見つかるかもしれないのに。思っても、言葉にはできない。数字の説得力は大きくて、数字の圧と泉くんの迫力に、いつも言葉を呑み込んでしまう。
 販売までのスケジュールを考えると時間に余裕はなく、とくに基本デザインはもう一度試作する必要があるため、一刻も早く、工房宛てのデザイン設計と指示書を作り直さなくてはならない。
 泉くんは、時間もコストだと繰り返し、なるべく早く、できれば今日中に、と射るように私を見たのだった。

 ぐうう。ぎゅる。
 再びお腹が呻き、なだめるように手でさする。
 今日中にとせかしておいて、昼ごはんを食べろというのも勝手な話だけれど、私にも、私の事情というものがある。今日ばかりは、残業するわけにはいかない。
 大好きなピアニスト、小田昇平の演奏会があるのだ。
 ファンの間では親しみを込めてオダショーと呼ばれる彼は、若手のクラシック・ピアニストで、澄んだ音色と詩情あふれる繊細な表現力を持ち、レパートリーの広さも魅力のひとつ。昨年、クラシックピアノ界の重鎮・山科実との共演でも話題を呼び、今や世界を飛び回って華々しい活躍を重ねる、旬の演奏家の一人だ。
 二日間の公演チケットは既に完売。当日券がわずかに出るらしいけれど、倍率は相当なものだと聞く。初日はベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第三十二番」、二日目はラフマニノフの「楽興の時」全曲と、メインの曲目のみ発表されていて、その他は当日のお楽しみらしい。バロックから現代音楽まで、彼の幅広いレパートリーの中から演奏されると考えただけでも、わくわくする。
 迷わず、初日を選んだ。仕事の集中用に聴き出したクラシック音楽のプレイリストに、いつも気になるピアノの音があった。ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第十四番《月光》」。それが彼の音楽との出逢いだったから。「ピアノ・ソナタ第三十二番」は、天国を感じさせる曲と評するひともいる。彼がどんな音楽を響かせてくれるのか、楽しみで仕方がない。
 生演奏を聴くためなら、昼食のひとつやふたつ抜いても、惜しくない。定時に退社できれば、コンサートホールの喫茶室や近隣のカフェで軽食をつまむ余裕もあるはず。
 空腹をいなしながら仕事に励んだものの、一か所に修正を加えると、その影響を受ける周囲の調整も必要になり、芋づる式に作業は増える。時間は和三盆みたいにあっという間にとけて消えた。
 修正データ一式をようやく泉くんに送れたのは定時をとっくにすぎ、開演に間に合うかどうかの瀬戸際だった。すぐに返信が来た。迷ったけれど開かず、逃げるように会社を飛び出した。

