N響オーチャード定期

2023/2024 SERIES

128

岡本誠司

3月18日、ジャパン・ナショナル・オーケストラの演奏会でコンサートマスターを務めるためベルリンから帰国していた岡本誠司さんにお話をうかがいました。

マエストロ・エッシェンバッハとの出会いを教えていただけますか?
2019年に、私が在籍しているドイツのクロンベルク・アカデミーに来られたときにレッスンしていただいたのが最初でした。これまでに3回ほど、マスタークラスを受けました。ブラームスのヴァイオリン協奏曲、シューマンの「幻想曲」、ベルクのヴァイオリン協奏曲などを見ていただきました。2021年のミュンヘン国際コンクール(注:岡本が第1位を獲得)のあとにお会いしたときに、「ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(注:当時、エッシェンバッハが音楽監督を務めていた)で一緒に演奏しましょう」と誘っていただいて、昨年5月、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団と初共演して、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾くことができました。
マエストロの音楽作りの特徴は?
コンツェルトハウスの演奏会では、彼が指揮台に立っただけで、空気感が変わるのを感じました。彼の音楽作りは完成されていて、極みの境地に達していますが、私のような若造のアイデアにもオープンで柔軟なのです。常に人間的な温かさがあり、音楽とともに生き、作品を自分がどういうふうにとらえるのか、真摯にストイックに妥協なしにやられています。彼自身の内面世界がなんて豊かなのだろうと感じます。そして、作品の深いところにある魅力や重要な何かをとらえて逃さないということを学びました。僕も作品の深いところに近づこうと思って努力していますが、80歳を越えてもなお続けてらっしゃるのはすごいことだと思います。
シューマンのヴァイオリン協奏曲の魅力について教えてください。
僕にとって、シューマンのヴァイオリン協奏曲は一番好きなヴァイオリン協奏曲かもしれません。完成された美しさというより、心が壊れそうな、見えてはいけない世界が見えている、現実を超越した先の世界が垣間見える、そういうシューマン後期の危うさの美学が感じられます。もともと僕はそういうシューマン後期の世界観が好きで、自分の中で温めてきました。ブラームスとシューマンの作品によるリサイタル・シリーズもこの6月14日に完結します。僕はこの6月で30歳になります。20代最後のタイミングでシューマンの協奏曲を弾けるのは幸せだと思います。
第1楽章はエネルギッシュに始まりますが、展開部の展開には心ここにあらずな、夢か現かの瞬間がたくさんあります。
第2楽章は作品の核です。美しいけれど、心を100パーセント預けられる安心感ではなく、ここにそれがあればどれだけ幸せかという感じです。幻想を見ているかのような、手の届かない何か。ロマン派的な憧れよりも先の次元にあり、現実にあるものよりも美しい。現実との境があやふやになった時期の作品ですが、そのあやふやさは、一言でいえば、「切ない」ということでしょうか。居心地の良い幸せではない、アンバランスさを楽しんでいただきたいですね。
第3楽章はポロネーズのリズムで書かれていますが、♩=63というメトロノーム記号は、演奏不可能なほどに遅いテンポです。技巧的なパッセージも多くありますが、華やかなヴィルトゥオーゾを示すのではなく、どこかへ駆け出したいけど、幻想のなかで行われている何かということでしょうか。第3楽章のコーダは、長調で、祝祭的でありながら、もしかしたら主人公の心はザワザワ搔きむしられていて、当てもなくどこかへ走り去っていく。それは、シューマンの焦り、現実的にできないことへの葛藤ではないかと、29歳の自分は考えています。
ニ短調で始まった曲がニ長調で終わり、暗から明への作品のようですが、最後は喜びでしょうか? シューマンのヴァイオリン協奏曲の最後のニ長調と次に演奏されるブラームスの交響曲第2番のニ長調がまるで同じ調性には聞こえないようになればいいなと思います。響きの中身の違いの変化を聴いていただきたいですね。
シューマン好きの方は、彼が最後に行きついたのはこんな気持ちかとお楽しみいただけるかと思いますが、シューマンといえば「トロイメライ」のイメージの人にはショッキングでしょう。シューマンに馴染みのない人には、何じゃこれは?(笑)と思われるかもしれません。そのギャップを楽しんでいただきたいと思います。
シューマンのヴァイオリン協奏曲は、生前出版されていなかったので作曲者の最終チェックがされていません(注:初演はシューマンの死後80年以上が経った1937年)。つまり、ラッピングされていない生の状態で残されていました。
尖ったオーケストレーションや音楽の進行もそのままで、粗削りで、現実的にはうまくいかないところもあります。それでも、シューマン自身の生の声が感じられるのは魅力的であり、シューマンをダイレクトに感じ取っていただけると思います。
1853年にシューマンがブラームスに出会っていて、まさにそのタイミングでこのヴァイオリン協奏曲は書かれました。ブラームスは、そのときのシューマンを知り、シューマンが亡くなってから、大成して交響曲第2番を書きました。演奏会を通して、シューマンとブラームスのつながりも考えていただければと思います。
NHK交響楽団との共演はこれまでにありましたか?
N響とは初共演です。今はベルリンに住んでいますが、特に東京藝大付属高校、東京藝術大学の学生だったとき、何度も聴きに行きました。20代の最後に共演できて、とてもうれしく、光栄に思っています。N響デビューが、いわゆる定番の協奏曲ではなくて、チャレンジングなシューマンでいいのかというのはありますが、どういう演奏になるか楽しみです。
N響は世代も替わり、指揮者も替わりましたが、N響の良い伝統は残りながら、バージョンアップしていると聴くたびに感じます。確固たる伝統と良い意味でのプライドと柔軟性を増している印象があります。
コンチェルトを弾くときには、お客さまだけでなく、一緒に共演する方に、作品をより好きになっていただくように、作品の魅力を伝えたいと常日頃思っています。
オーチャードホールで演奏されたことはありますか?
オーチャードホールでは東京フィルのニューイヤー・コンサートで弾いたほか、キュッヒルさんがコンサートマスターを務めたウィーン室内管弦楽団の演奏会でベートーヴェンの協奏曲を弾いたこともあります。オーチャードホールで、ただの空気の振動でない何かをお伝えできればと思います。
最後にメッセージをお願いします。
私のN響デビューを目撃しに来ていただきたいですね。私の大好きなシューマンのヴァイオリン協奏曲をみなさまがどうお感じになるか、そのリアクションが楽しみです。作品の魅力をさらに深堀りして、深めた形でお届けできればと思っています。音楽を聴く体験の面白さは、自分が想像していなかったこと、自分の想像の斜め上をいくことに出会うことだと思うのです。意外性からくるちょっとした居心地の悪さもあるかもしれませんが、個人的には、それが人生の愉しさだと思います。2時間、いろいろなことを考えていただけるコンサートになることは間違いないので、ぜひ、お越しください。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)