N響オーチャード定期

2022-2023 SERIES

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サッシャ・ゲッツェル

2度目の「N響オーチャード定期」出演となるサッシャ・ゲッツェルさんにメールインタビューしました。

©Özge Balkan

今回の演奏会は、シベリウス交響曲第2番をメインにした、北欧音楽特集ですが、ゲッツェルさんと北欧の関わりについて教えていただけますか?
私にとって、スカンジナヴィア諸国といえば、その魔法のような風景、神秘的な雰囲気、古くからの物語が常に連想されます。
個人的には、私は、シベリウスの音楽にとても強い精神的なつながりを感じています。というのも、私はヨルマ・パヌラ先生(注:フィンランドの高名な指揮教授)に学んでいましたし、私が初めて音楽監督のポジションに就いたのがフィンランドのオーケストラ(注:クオピオ交響楽団、2007年~2013年)でした。パヌラ先生に学んで、私は、シベリウスの神秘性や、ときには彼の音楽のとても暗い象徴性に、深く入り込むことができました。それだけでなく、シベリウスの温かさ、人生や自然を大切にする気持ちも理解し始めました。シベリウスのいくつかの作品はウィーンと強いつながりを持っています。シベリウスは、かつての私のように、ウィーンでヴァイオリンを学ぶ一人の若者でした。私はシベリウスの音楽にとても強いつながりを感じていて、彼の交響曲第2番は、はっきりと私の大好きな作品の一つであると明言できます。
グリーグの作品についてはいかがですか?
北欧、特にフィンランド、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンには、ヨーロッパ大陸のなかで最も魅力的で神秘的な物語がいくつもあります。「ペール・ギュント」のストーリーも、イプセンが書いたノルウェーの民話に基づいています。その物語では、ペール・ギュントという名前の主人公の男が、ノルウェーの山々からアフリカの砂漠まで旅するのです。
私が最も魅了されるのは、イプセンの物語の象徴性です。そこで、イプセンは、美しい風景や清らかな自然と、ペール・ギュントというアンチヒーローで不名誉な人物との明確な対照を描いています。そして私たちはグリーグの音楽にそれらすべてを聴き、感じることができるのです。「ペール・ギュント」のように文学と音楽が溶け合ったとき、それは本当に私たちをもう一つの感情の宇宙に連れて行ってくれます。私たちは、ほんの1,2分で、いや数秒で、グリーグの音楽、そして「朝」に魅了され、幻想の世界に連れて行かれます。本物の芸術です。
もちろん、彼のピアノ協奏曲も大好きです。この曲は間違いなく傑作です。私たちは、グリーグがどれほどシューマンのピアノ協奏曲からインスピレーションを受けているかを聴くことができます。同様に、グリーグがライプツィヒの大学生として受けた指導のバックグラウンドを聴くこともできます。私を魅了するのは、冒頭の動機です。それは、今では、世界中のほとんどすべてのクラシック音楽ファンに知られていますし、グリーグの音楽的なDNAあるいは指紋のようなものです。この動機は、特にリストやチャイコフスキーが賞賛したこの協奏曲の民族色豊かな第3楽章のように、ノルウェーの音楽でも特に有名なものとなっています。グリーグの音楽は、彼のノルウェー文化に根差した情感に私たちみんなを深く引きずり込みます。ですから、N響の素晴らしい音楽家たちや、うれしいことに今回初めて共演する、若くて傑出した才能の牛田智大さんと演奏することが待ちきれません。
2018年の「N響オーチャード定期」の思い出を話していただけますか?
私にとってオーチャードホールでの初めての指揮となった、その演奏会での興奮や音楽作りを昨日のように覚えています。私の鼓動はフォーミュラ1のレーサーのスタートのときのように高まりました。それは私にとって忘れられない演奏会であり、N響の素晴らしさについて述べるには1冊の本を書かなければなりません。というのも、N響には私の知る最良の音楽家たちがいるだけでなく、何十年にもわたる世界最高峰の指揮者たちとの経験を持っているからです。指揮者にとって最も価値のあることは、N響のような、音楽を作る知力を持っているオーケストラと仕事ができることなのです。