 コンサートホールの入口に着いたのは開演わずか五分前。係のひとの案内で、中央後方の指定座席に滑り込むとすぐに、客席の照明が暗くなった。
 舞台がまばゆい光に満ち、中央に佇む漆黒のグランドピアノが一段と存在感を増して、ひとびとの心を吸い寄せる。
 この瞬間が、たまらなく好きだ。厳かな静けさの中、心地よい緊張感とともに、期待に胸をふくらませるひとときが。
 音楽を奏でるのは演奏家だけれど、この静寂をつくるのは私たち聴衆。演奏会は、演奏家と聴衆の心がひとつに重なり、音楽がもたらす祝福をともに受け止めようとする、かけがえのない時間に思える。
 舞台袖から姿を現したオダショーを拍手が包み込んだ。
 彼はピアノの前でぴょこんと一礼し、椅子に座るとひと呼吸おいて、ゆったりと鍵盤に手を伸ばす。そういえばパンフレットを確認する暇もなく、曲目も見ていなかったと気づいた。
 指先が触れたところから、光がきらきらとこぼれ出すように思えた。
 この音。胸の奥でなにかがさざめく。この音を、聴きに来た。
 音の粒は色とりどりの光になる。真珠のまとう虹色の光沢、水晶の透明な輝き、ダイヤモンドの放つ強いきらめき、オパールの内に秘めた色とりどりの光。
 澄んだ音色と楽しげな演奏家の姿に、聴いているこちらの気持ちもゆすられて、尖った部分が削られ、凹んだ部分は埋まり、自分が少しだけ、いいものに近づくような気がする。
 最後に振りまかれた光のひとしずくがすっと消えて、静けさが広がった。ピアニストの頬がゆるむのと、聴衆が豪雨のような拍手を響かせるのが、ほぼ同時だった。拍手の渦の中でお腹が小さく音を立てたけれど、やっぱり来てよかったと心から思えた。
 マイクを手にしたオダショーは、よくとおる低音の声で簡単な挨拶をすると、次は現代音楽の、誰にも演奏できないといわれる音楽をお届けします、といたずらっぽく笑った。彼はポケットから四角い目覚まし時計を取り出し、グランドピアノの上に置いた。
 なんだろう。あれも楽器として使うのだろうか。タイプライターやハンマー、ピストルを楽器にする曲もあるから、時計が登場する曲もあるのかもしれない。あるいは、誰にも演奏できないというほどだから、ものすごくスピードの速い、いわゆる超絶技巧の曲なのだろうか。
 視線を集める指先は、鍵盤を素通りして、その蓋をやさしく閉じた。オダショーは微笑みを浮かべて、時計を見つめ、微動だにしない。
 これが演奏なのだろうか。
 楽器の音が消えると、静寂であるはずのホールにいろいろな音があるのに気づく。空調の動作音、かすかな衣擦れや身じろぎの音、小さな咳払いなど。それでも静寂は、鍵盤の蓋が開くまで、律儀な聴衆たちによって、つくり出された。緊張はゆるんでも、拍手が起きないところをみると、まだ第一楽章らしい。誰にも演奏できない音楽とはつまり、音符のない音楽のようだ。蓋の開け閉めで演奏を示し、あの時計で演奏の長さを計っているのだろう。
 鍵盤の蓋が閉まるたび、ぴんと張り詰めた静寂がホールに広がる。
 第三楽章の途中、静けさを破る音が、響きわたった。
 ぐう。ぎゅる。ぐるるるるるる。
 咄嗟にお腹を押さえたものの、ぐる、きゅううと、間の抜けた音は一向に鳴りやまない。はっと顔をあげると、ピアニストが目を丸くしてこちらを見ていた。
 頬が、かっと熱くなる。ホール中の非難の視線が集まっているようで、俯いたまま、もう顔をあげることができなかった。
 拍手が、永遠にも思えた長い時間の終わりを告げると、私は身を縮めて、出口へ急いだ。ベートーヴェンには後ろ髪を引かれるけれど、拒絶されたようなあの空間には、一秒たりともいられない。泣き出したいのをどうにかこらえて、足早に外へ出た。
 大好きなピアニストの大切な演奏会を、自分が台無しにしてしまった。
 とめどなくため息が出る。ちゃんと昼食を取っておくべきだった。定時で切りあげ、食事すればよかった。こんなことになるのなら。
 明るく連なる街の光がまぶしすぎて、樹々の影が広がる公園へと道を逸れた。

 まばらにともる街灯をとぼとぼ辿っていると、ふと風に乗って、ピアノの音が聞こえた気がした。幻聴かと思ったけれど、耳を澄ますと、かすかに音がする。
 公園内の道は二手に分かれ、小さな案内板が野外劇場と花の庭をそれぞれ示していた。きれぎれに聞こえる端正な音が気になって、私は野外劇場の方へと足を向けた。
 うねる道の先に、光るものが見えた。立ち並ぶ樹々の枝と枝をつなぐように、イルミネーションが飾られている。おまつりかなにかだろうか。その奥に広がる芝生の広場には、水色と白の縞模様の小さなサーカステントが並んでいた。小部屋ほどのかわいらしいテントが六つばかり、心なしか、おいしそうな香りも漂っている。
 サーカステントの向こう側には、帆立貝のような姿をした野外劇場が見える。
 舞台で光を浴びているのは、小さなグランドピアノと、山高帽にサングラス姿の男性だ。まばらな拍手に彼が帽子を取ると、白く短い髪がのぞいた。
 イルミネーションはとびきり明るい樹につながっていた。根元まで幹いっぱいに光を巻きつけた樹と、少し離れた場所に立つ同じ姿のもう一本が並び、ゲートのように見える。光のゲートの間には、黒板が立てかけられていた。
――ビストロつくし。
 なるほど、おいしそうな香りがするわけだ。期間限定のビストロらしい。前菜からデザートまで並ぶ料理名の最後には、数量限定のスペシャリテあります、と遠慮がちに添えられている。
 メニューを見ているだけで、強い空腹感が襲ってきた。
「鯛かぁ」
 おいしそうだ。本日のメインディッシュは、真鯛らしい。
「真鯛は秋冬にかけておいしくなります。中でも今日は、とびきりのが入りまして」
 不意に聞こえた声に、飛びあがりそうになった。
 黒板の隣にはいつの間にか音もなくギャルソンが立っていた。猫を思わせる風貌の彼は、細長い指先をしなやかに、テントの端へ向けた。
「シェフもはりきっております。ほら、あんなふうに」
 指さす先には、黒塗りのキッチンカーが停まり、白く大きな人影が、時折回転しながらリズミカルにフライパンを振っている。
「よろしければ、お席がご用意できます」
 正直なところ、空腹は限界だった。

