N響オーチャード定期

TOPICS

2022.09.30 UP

【第121回】曲目解説

 

本日は北欧の音楽を楽しみます。フィヨルドで知られるノルウェーのグリーグと森と湖の国フィンランドのシベリウスの名曲を聴くと、北欧の大自然が思い浮かぶに違いありません。グリーグのピアノ協奏曲を弾く牛田智大は、早くから才能を示し、若い世代を代表するピアニストの一人に数えられています。指揮のサッシャ・ゲッツェルはウィーン出身。コンサートとオペラの両方で活躍し、今秋、フランス国立ロワール管弦楽団の音楽監督に就任するなど、世界中のオーケストラや歌劇場から厚い信頼が寄せられています。


北欧の作曲家といえば、ノルウェーのグリーグ、デンマークのニールセン、フィンランドのシベリウスらがあげられる。スウェーデンには、同国出身の巨匠ブロムシュテットが演奏会で積極的に取り上げる、ベルワルドやステンハンマルもいた。なかでもグリーグとシベリウスの作品は世界中で親しまれている。グリーグとシベリウスの共通点といえば、若き日に音楽の先進的なドイツやオーストリアに留学し、その後、民族主義的な音楽を志すようになったことがあげられる。

北欧の音楽は、音が澄んでいて、抒情的で、翳りがあり、美しいものが多い。それらを聴くと、北欧の海や森や湖が目に浮かんでくる。1870年にグリーグがローマにいるリストを訪問した際、リストがグリーグのピアノ協奏曲の手稿譜を初見で弾き、「これが真の北欧である」と絶賛した、というエピソードが残されている。ただし、本日演奏される「ペール・ギュント」の「朝」では北アフリカのモロッコの朝が描かれ、シベリウスの交響曲第2番はシベリウスがイタリア滞在中にインスピレーションを受けて書いたものである。それでも、それらの曲から北欧が感じられるのが面白い。北欧の二大巨匠の心の風景はどのようなものであったのだろうか。



■グリーグ:「ペール・ギュント」第1組曲作品46より”朝”

エドヴァルド・グリーグ(1843~1907)は、北海に面する港町、ベルゲンに生まれた。ピアニストの母からピアノの手解きを受け、15歳のときにドイツのライプツィヒ音楽院へ留学。その後、デンマークのコペンハーゲンでも学ぶ。同郷のノルドローク(ノルウェー国歌の作曲者として名を遺す)との交友を通じて民族主義的な音楽を志すようになった。

1869年に初演されたピアノ協奏曲で成功を収めたグリーグは、1874年、イプセンから彼の戯曲「ペール・ギュント」に付ける音楽の作曲の依頼を受け、翌年、30曲近い音楽を書き上げた。「ペール・ギュント」は、故郷に恋人ソルヴェイグがいるにもかかわらず、放浪の旅に出て、波乱万丈の人生を送るペール・ギュントの物語。“朝”では、アフリカに渡ったペールがモロッコで見る朝の情景がフルートなどによって描かれる。
 

 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦楽



■グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

1867年にクリスチャニア(現在のオスロ)のフィルハーモニー協会の指揮者となったグリーグは、同年、声楽家のニーナ・ハーゲルップと結婚し、翌年4月には女児が生まれた。ピアノ協奏曲は、そんな幸せな1868年の夏に作曲された。1869年4月、コペンハーゲンで初演。第1楽章冒頭の劇的な独奏ピアノのパッセージは、シューマンのピアノ協奏曲の冒頭を想起させるところがあるが、グリーグは、ライプツィヒ音楽院に留学しているときに、クララ・シューマンが演奏するシューマンのピアノ協奏曲を聴き、とても感銘を受けたといわれている。