N響は100年もの歴史を見つめてきた大樹のようです。音楽家たちと音楽を作ったり、探求したりできること、そして、傑作と呼ばれる音楽作品に深く深く潜り込んでいくことこそが、私たちの指揮者としての仕事を、価値のある、魔法のようなものにしてくれます。N響と過ごすすべての瞬間は、私にとって音楽家としての最も高い価値があり、そのような魔法を感じさせてくれるのです。
ゲッツェルさんは、この秋、フランス国立ロワール管弦楽団(ONPL)に就任されました。ONPLについて教えていただけますか?
私たちは、ベルリオーズの「幻想交響曲」とルドルフ・ブッフビンダーを独奏者に迎えてのブラームスのピアノ協奏曲第2番で、就任披露演奏会を終えたところです。ONPLは、日本でも知られている「ラ・フォル・ジュルネ」(注:ナントで開催されている)の中心的なオーケストラの一つでもあります。来シーズンまでには、ペイ・ド・ラ・ロワール地域だけでなく、パリ、ヨーロッパや海外など、より多くのお客様に、特別なコンサート・シリーズやCDなどで、音楽をお届けできるようにしたいと思っています。これから何年も、一緒に仕事をし、わくわくするような音楽的な旅をすることが楽しみな素晴らしいオーケストラです。
この2,3年、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻によって、音楽の世界も大きな影響を受けています。それに関してどのようにお考えですか?
人間の歴史は、文化の歴史です。人間の文化の伝統や芸術作品は、人間の歴史を定義してきました。パンデミックの間、多くの芸術家が隔離によって活動を続けることができませんでしたし、私たちは自由に私たちの文化の伝統を愛し続けることができませんでした。これは人間性にとって危険なことです。美を与えて分かち合う、感情や愛を与えて分かち合うという意味において、私たちの子供や孫に何が残せるのでしょうか? 音楽、舞踊、文学だけでなく、食べ物、衣服、伝統などの文化は私たちを定義するものです。普通、危機とは「日常」に戻って終わるものなので、私は今の危機が単なる危機とは思えないのです。個人的には今は過渡期であり、そのあと、多くのものがもう昔と同じには戻らないと思っています。東欧に目を向け、ウクライナでの戦争を見ると、それがどのような展開になろうと、私たちは、人間文化の危機、人間の価値の危機、地球という共同体の危機に至ったように思うのです。そして、環境汚染や気候変動という結果に直面するのです。今この時も世界のどこかで戦争があり、多くの人々が苦しみ、死に瀕しています。私たちの地球は部分的に死にかけているのです。私たちは、他者に共感し、私たちが一緒になって、一人ぼっちではなく、より良い未来を創る力を信じて、もう一度お互いに耳を傾け、自然と共生することを学ぶ必要があります。
最後にコンサートに来られるお客様にメッセージをお願いいたします。
私たちは音楽芸術のおかげで、今日ここで一つになれます。音楽は世界中の人々を結びつける、私たちの共通語です。
私たち音楽家にとって、最も素晴らしい報いは、お客様の前で演奏するのが許されることなのです。私たちが演奏しているとき、他の何よりも際立つものがあります。私たちはその瞬間に目覚めるに違いありません。音楽だけでなく、舞踊、演劇、そのほかどんな舞台芸術でも、ライヴ・パフォーマンスの魔法は、過去でもなく、未来でもなく、今だけに起こります。
この2年以上、私たちが共に生きる社会のハーモニーは遮断され、私たちの多くが時勢を変えようとする経験をしてきました。私たちがかつて経験していた快適さや確かさ、私たちが享受してきた社会生活の可能性、私たちがここに共有することを許されていた情報や世界の知識へのアクセスがどんなにたくさんであったか、を思い起こさせられました。
私たちの誰もが未来の出来事を予言できないし、コントロールもできないことを思い知らされました。
一緒にいて、この瞬間を一緒に楽しむことを許されるということは、私たちが人間として経験することのできる最高の贈り物の一つです。それによって私たちは一つであることを実感します。
芸術の魔法は、人々を結びつけて一つにするという力を持っています。私は、芸術が人を変えるように世界を変える力を持っていると信じています。
私たちが人間として与えられている最も貴重な贈り物―それは時間―を共有できて、感謝しています。
みなさま一人ひとりと一緒にこの瞬間を旅できるのは光栄です。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)