 間近で見ると、テントはブルーグレーと生成色で、ヨーロッパの古い絵本のようなくすんだ色合いが、とてもシックだ。テントの入口はどれも、劇場を向いているらしい。イルミネーションで飾られた入口から中をのぞくと、まるでパリのアパルトマンのような、すてきな空間が広がっていた。
 八畳ほどもあるだろうか、室内は思ったよりも広い。真っ白なクロスをかけた楕円形のテーブルにはランタンがともり、中央のポールにはシャンデリア、円形の空間に沿って置かれたスタンドライトや、そこかしこに飾られた大小のランタンが、空間をあたたかく照らしている。アンティークのキャビネットには薔薇が飾られ、ヴェルヴェットの一人がけソファはしっくり空間に馴染んで、ふかふかの絨毯の上を靴のまま歩いていることをのぞけば、ここが野外だということを忘れてしまいそうになる。
 ギャルソンが引いてくれた椅子に腰を下ろすと、入口のイルミネーションが舞台を光で縁取って見えた。ピアニストの横顔に笑みが浮かび、端正な音が響き出す。
 食前酒に、旬のフルーツシャンパンを注文して、音楽に身をゆだねた。
 聴き覚えのある曲だ。作曲家も曲名も思い出せないけれど、山科実とオダショーが共演した演奏会で、聴いたはず。あのときの演奏会もすてきだった。音の海をたゆたうようで、聴き終えたあとは、手を伸ばしたら星にも手が届くんじゃないかと思えるほど、体がのびやかになった。仕事のアイディアも面白いくらいいくつも浮かんできた。
 今日だって、あんなふうに、心をのびのびと広げる一日に、なるはずだったのに。
 こうなるとわかっていたら、退社間際に届いたメールを開いて仕事していた方が、まだましだったかもしれない。少なくとも大好きなピアニストの舞台を台無しにすることはなかったのだから。
 コスト、と繰り返す泉くんの口調を思い出して、気持ちが重くなる。
 音楽でいったら、私と泉くんは、不協和音みたいなものだ。
 泉くんの仕事への情熱は十分理解しているし、尊敬する面もある。それは私も負けてはいないつもりだ。けれど、音楽では、隣り合った二音は互いにぶつかり合い、濁った響きになってしまう。
 思うところがあっても、どちらかがぐっと呑み込んで片方に従わなければ、まとまりはしない。けれど、呑み込み続けてばかりいると、思うところはむくむくと大きくなり、どんどん苦しくなる。そうとわかってはいても、ぶつかるのは、苦手だ。ひととぶつかるのは多大な気力を浪費する。そんなところに気をまわしていたら、肝心の仕事に使う力がたちまちなくなってしまいそうだ。
 指輪の基本デザインは修正したものの、オプション案のやり直しも控えている。
 クオリティを落とさずにコストを大幅削減する案も、ここから考えなくてはいけない。アイディアの手がかりすら、思い浮かばなかった。演奏会がよい刺激になるかと、期待もしていたのに。