第1楽章:アレグロ・モルト・モデラート。ティンパニのトレモロに導かれた、衝撃的な独奏ピアノの下降音型で始まる。その導入部に続いて、木管楽器が第1主題を提示する。第2主題はゆったりとしたチェロの温かな旋律。第1主題に基づくカデンツァは作曲者自身が書いたもの。最後に、冒頭の強烈な独奏ピアノのパッセージが再現される。
第2楽章:アダージョ。まさに北欧の抒情を感じさせる、清らかで美しい音楽。まず弱音器をつけた弦楽器によって静かに主題が歌われる。中間部になって漸くピアノが登場し、装飾を伴った繊細で美しい旋律を奏でる。音楽は次第に高揚し、最初の主題が独奏ピアノとオーケストラによって力強く再現される。そのあと、音楽は徐々に衰微し、次の楽章へとつながる。
第3楽章:アレグロ・モデラート・モルト・エ・マルカート。クラリネットとファゴットによる短い導入のあと、独奏ピアノが民族舞踊を思わせる快活な第1主題を弾き始める。第2主題はフルートが歌う伸びやかな旋律。終結部では、第1主題が4分の3拍子で再現され、最後に独奏ピアノとオーケストラによる第2主題の全奏によって雄大に締め括られる。

 

 フルート2(ピッコロ1)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽


 

■シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 作品43

ジャン・シベリウスは、1865年12月8日、ヘルシンキの北約100キロにあるハメーンリンナに生まれた。ヴァイオリニストを目指していた彼は、1885年、ヘルシンキに移り、ヘルシンキ大学とヘルシンキ音楽院とで二足の草鞋を履く。後に、極度のあがり症のため、演奏家への夢を断念することになるが、音楽院では作曲の勉強も始めた。1889年、ベルリンへ留学。1890年、一旦帰国した後、今度は、ウィーンに留学した。1891年、帰国。そして、ウィーン留学中に出会ったフィンランドの民族叙事詩「カレワラ」をテキストとして交響曲「クレルヴォ」の作曲を始めた。

交響曲第2番が作曲されたのは、交響曲第1番や「フィンランディア」の創作の約2年後の1901年であった。同年始め、シベリウスは、家族とともにジェノヴァの近くのラパッロに滞在した。1900年2月に三女をチフスで失って悲しみに暮れていたシベリウスであったが、イタリアの暖かな気候と美しい自然に魅了され、次第に交響曲の構想を膨らませていく。しかし、ラパッロ滞在中に今度は次女が高熱を出してしまう。シベリウスは一人ラパッロを離れ、ローマに移動し、創作を続けた。そして帰国後、1902年初頭に交響曲第2番を完成。1902年3月、ヘルシンキで作曲者自身の指揮で初演された。第4楽章の大きな高揚は、当時ロシアの支配を受けていたフィンランドの人々の愛国的心情の吐露と彼らの勝利を想起させるが、シベリウスは作品のそのような政治的な意図を否定していたという。


第1楽章:アレグレット。牧歌的な安らぎに満ちた楽章。途中、翳りや激しさも聴かれるが、最後には穏やかさが戻る。
第2楽章:テンポ・アンダンテ、マ・ルバート。冒頭の低弦楽器のピッツィカートやファゴットの旋律はイタリア滞在中に触れたドン・ファン伝説にインスピレーションを得たものだといわれる。その後、哀愁を帯びた旋律をヴァイオリンが奏でる。
第3楽章:ヴィヴァーチッシモ。スケルツォ的な性格を持った楽章。弦楽器の速く荒々しい動機で始まる。トリオではオーボエが牧歌的な旋律を歌う。最後は第4楽章の主題を暗示しながら高揚し、その頂点で次の楽章に入る。

第4楽章:フィナーレ、アレグロ・モデラート。弦楽器による力強い第1主題とそれに応える輝かしいトランペット。第2主題は木管楽器による哀愁を帯びた旋律。この主題は楽章後半で息の長い展開をみせる。そして堂々たるクライマックスで全曲が締め括られる。

 

 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦楽

 


曲目解説 山田治生(音楽評論家)