N響オーチャード定期

2021-2022 SERIES

116

井上道義

2021/2022シリーズの開幕となる第116回公演を指揮する井上道義さんにお話を伺いました。(9月4日・Bunkamuraにて)

N響オーチャード定期の今シリーズのテーマは「コンサートホールで世界旅行!」です。
僕は、音楽は世界旅行だと思っています。特にクラシック音楽は時空を超えた世界旅行だと思います。
指揮者をやっていて、世界中を旅しました。ニュージーランド、オーストラリア、北朝鮮、南アフリカ共和国……。北朝鮮には「第九」や「新世界」を指揮するために行きました。政治的なこと関係なく、音楽を通して、そこの音楽家と親密になりました。昔、ケープタウンのオーケストラを指揮しに行きました。黒人が明らかに差別されている世界の中で白人だけがクラシック音楽を享受しているという現実がありました。音楽を通じて、いろいろな経験をすることができました。
最近はみんなこれ(スマートフォン)で世界旅行でしょう。悲しいのは、旅行が、これ(スマホ)で調べて、確かめに行くだけになっているということ。何のリスクも、何の驚きもない。今は、見たこともないこと、不思議なことが起こらない、つまんない世界になっている。今の人は驚くことを怖がっています。驚くことを怖がっていたら、僕なんか生きている価値がない。僕は驚かすことが好きで、驚かせたい。昔は、一日一回、奥さんを驚かせていました。作曲家だって、人を驚かせたいと思って書いていたはずです。
そして、リスクがあっても勇気をもって飛び出していくという冒険心と、音楽で違う時代の作曲家と語り合う冒険心とはつながっていると思います。
今回のテーマは「ロシア」ですが、ロシアにはよく行かれているのですか?
ロシアには1970年に齋藤秀雄先生と桐朋学園の弦楽オーケストラのヨーロッパ演奏旅行で初めて行きました。モスクワ、レニングラードから始まる30公演の長大なツアー。ネオンサイン・ゼロのモノクロの世界でした。ショスタコーヴィチの交響曲第13番の歌詞にあるような世界。僕は指揮とチェンバロと齋藤先生のお守り(笑)をするために同行しました。東欧では僕が指揮をすることはなかったのですが、シチリアのパレルモとドイツの小都市で指揮をしました。
その後、1975年頃に、キエフ、ヴィルヌス、カウナスなどソ連の様々な街で現地のオケを振るツアーをしました。レニングラードでは「幻想交響曲」と「運命の力」序曲を指揮しました。まだ若い頃のマリス・ヤンソンスがリハーサル中、座って聴いてました。2006年には、ロシアのいくつかのオケでショスタコーヴィチを振るツアーもしました。2年前に、第2回国際プロフェッショナル音楽賞「BraVo賞」(注:第1回はクルレンツィスが受賞)を貰って、モスクワに行った(注:モスクワのボリショイ劇場で授賞式が行われた)ときは、街の変わりように、ものすごいショックを受けました。1970年には何も物がなかったグム百貨店が今はGINZA SIXみたいにピカピカで、泊ったホテルは公園になっていて。
ロシア音楽についてはいかがですか?
一言にロシア音楽といっても、古くからのロシアの音楽と、ショスタコーヴィチやプロコフィエフがいたソビエト時代の音楽とはちょっと違うと、2006年にロシア・ツアーに行ったときに感じました。続いてないんですよ。今のロシアの地方のオーケストラはショスタコーヴィチを全然知らない。知られているのは交響曲第5番と第9番くらい。日本やイギリスの方がショスタコーヴィチは演奏されています。今のロシアの多くの人は、ショスタコーヴィチの音楽を曲がった時代の音楽だと認識していて、びっくりでした。ロシア音楽は、彼らが考えているものと、僕ら(日本人)が考えているものとは違います。ベートヴェンが何故か下手だったりするし……。
「ロシアとキルギス民謡の主題による序曲」はソ連の音楽で、「シェへラザード」はいわゆるロシアの音楽。どちらも、自分の住んでいるところではない場所を描こうとしていて、ショスタコーヴィチはキルギスの民族音楽も使ってあたかも民族を束ねるかたちで曲を書いていますが、キルギスは言葉も違い異国ですが「シェへラザード」は夢の国、似て非なるものです。
 
「ロシアとキルギス民謡の主題による序曲」は以前からよく取り上げてられますね。
まず、成り立ちの面白さがあります。現代音楽風の響きがあり、いかつい音楽で凸凹していて面白いですね。曲線的な「シェへラザード」とは対照的です。
グリエールのホルン協奏曲はいかがですか?
N響の仲間でもあるけれど、今回はソリストとしての福川(伸陽)くんと僕にしかできないことができればいいなと思っています。曲は演奏の方法で価値も変わりますから。
メインは「シェへラザード」です。
井上、得意です。今回は白井(圭)くんがコンサートマスターなので超楽しみ。彼には、勇気とデリカシーがあると感じている。
「シェへラザード」の魅力は?
正しい「シェへラザード」なんてないでしょう?どうやってもいい。夢の話ですから。僕は極彩色にやる。シャガールの絵みたいに。
リムスキー=コルサコフは管弦楽法の大家といわれていますが。
その通り。その天才です。すごいです。ロシアの作曲家は皆烈しく影響を受けています。たとえば、ハープの使い方ひとつとっても。
彼は文字通り夢の世界旅行をオーケストラとヴァイオリンでプレゼントしてくれた。本のなかから、アラジンの不思議なランプの煙が「聞こえ」、大海原が「見え」、魅力的な女性の魅惑の香りが「匂い」、男どもの汗が「目にしみる」。
最近、共演が増えているN響についてはいかがですか?
今のN響は、若くて、互いに讃えながら、ポジティヴに前に進もうとしているという感じですね。
僕が若かった頃は音楽がネクタイを締めていた。ネクタイは時代によって太くなったり細くなったり、色んな模様もあって綺麗だけれど、長い間してないなあ……そうは言ってもパーヴォが本番でネクタイしないと「なんだい!」とか思ってしまう自分がいる……微妙。
最後に、今回の演奏会で、楽しみにしていることは何ですか?
音楽家は、常にリスクを取って演奏しています。特にホルンなんて、当たるか当たらないかの楽器だ、いや、全てのミュージシャンはそんなリスクを越えようとしてその時の自分の持てるものすべてを出せるよう賭ける。危ないから少し安全な演奏をしておこうというわけにはいきません。今日もN響メンバーはリスクをねじ伏せて演奏すると思います。だから、何があってもお客さんは、その迸りを受け止めに出て来て欲しいです。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)