 情けなさとみじめさの入り混じった大きなため息をついたところに、ギャルソンが顔をのぞかせ、肩をすくめた。
「申し訳ありません。お待たせしすぎてしまいましたね」
 彼はするりとテントに滑り込み、私の前に、フルートグラスを差し出した。カットされた紫と緑のぶどうがグラスに沈み、シャンパンの泡をまとって、きらきらと輝いている。
「いえ、そうではなくて。ごめんなさい、こちらのことなんです。今日はうまくいかないことばかりで、憂鬱になってしまって」
「そうでしたか。お腹が減ると、考え事は悪い方にばかり流れるといいます。その憂い、少しでも小さくなるとよいのですが」
 続いて並べられた大きな白いお皿には、デミタスカップに入ったクリーム色のスープと、少しずついろいろな前菜が盛り合わせてあった。
「左から時計回りに、パリのきのこのポタージュ、香草と木の実のサラダ、秋ナスのファルシ、オリーヴのマリネ、パテ・ド・カンパーニュでございます。ごゆっくりお召しあがりください」
 パリのきのことは、マッシュルームのことだそうだ。香ばしく焼かれたバゲットとバターを並べ、テントを出ようとしたギャルソンは、ふと思い出したように、振り向いた。
「よろしければ、お料理をスペシャリテにご変更されてみませんか」
 それは、私のためにつくられる特別な一品なのだという。
「本日のスペシャリテは、ヴィルトゥオーゾのカプリス。お腹だけでなく、心にもおいしいお料理のはずですよ」
 どんな料理になるのかはギャルソンもわからないのだそうだ。
 私のためだけに用意される特別な一皿だなんて、なんだかとても贅沢なことに思えた。
 今日という日をこんな気持ちのまま終えるよりは、ひとつくらい、楽しいことに出会ってみたい。
「そのスペシャリテを、お願いします」
 ギャルソンは、食べられないものや苦手なものを丁寧にメモすると、テントを出て、なぜか舞台の前で直立した。演奏中のピアニストがちらちら視線を送っている。ギャルソンは両手を組んだまま頭の上に伸ばし、左右にゆれた。疲れて、伸びでもしているのだろうか。
 不思議に思いつつ、フルーツシャンパンを口にした。
「わ」
 辛口ですっきりとしたシャンパンは、ぶどうと一緒に口に含むと、甘みと香りが加わって、いっそう華やかになった。
 いただきます、と小さく呟いて、カトラリーを手にする。
 とろけるようになめらかな秋ナスや、鼻の奥をくすぐるマッシュルームの香りが、秋の訪れを感じさせて、しみじみおいしい。バゲットのざくざくとした歯ざわりとパンのほのかな甘みにゆるんだ舌が、ルッコラとくるみを和える、舌がきゅっとすぼまるような酸味に引き締まる。緑と黒のオリーヴのマリネは香り高く、ピスタチオの入ったパテ・ド・カンパーニュは塩加減も食感もよくて、フォークを進めるのが楽しくなる。空腹は最大の調味料というけれど、この料理は、満腹であってもいくらでも食べられそうだ。
 それにこの、ピアノの生演奏。さきほどから奏でられる曲はどれも、音がひとつひとつ華やかで、妙に惹きつけられる。夜なのにサングラスをかけているのは、舞台の上がまぶしいからだろうか。曲が終わり、あちこちから拍手が聞こえる。テントに隠れて他のお客さんのようすはわからないけれど、一曲ごとに拍手の熱は高まっているように思える。
 すっくと立ちあがったピアニストは、私の方へ体を向け、山高帽を手に、深々とお辞儀をした。あまり深いお辞儀だったせいか、サングラスが外れて舞台の床に落ちた。
 一瞬見えた素顔に、私は目を瞠った。
 山科実? まさか。
 でも、彼があの重鎮ピアニストだとすれば、洗練された演奏に惹きつけられるのも無理はない。帽子とサングラスを身に着けた彼をいくら見ても、似ているようにも、違うようにも思える。落ち着いて考えてみれば、世界中でコンサートを開くような演奏家が、街の片隅の野外劇場でピアノを弾いているはずはないのだから、きっと他人の空似だろう。だけど、よく似ていた。

 ピアニストは椅子に座ると、天を仰ぐようにして、しばし動きを止めた。
 やがてゆっくりと動き出した指先が、震えるようなトリルを奏ではじめる。
 音は弾みをつけて音階を駆けあがり、物憂げな雰囲気を漂わせつつ、歌い出す。
 「ラプソディ・イン・ブルー」だ。
 ブルーと名前がついているけれど、曲全体を明るさが貫いている。音は意思を持ったように、鍵盤のあちこちをうきうきと跳ねまわり、伸び縮みし、緩急をつけて、耳に飛び込んでくる。
 さまざまなブルーの色合いが、目の前に広がるような気がした。
 空の青、花やドレス、プールの水面にネオンサイン、そして夜空の青。
 時折印象的に響くのは、不協和音のようだ。
 隣り合った二音の、それぞれではぶつかる音があることで、曲全体が引き締まり、魅力がぐんと増す。悲喜こもごもある中を貫く、どこか希望にも似た明るさが、そっと胸を打つ。ゆれ、惑い、迷っても、その明るさを目指して、音楽は進んでいく。
 ピアニストは、歌っているかのように見えた。音と戯れるのが楽しくて仕方ないという気配が、こちらまで伝わってくる。演奏家が音に宿す、魂のかけらのようなものが、私たちの元にも届くのだろうか。音楽は、まだ言葉にもならないような気持ちのうごめきまで、すくいあげて、そっと見せてくれる。耳を傾けながら、私はこんなふうに、音楽に抱かれて、慈しまれたかったのだと思った。
 最後の和音を弾き終えたピアニストに向けて、ありったけの力を込めて、手を打ち鳴らした。
 拍手に、感動と賞賛と敬意と、言葉になりきらない気持ちも、すべて込めて。この思いが舞台に届くよう、祈りながら。
 彼はピアノの前に立ち、帽子を取って、優雅に一礼した。

「ご満足いただけたようですね」
 ギャルソンは鮮やかな一皿を私の前にそっと置いた。オレンジ色のソースの海に、きれいな焼き目のついた切り身が、島のように浮かんでいる。いい香りが食欲を震わせた。
「ヴィルトゥオーゾのカプリスとは、名演奏家の気紛れのこと。本日はガーシュウィンの一曲をお楽しみいただきました。お料理は、真鯛のグリエ、アメリケーヌソース添えでございます。旬の真鯛を、海老と野菜のうまみを凝縮したソースでご堪能ください」
「海老のソースで、お魚を、食べるんですか?」
 思わず怪訝な声が出る。不協和音のように、味がぶつかりはしないのだろうか。鯛と海老は、味にそれぞれの個性がある。別々に食べた方がおいしそうだ。
「おいしいですよ。海老で鯛を釣るというでしょう。実際に釣れるんですよ。鯛と海老は縁が深いんです」
 ギャルソンはおすすめのワインをいくつか見繕ってくれる。
 それ以上なにも聞けず、私は覚悟を決めて、フォークとフィッシュスプーンを握りしめた。

 オレンジ色のソースから生まれる海老の香りが、テントに立ち込めていた。色よく焼きあげられた真鯛は、皮目もぱりぱりと香ばしい。
 切り分けた真鯛にソースをからめて食べた瞬間、海老の濃厚な味が弾け、口の中も外も、すべてが海老に染まった。真鯛の繊細な香りや味は感じられない。海老の風味が強すぎるのだ。やっぱり、強い個性同士がぶつかると、片方に従うしかないのだろう。
 半ば落胆しつつ、身を噛み締めると、味の印象ががらりと変わった。
 これはなんだろう。真鯛と海老のうまみが不可分なほど混ざり合って、鯛でも海老でもない、とびきりおいしい新しい味に生まれ変わっていた。
 口へ運ぶフィッシュスプーンが、どんどん速度を増す。
 海老の鮮烈な香りと、噛むごとに存在感を増す真鯛のうまみが、味のリズムに心地よい強弱をつけて口いっぱいに広がる。
 たちまち半分ほどがなくなり、慌てて食べるペースを落とした。こんなにおいしいものを、急いで食べてしまうなんてもったいない。少しでも長く味わっていたい。
 よく冷えたシャブリの爽やかな風味が、料理をふくよかに受け止め、押し広げて、つい口元がほころんでしまう。

「お口に合いましたか?」
 テントの入口で、白いコックコートに包まれた大きな体が、もじもじと左右にゆれていた。キッチンカーでは陽気にフライパンを振っていたのに、意外とはにかみやらしい。
 すっかり空になったお皿に目を留めると、シェフは目尻を下げ、一気にまくし立てた。
「すばらしかったですね、『ラプソディ・イン・ブルー』。ガーシュウィンが〈アメリカの音楽的万華鏡〉と呼んだ作品だそうです。それにちなんで、アメリカ風という名のソースに仕立てました。それぞれにおいしい、真鯛と海老のいいところを合わせた一皿は、クラシックでもジャズでもあるあの曲に、ぴったりかと思いまして」
「本当にすてきでした、お料理も、音楽も」
 笑うと、シェフの頬はぷっくり盛りあがって、てらてら光った。
「芸術は、心のごちそうですね。心が満ち、お腹も満ちたら、それは世界で一番おいしい料理なんじゃないかって、私は思うんですよ。そんな時間がちょっとでもあれば、憂き世を乗り越えていける気がするんです。見える世界も、ちょっとだけ変わる気がして」
 心が満ちて、お腹も満ちる時間が、ちょっとでもあれば。
 今日の私に足りなかったのは、その時間だったのかもしれない。
 どちらも満ちた今になれば、それが少しわかる。
「海老と真鯛、味がぶつかって壊れるんじゃないかと心配でした。でも、すごくおいしかった」
 海老も真鯛も、どちらかを損なうことなく混ざり合って、それぞれの存在を超えたおいしい味になっていた。ぶつかり合っても、壊れるばかりではなく、もっとよい形になれるのだと知った。
 そんなふうになれるだろうか、私も。
「ほらほら、挨拶が済んだら、持ち場に戻ってくださいよ。新しいお客さまがお見えのようです」
 デザートプレートを手にしたギャルソンが、シェフを追い立てる。シェフは軽く頭を下げて、調子の外れた鼻歌を歌いながら、キッチンカーへ戻っていった。
 デザートは、かぼちゃのタルトと、栗のマカロン、そしてエスプレッソ。ギャルソンは、ごゆっくりと一礼し、足早にテントを出ていった。デザートプレートには、bonne chanceとチョコレートの文字があった。スマートフォンで調べてみると、幸運を、という意味らしかった。
 テントの外では、ギャルソンが新しい客を迎える声がする。馴染みの客なのか、上機嫌な男性の声は、今日もいい音で歌ってるなあ、と笑った。よくとおる低音の声に聞き覚えがある気がした。声の主とギャルソンは、世間話をしながら、隣のテントに入っていったようだ。大きめの声は、テントの向こうからまだ聞こえてくる。
 どこで聞いた声だろう、と思いめぐらしつつ、タルトをフォークで切り分ける。
「今日の演奏会、しんとした中で、お腹を鳴らしたお客さんがいてさ」
 ぴたりと手が止まる。それは、私のことだ。
「舞台上まで聞こえるなんて、なかなか立派な音ですね」
 ギャルソンの返答に声の主は笑った。その声は、オダショーのものに、違いなかった。
 きっと彼は怒っているだろう、演奏会を台無しにした客のことを。先を聞くのが怖くて、私は急いで鞄を漁り、イヤホンを探す。
「うれしかったねえ」
 思いも寄らない言葉に、思わず声の方を見た。そこには天幕があるばかりなのに、私は目を凝らさずにいられなかった。
「そのひと、大事な食事よりも、僕の音楽を選んでくれたわけでしょう。感激してね。演奏中なのに、じっと客席を見ちゃった。楽しんでくれてたらいいなあ」
 そこから先、彼らがなにを話していたのか、耳に入ってこなかった。目がじんわり潤んで、タルトがゆれる。拒絶されたような気がしたのは、私がそう感じていたからなのかもしれない。
 そう思うと、聴けなかった演奏会がいとおしく思えて、もう一度きちんと、彼の演奏を聴きたくなった。
 スマートフォンで明日の公演情報を確認すると、当日券の販売は、開演の一時間前かららしい。定時に退社できれば間に合う。今度こそ、心置きなく音楽に身を浸したい。
 定時に帰るためにも、泉くんからのメールを確認して、明日に備えておこう。タルトをひと息にほおばり、かぼちゃの甘みとシナモンの香りを、エスプレッソで引き締める。
 大きく息を吸って、社用メールを立ちあげた。
――ごはんは、大事です。
 泉くんからのメールは、意表をつく言葉からはじまっていた。
――ごはんは、大事です。時間もコストのうち。ごはんをきちんと食べる。休みをきちんと取る。そういうことは、なるべく積極的に、やってください。朱音さんはただでさえ、無茶しがちです。ところでオプション案についてですが――
 じわじわとあたたかいものが、胸に広がっていく。
 もしかしたら世界は、私が思っていたよりも、ほんの少し、やさしいのかもしれない。
 オプション案への細かな注文すら、笑顔で眺められる。
 思いついたことがあった。青を選ぶのはどうだろうか。サファイヤの青、アクアマリンの青、ブルートパーズにラピスラズリ、タンザナイトやターコイズ。花嫁の幸せを願うという、サムシング・ブルーのおまじないにもつながる。
 明日、朝一番に、泉くんと話してみよう。
 ぶつかることを恐れずに、話してみよう。ぶつかったとしても、それを足がかりに、もっとよい形を、一緒につくりあげられる気がする。今の私なら。

 ギャルソンが、再び両手を伸ばして、ゆれているのが見えた。
 あれは、スペシャリテ注文の合図なのかもしれない。
 ピアニストが隣のテントを向いて、帽子を胸に、うやうやしく挨拶をした。
 ここからまた、新しい一皿が、生まれるのだろう。

 音楽が、はじまる。